さっきの玲央姉は何か違った。
いつもはっきり言う彼が言葉を濁したのを初めて聞いたからだ。でもひとつ息を吐くと何事も無かったかのようにタオルとドリンクを取りに行くわたしを見送った。
そのあと何か言っていたような気がしたのだけれど、どこか上の空だったわたしの耳には届かない。ついでに持ってきてもらいたいものでもあったのかな。とりあえず制汗剤持っていこう。

そんな玲央姉はいつもわたしにすごく気を遣ってくれていて、実際わたしはそれにたくさん甘えている。
きっと普段、マネージャー業もわたし自身もしっかりしていられるのは、大袈裟なんかじゃなく彼の支えがあるからなのかもしれない、と思った。














...よいしょ、と少し大きめのカゴを持つ。
タオルも持ったし、ドリンクも人数分用意した。
休憩までもう少しあるから部室の気になっていた部分だけでもやってしまおう。
わたしは早歩きで部室へ向かう。


「...なんだか、なあ、」


どうしても心にある“もや”が消えてくれない。
わたしはどうしたいのか。
そして赤司に対してのこのもどかしい気持ちは。
素直になりたくない、でもあの頃の好きだった笑顔を見るとちくっと痛む胸。


...解ってる。
本当はずっとずっと前から少しだけ気付いてる。
でも嫌。その気持ちに気付かないフリをし続けよう。
今は今やるべきことをするだけ。


「...まず部室行かなきゃ、ね」


この時間はどこも部活真っ最中のようで、部室へと向かう廊下はとても静かだ。

ガチャリ、と部室のドアを開け、中を眺めた。
洛山の部員達は綺麗にしている人が多い、と思う。玲央姉なんて小さなゴミひとつ嫌うから、マネージャーのわたしより先に綺麗にしてしまう。
それに感化された周りがいつの間にか気付いたら片付けるようになった、という感じだろう。
そんな綺麗にされている部室のどこが気になるのかというと。


「...あった。WCの準優勝の賞状。こんな所に置かなくてもいいのに」


ゴソゴソとアルバムやら何やら入ったダンボールの中にある賞状を取り出す。
決勝で誠凛に負け、準優勝になった時に渡されたもの。
みんなあれだけ頑張ったのだから、納得いかなくたって飾るべきだ。
実はこの賞状の為に安いものだけど額縁を用意してきたわたしは、さっそくマネージャー用のロッカーから隠しておいたそれを出す。


「これでよし、っと」


額縁に綺麗におさまった賞状と、右下に入れられた集合写真。
この集合写真をわたしは大事に取っていた。
わたしにとっても、きっとみんなにとっても大事なものだと思ったから。

ふと写真の中の赤司が視界に入った。



「初めての敗北を経験して悔しかっただろうなあ。...でも赤司ったら微笑んでるし。変なの.........って、あれ?なんで、」


どうしてこんなに苦しいんだろう。
どうして嬉しいはずなのに素直になれないの。
どうして涙が出てくるの。
拭っても拭っても零れ落ちてくる涙をわたしは必死に抑え込む。


「やだなあもう...今さらわたしどうしたら...でもやっぱり赤司が、すき」


すると突然ガチャ、とドアが開いた。


「あ、あか、」
「名字、今のは本当かい?」
「! 違う、」
「...違うんだ?」
「そうだよ!だから、来ないでお願い、」


やってしまった。まさか聞かれていたとは。
わたしは咄嗟に知らないフリを通そうとするが、そんなの彼が許してくれるはずがない。


「どうして俺を見ない?」
「...別にいいじゃない」
「昔から名字は嘘つくとき目を合わせないよ」
「っ...」


わたしの言葉など聞きもせず彼はずいっと近づいてくる。
そして優しく優しくわたしの涙を拭き取ると、柔らかく微笑む。


「好きだよ、名字」
「こんなわたしのどこが、」
「そういうところかな」
「...よくわからないんだけど」
「ふっ...だろうな。でもその前に俺は名字に謝らなければならない」
「?何で」
「俺は二重人格だ。最近までもう一人の“僕”が俺をやっていた」
「何となく、わかってたよ」
「そうだろうな。“僕”の言動を見た名字は俺から離れていった」
「...それは、」
「わかってる。そうさせてしまった俺が悪いんだ。すまなかった」


彼は本当に申し訳なさそうな顔でわたしを見つめた。


「...?それは?」


彼は額縁におさまっているWCの賞状と写真を見つけたようで、ダンボールに入れたはずなのになぜ、という表情をしている。


「これは大事なものなの。みんなにとっては、してはいけない敗北だったのかもしれない。でもわたしにとってはその敗北が大事だった。ねえ赤司、赤司にとっても大きな出来事だった、って思わない?」


彼は静かに目を閉じた。


「思うよ。黒子と出逢えてよかったとも思ってる。何より彼と試合した事で“僕”は眠り俺が目覚めた。...本当はもういっそ“僕”のままでいるつもりでいたんだ」
「わたしは、っ...」
「名字、泣かないで」
「だってせっかく昔の好きだった赤司に戻ってもわたしはずっともやもやしててもどかしくて、冷たくしちゃってどうすればいいかわからなくなって、だから赤司に嫌われて当然のことしてる。のに、そんなわたしを許すの?」
「許す、許さないじゃないよ。それにどちらかといえば俺がその台詞を言う側だ」


彼ははっきりとわたしを見ている。
わたしも彼を見る。
いつからこうして互いを見ることをしなくなったのだろう。
あの時ちゃんとこうしていれば、何か違った未来があったのかな。違う今になっていたのかな。

そしてやっと通じ合えた、言葉だけにするには勿体無いこの感情をどう表現すればいいのだろう。

「名前」
「ん?」
「この気持ち、何て言えばいいんだろうね」
「わたしも同じこと思ってたよ」


少し、ほんの少しだけ照れたような彼はわたしの耳元で囁く。


「とりあえず抱き締めてもいいかい?」
「!...そういうのは言わずにやってよ恥ずかしい」











その後、体育館へ戻ってきたわたしと赤司を見た玲央姉は大きな溜息をついた。


「...はあ、やっとなのね。まったく頑固だし素直じゃないし困るわ」


それでも玲央姉は優しく微笑んでくれた。
今のわたしたちならきっと大丈夫。
躓いたらまた顔を上げて彼に手を伸ばせばいい。彼がわたしに手を伸ばしたら、両手でちゃんと包み込めばいい。
それだけでいいのだ。

赤司を見ると目が合って、思わず笑ってしまった。
今日はあの時から止まった時間を埋めるように、バスケの話をしながら帰ろうと思う。





アンビバレンス


(相反する思い、まだまだ青春の1ページ)


2015.10.19