一話
篠突く雨に閉ざされた村のなか、泥の臭いに混じって死臭が漂う。
「おお……っ、なんということだ……」
集まった村人が遠巻きに見つめるのは無残な死体。
きっと、花のように可憐であっただろう面は虚ろ、艶々と血色がよかったであろう顔色はただただ土気色に変わり果てて、しなやかな肢体はぬかるんだ地面へ沈んでいる。
美しい少女であった。
美しかったであろう少女であった。
彼女を前に泣き崩れたのは母親か、その女を支えて歯を食いしばるのは父親か。
進み出たカソック姿の神父が目を見開く。
視線の先は少女の首筋。
ほっそりとした少女の首筋には、抉られたような穴を空ける二つの傷跡があった。
「……吸血鬼だ……吸血鬼の、仕業だ……!」
神父の言葉に雨音すらも遠のくような沈黙。
一拍後、村人たちが上げた悲鳴は轟く雷鳴にかき消された。
グレンの朝は早い。
空がほんのりと黝く、朝日が黄金色に輝く早朝。グレンは起床すると身支度を整えて朝の祈りを行う。
聖堂で跪き、グレンは十字を切る。
「父と子と聖霊の御名によって……」
神へ祈りを捧げる姿は敬虔なる信徒、信仰深き神父そのものなのだ。
静かに、厳かに、天使祝詞を唱えていくグレンの背中で長い三つ編みにされた赤い髪が小さく揺れる。
ふと、グレン以外に誰もいない聖堂で、ふわりと揺れる空気。
ゆらり、ゆるりとまるで弄ぶようにグレンの髪が揺れ、止まる。
グレンは眉も動かさずに浅黒い手でロザリオを手繰り、第五玄義まで唱えると静かなる佇まいもどこへやら、目にも留まらぬ速さで片腕を自身の肩口から先へ突き出した。その手はまるで見えないなにかを掴んでいるように軋んでいる。
「っん……なにをする、酷いではないか」
玲瓏でありながらたっぷりと艶を含んだ声。
影も形もなかった聖堂に、一瞬でひとりの優男が現れた。
神父でありながらやや物騒に整った顔立ちで鍛えられた体型のグレンに対して、優男は退廃的な貴族のような雰囲気の美人だ。
つと、と自身の首を鷲掴みにするグレンの手へ這わせられた優男の手も、はっとするほどに白く繊細である。
「仕事の邪魔すんなっつってんだろ」
「仕事の邪魔? 左様なことはしてはおらぬであろう? そも、仕事ではなく習慣ではないか」
きょとん、と心底分からないという顔をする優男は、ゆらゆらと妖しく光る濃い紫の目をまたたかせる。
「祈りの日課は義務なんだよ」
「ほう……信心を義務付けるとは、人間はやはりおかしな生き物よな」
ころころと少女のような笑い声を上げる優男は、決してグレンや信仰を愚弄しているわけではない。
グレンもまた、いまの優男の言葉は否定するつもりもなかった。
自ら進んで祈ってこその信仰心だ。それが神父だからといって、否、神父だからこそ義務付けることは如何なものだろうかとグレンも思う。
祈っていたときの敬虔な姿とは反対に、グレンは義務でなければとっくにこの日課を放り投げているので。
優男の首から手を放し、グレンはさっと立ち上がる。その身のこなしは一介の神父にはとても見えないが、グレンはれっきとした神父であった。それは優男も承知であり、だからこそ優男はこの場にいるともいえる。
グレンがミサの準備のために歩きだせば、優男は彼の肩にふわりと抱きつき頬を寄せた。
体重を感じさせない動きに事実、優男の両足は床から浮いていた。
グレンに重そうな様子はない。
正確には、重量をかけられている様子そのものがない。
優男はふうわりと浮き上がりながら、グレンの背中から回した両腕を彼のロザリオが揺れる胸元で組んでいた。
「私は真面目なそなたをとても好ましく思うておるよ」
「あっそう」
雑な相槌にも気にした様子はなく、優男はグレンの耳元へ唇を寄せて耳殻へ微かに歯を立てる。
瞬間、鋭い肘が優男の腹へ決まった。
「ん、っく……ッ」
「お前、いい加減にしろよ……」
「わ、私がなにをしたというのだ……!」
完全なる被害者面でグレンを睨む濃い紫の目は、潤んでひどく婀娜っぽい。
グレンは品なく舌を打ち、厄介な「習性」を持つ優男に眉を寄せる。
途端、優男は困ったような顔をしてグレンの頬を白い繊手で包み、彼の眼帯に隠されていない深い緑色の片目を覗き込む。まるで、奥底にあるものを掬い取ろうとするように。
「なにが不満なのだ? なにを望んでおるのだ? 言えばよいではないか……私はそなたの願いであれば、喜んで協力しよう」
優しくやさしく慈しみ深く、とろとろと溶けだす蜜のように甘やかで喉を灼きそうな笑みと声音で問いかける優男。
そのまま身を預ければ、きっと大切に抱きとめてくれるだろうという安心感が無条件に湧いてしまいそうになる優男の雰囲気に、しかしグレンは彼の顔面を鷲掴みにすることで応えた。
「必要なときには言ってる。今更、お前に遠慮なんざしねえよ」
ぎち、と林檎であれば果汁が滴ってしまいそうな力を込めた指の隙間から、濃い紫の目が弓なりになるのが見えた。
頬から首、肩を撫でて自身の顔を圧迫する手を包み込んで外した優男は、浅黒くところどころ傷跡の散る指に小さく口付けて囁いた。
「で、あるか」
グレンが鼻を鳴らして再び歩きだそうとしたとき、聖堂へ小さな人影が駆け込んできた。
「神父様、林檎の封蝋のお手紙が来てるよ!」
グレンの隣で彼の肩に寄りかかった優男が、嫣然と唇を吊り上げた。
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