進化〈朝カル〉




「きみは、甘いものを好むね」
 興味を持ったような口振りで、しかし平素のとおり熱の感じられない視線を寄越してきた朝烏に、本を片手に持つカールはまとめて口へ放り込んでいた飴玉をガリゴリと硬い音を立てながら噛み砕く。
 口のなかを切ってしまわないかしら、なんて心配をする繊細さは朝烏にはない。
 いや、発想そのものがないのだ。
 飴玉で粘膜が傷つくという事象が起こり得ることを、知識の端に引っ掛けてでもいれば奇跡だし、その奇跡の知識は朝烏をしても咄嗟に引き出すのは容易ではない。
 飴玉ひとつ取り上げても朝烏とカールの間には、埋められない溝、差、壁が存在している。
 双方、生まれは選べぬ故に。
「だから、なに」
 いけ好かない相手のなにもかもが気に障るとばかりに、カールは不快さ露に顔を顰める。
「体を使う仕事をしている人間は、塩気を欲しがる傾向にあるらしい。確かにきみも塩辛いとされるものを食べる姿をよく見かけるけれど、年代的なものに見える。
 しかし、甘いものに関しては同年代よりも率先して摂取しているし、手持ちも絶やさぬように意識している。
 そこまでするのであれば、好ましいものなのかなと思ったのだけど」
 違ったかな、と朝烏は書類を読み上げるような調子で言い終えた。
 カールは朝烏に観察されていたことを気持ち悪いと思った。この男になにをされても好ましいことなどないのだが、それにしてもカールの行動の意味を思考し、自身のなかで答えを出し、正誤を確認してくるほどに意識が向けられていたことを気持ち悪く思うのだ。
 思わず本の頁に皺が寄るほど手に力がこもるのを見ていたのか、ただ視界に入れていただけか、朝烏の無造作に伸ばされた手がカールから本を取り上げていく。
「返せよ」
「字がいっぱいだ」
 唸るように要求するカールの声など聞こえていない様子で、朝烏は稚い感想をこぼす。
 確かに字がいっぱいだ。
 図解もあるにはあるが、物語の挿絵と違って目で楽しむようなものではない。
 朝烏にとってはやはり興味がない、あるいは既知のものなのか、彼は遊ぶように片手で頁を捲り終えるとあっさりカールへ本を返す。
「生きるのが困難な生き物だ」
 引ったくるように本を抱え込んだカールを見つめる朝烏は、銀色の目を氷片の透明さに変えている。
 その透明さは無垢で、しかし朝烏という存在の変えようがない性質が真っ直ぐ透き通ったものにはさせない。
「生き残るために力よりも知恵を選んだ種族。しかし、知恵を得るには身を削る必要がある──欠陥だ」
 唐突に抱き寄せてきた朝烏から逃れることができなかったのは、本を持っていたからというのは言い訳になりきれない。
 それだけの差もあるのだと、カールは腑が煮え繰り返るほど理解している。
 片腕で拘束され、片手で顎を掴まれた瞬間には鳥肌が立つほど嫌な予感がしたけれど、抵抗という行動へ繋げるには、行動をしたとして意味を為すには、厳しさを説くばかりの現実が邪魔をするのだ。
 絡み合った粘膜に何度でも新鮮に思うのは、長さはあれど舌先は割れていないのだな、などという意外な驚き。
 ここへ至るまでに思い知る差があるからこそ、己と同じものに驚くのかもしれないし、それは負け惜しみなのかもしれない。
 なにかを確認するように探り回られた口内、ずるずると絞るように吸われた舌。
 殺してやるというよりも、死んでくれという気持ちでカールは身を固くする。
 ずるりと這うように口内から出て行った朝烏の舌は、カールの濡れた顎まで舐ってようやく満足したらしい。
 腕の拘束が外れた瞬間に朝烏を突き飛ばしたが後ろへ蹈鞴を踏んだのはカール自身で、湧き上がった苛立ちで頭皮がひりひりした。
 本を投げ捨てて抜き放った剣は、考えるように宙空へ視線を向ける朝烏に手首を掴まれることで届かない。
 間髪を容れず朝烏の腕に強化した蹴りを叩き込めば、軋んだ音とともに朝烏の手が外れる。
 視線をカールへ向けた朝烏は怒った様子も苛立ちもなく、自身を襲う刃を避けていく。
「私は人工的な甘味を好まないし、そも必要ともしないが」
 何度目かの刃を腹で受けた朝烏が、初めて少しの愉快を面に浮かべる。
「いまくらいのものなら偶には、と思うよ」
 カールを抱き寄せることでさらに深く剣を腹に飲み込む朝烏からの口付け、その不快さは腹を裂いたって帳消しにはなりやしない。
 重なる互いの体を朝烏の血潮が濡らし、腑が温めていく。
 その命の熱よりも、朝烏が菓子を探すこどもの手のように伸ばしてくる舌のほうが、カールにとってはよほど熱いものに感じられた。
 床へ放られた本に朝烏の血潮が届く。
 人間が生き残るために求めた知恵が赤くあかく濡れそぼり、侵食されて沈んでいく。
(俺はそうならない。そうなる前に必ず、必ず殺してやる)
 カールは裂いた朝烏の腹を挿し入れた手で抉り、溢れた血潮でその身を濡らす。
 赤く。あかく。
 しとどに、赤く濡らした。

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