八話




 美由との親交が安定したものになった頃、彼女からあやめは一つの誘いを受けた。

「文化祭、ですか」

 優雅なクラシックが流れる喫茶店で背伸びをしたエスプレッソを飲みながら、あやめは聞き返す。

「ええ。二日目は一般来場もできるの。もっとも、招待状が必要だけれど。興味があるならあげるわ」

 あやめが声もなく顔を輝かせて頷けば、美由は苦笑を浮かべて携帯端末くらいしか入らなさそうな鞄から女性らしい装飾のされた封筒を取り出し、あやめへと差し出した。
 視線で見てもいいか確認して、あやめは封筒の中身を改める。
 業者によりしっかりと印刷されたものなのだろう、どこかの音楽会のチケットといっても通じそうな出来栄えは、とても学校の文化祭で用いられる招待状には見えない。
 日にちと開場時間などが記載されているのをしっかり記憶して、あやめは封筒へと招待状を戻す。
 あやめの胸はふわふわと喜びの風船が膨らんだように浮き上がり、いまにも空へ上ってしまいそうな心地だ。

「美由さんのクラスもなにか催しをするんですか?」
「テスラコイルで演奏を」
「はっ?」
「冗談よ」

 くすくす笑う美由はとても愛らしかったけれど、あやめは彼女もこんな冗談を言うのだということに驚いて暫し呆けてしまった。
 美由は笑みを引きずったまま「なんてことないわ」と話を続ける。

「喫茶店、みたいなものよ」
「みたい?」
「メインはボードゲームなの。スタッフ、私たちに勝てばお茶が無料になるわ。負ければもう一杯注文。ゲームを続けるかは自由よ」
「それは……賭け事にならないんですか?」

 美由はしれっと「許可は下りたわ」と言う。
 更に詳細を訊いてみれば、古今東西様々なボードゲームを用意したらしい。どのボードゲームを選ぶかは客の自由。
 あやめは考える。
 自分の得意なボードゲームとはなんだろうか。
 相手が必要な遊びの多くを、あやめは触れたことがない。世話役と遊び相手は別で、一二はあやめがボードゲームに親しむほどの時間を付き合ってくれたわけではない。自然とあやめは一人遊びばかりしていた。
 あやめにとって将棋といえば崩し将棋だ。詰将棋は、まだ少し早かった。
 ルールを知っているゲームはそれなりにある。けれど、自分はきっとどれも惨敗するだろう、とあやめは苦笑いを浮かべた。

「美由さんの得意なゲームはなんですか?」
「実は対戦型のボードゲームは得意ではないの」
「……意外です」
「そう? 他人の思考を読み続けるのが面倒なのかもしれないわ」

 それは、他人に興味がないからだろうか。
 あやめは自身が美由に特別扱いをされている自覚がある。
 特別扱い、というと少し違うだろうか。
 許容されているのだ。許されているのだ。パーソナルスペースに入ることを。
 それが特別でないのならなんなのだ、という話ではあるけれど、きっと、美由はあやめが近づくことをやめたら一瞥もせずに放置するだろう。
 優が気にかけてくれていたら違うだろうけれど、あやめから、となれば彼もまた率先して意識を向けてはくれまい。
 引いたら、それまで。
 あやめは少しずつでももっと、もっとと美由との距離を縮めるしかない。
 いつか、美由から手を伸ばしてくれるのを夢見ながら、いまは自分から手を伸ばし、仕方ないように握り返される喜びを噛みしめるのだ。

「じゃあ、ぼくが対戦を申し込んだら勝てちゃうかもしれないですね」
「そう言われると負けたくないわね。いいわ、文化祭に来たら相手をしてあげる。私が負けたら特別に……そうね、なにか一つお願いをきいてあげるわ」

 自分は美由にとってこどもなんだなあ、と感じながら、それでもあやめは喜ばずにはいられなかった。
 なにをどうしてほしいと具体的な「お願い」があったわけではないし、まして勝つと決まったわけでもない。
 美由と「遊ぶ」ことができるという、それだけで嬉しかったのもある。
 いつもどおり美由を織部の家に送り届け、また、と次があるように約束を込めた別れ言葉を告げて、あやめは白雪の家に戻る。
 あてがわれている離れでじっと招待状を見つめていると、騒がしい気配がした。きっと、義孝が来たのだろう。
 あやめは机の抽斗に招待状を隠し、さも読書中であったかのような体を装った。
 ほぼ同時にノックもなくドアが開かれ、不機嫌な顔をした義孝が現れた。

「あやめ」
「はい」
「織部家に初太郎を連れて行くことはどうしてもできないのか」

 何度目かになる義孝の言葉にあやめは内心うんざりしたけれど、今日の義孝はやや様子が違った。苛立ってはいるようだが、常のようにあやめの不出来を詰る風でもなく、先の言葉にしても質問、確認といった様子だ。

「……美由さんも、そのご家族も……初太郎のこと訊いてきたこと、ないです。それに、美由さん……ほんとうはこども嫌いだと、思います」
「だが、お前は例外だというわけだ」

 義孝の舌打ちに、あやめは肩を跳ねさせる。
 苛々した様子で組んだ腕を指で叩く義孝は、深くため息を吐くとあやめに忌々しいといった視線を向けて、殆ど吐き捨てるように言った。

「本来の目的を見失うわけにはいかん。あやめ──お前でいい」
「え……?」
「お前と織部美由の婚約に持っていけるように予定を変える。お前は今まで以上に織部へ媚びて、気に入られる努力をしろ」
「ま、待って……」

 引き止めるあやめを振り切るように踵を返した義孝は、しかし戸口で立ち止まると、肩口に僅か振り返ってあやめへ嘲笑を向けた。

「これが叶わなかったら、今度こそお前は用なしの役立たずだ。お前が必要だったことなんぞ、ないがな」

 出ていった義孝に目を見開き、勢いよく閉められたドアを見つめるあやめ。
 あやめは美由が好きだった。
 ただ、ただ好きだった。
 そのために、釣り合う人間になるために白雪のなかで立ち上がろうと決意するほどに、幼くして既に投げ出していた人生を握りしめたほどに、美由のことが好きだった。
 それなのに、状況が変わった。変わってしまった。
 あやめの恋慕は、焦がれる想いは、保身の裏返しになってしまった。
 あやめの好意は白雪での立場を固めるための媚びも同然になって、あやめが許されている距離は義孝が目論む婚約者になるための特別扱いとして利用される。
 一石二鳥だと、これが好機だと、義孝を利用しようと思考を変えるには、まだあやめの恋は幼くて、潔癖であった。それなのに、状況を読むことだけはできてしまうから、あやめは。

「……う……ふ、ぅぅ……ああぁ……!」

 花が枯れるように崩れ落ち、あやめは涙を流す。
 震える小さな体を暖めてくれるひとは、この家のどこにもいなかった。

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