それは愛ではないの〈みゆあや〉




 目をかけてくれている、では済まない好意を寄せられていることは、美由とて分かっていた。
 生まれがどうであれ旧家の令嬢が蓮っ葉に振る舞い、構ってくることには当初面食らった美由だけれど、時間を重ね、距離が近づくにつれて琥珀色の目が切なそうに細められるのに気づいていたから。
 それでも、意外であったのだ。

「美由、白雪とお見合いする気はないかしら? ほら、あなたの先輩っていう女の子」

 兄が似た美貌も麗しく、母が見合い話を持ってきた。
 美由は飲んでいた紅茶で噎せた。
 長期休暇で実家に帰省していた美由は、あらあらと口元へ手をあてながら見守る母へ信じられないものを見る目を向ける。

「その手の話は成人してからではなかったの……というか、あたしは関係なかったじゃない……?」

 織部は嫡流である。双子であろうと優に万が一のことがない限り美由が当主となる可能性は微塵もない。
 代わりにほぼ自由な身であり、結婚とて余程問題のある相手でなければ誰とでも好きにしろというのが織部の方針であった。
 それでも織部の兄弟というだけで見合い話は舞い込んでくるもので、全て対応していればキリがないので話を受け付けるのは成人してから、本人が了承すればということになっている。
 現在、美由は十七歳だ。
 三年の猶予はどこへいったのか。
 それよりも。

「先輩からって……どういうことよ」
「あら……親しくしているのではなくて?」
「そうだけれど……」

 あやめは肉親以外で美由が心傾ける唯一の相手だ。
 だからこそ、この見合い話にあやめの意思が挟み込まれているとは考え難い。

「次男でもいいって思ったんでしょうねえ」

 母はあっさりと現実的なことを言う。
 妾腹とはいえ白雪家の娘だ。相応の相手に嫁がせることで得られる利があるだろう。
 その利がある相手の最高峰として、美由は白雪の「家」に選ばれたのだ。

「どうする? お断りするならそれでいいけれど」

 母は現状、白雪にもあやめにも全く興味がない。社交場で微笑み合う関係ならばいいが、婚姻を、と思うほどに魅力を感じていないのだ。
 あやめのことも名前で呼ばずに「女の子」と称したのだから、息子が親しくしている少女に対しそれ以上の感情がないことも窺える。

「…………受けるわ」



 トントン拍子に決まった流れ、お見合い当日は美由も来たことのある財界人御用達の料亭で行われた。
 学園以来、久しぶりに見るあやめの姿ははっとするほど美しく整えられていて、白雪の本気がよく分かった。。
 髪色は黒に染め直されて、頬の辺りで切り揃えられているという強引な変化が美由には好ましくなかったが、古代朱の大振袖はあやめの顔立ちや特に吸い込まれそうな琥珀色の目を引き立て、常よりも強張った顔に施された化粧もよく似合っていた。

「お久しぶりですね。本日はお会いできて嬉しく思います」
「私もお会いできて嬉しいです。ふふ、学園のときのようにできないわ。緊張してしまって……」

 形式張った挨拶をすれば、誰だお前と言いたくなるようなやはり形式張った返事がある。
 仲人に促されるままお互い無難に会話し、定番の「あとはお若いふたりで」となったところでお互い表情を変えた。
 美由は困ったような笑みに、あやめはぐっとなにかを堪えるように。

「今日はほんとうにわる……」
「お会いできて、よかった」

 美由はあやめの言葉を遮った。
 俯きがちだったあやめがはっと顔を上げ、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。

「せっかくおきれいにしてらっしゃるのですから……ほら、泣かないでください」
「泣いてない」
「はい、泣いてらっしゃいませんね」

 あやめは辛そうに胸元を押さえ、美由を見つめる。
 濡れた琥珀色の目は溶けてしまいそうだ。
 ざあ、と庭園の庭木が風に揺れる音がする。

「私が言ったんじゃない。でも、美由と親しいってもう耳に入ってて、無理だって言っても聞かなくて……」
「分かっていますし、責めるつもりもありません」
「……私からは断れない」

 織部が断れば、あやめは白雪のなかで更に立場を悪くするだろう。
 それでも、あやめは言外に美由のほうから断ってくれと言うのだ。
 望んでなど、いないだろうと。

「……今日のお衣装はほんとうにおきれいですね」
「……ありがとぉ」
「でも、好きじゃありません」

 琥珀色が星のようにまたたく。

「人形のように強いられて装われたあなたの姿には腹が立つ。ここで断ればまた繰り返されるのかと思えば腸が煮えくり返る。
 望むままに振る舞われる貴女をこそ、好ましく思っております。
 しかし、正直に申し上げます──ぼくでは女性としての幸せは差し上げられません。他の相手を紹介するので今回のお話は……」

 可能性がないわけではないが、子どもを抱かせてやれると約束はできない。
 上流階級の正妻として扱うことはできても、家族として「自分の女」として見ることは恐らくできない。
 大切にすることは幾らでも誓えるが、恋慕を向けるにはあまりにも美由は気が違っていて躊躇う。

「……女としての幸せってなに……」

 気づけばあやめは肩を震わせて目にいっぱいの涙を浮かべていた。

「親の言いなりになって、家にしか興味ない相手に嫁いでそいつの子ども産むことだけ要求されること……?」
「……そんなことにならない知り合いなら幾らでもご紹介できます」
「私は美由がいい!」

 とうとうあやめは落涙し、長く噤んでいた口を、閉ざしていた心を開いて叩きつけるように叫んだ。
 袖で泣き顔を隠し、ひ、ひ、と喉を引きつらせながら「美由がいいよぉ……」と繰り返すあやめの姿に、このひとはどれだけの孤独を味わってきたのかと美由は今更なことを考える。
 どれだけその意思を、心を、尊厳を踏み躙られてきたのだろう。
 どうして誰も彼女に寄り添うひとがいないのだろう。
 どうして自分以外に、立ち上がり彼女の肩を抱き寄せて涙を拭ってやる相手がいないのだろう。

「泣かないでください」

 あやめの背中を撫でて、目元に、蟀谷に唇を落として彼女を宥めるのが、どうして恋人でもない自分なのだろう。

「……あんなこと言うくせに、なんで甘やかすのぉ……っ」
「……貴女が大切だから」

 どうしてあやめを大切にできる人間が、自分しかいないのだろう。
 美由はあまりにもあやめが哀れであった。
 声に出せば殴られるだろうけれど、哀れで哀れで仕方がなかった。
 同情かと言われれば違うと答えるけれど、違うと見てくれるひとは兄以外にいないかもしれない。

「ねえ、貴女。幸せになれるかは分かりませんが、大切にするからぼくのところへ来なさい」

 あやめの呼吸が止まる。

「もう誰にも貴女を傷つけさせないから、ぼくのところへおいでなさいな」
「……いいの……?」

 他の相手ならば幾らでも用意できたけれど、あやめがそれを望まないというのだから。
 こんな気の違った人間がいいと指名するのだから。
 呆けたような声であやめが訊ねるものだから、美由はただ頷いた。
 あやめの両腕が美由の背中に回る。
 肩口へ寄せられた頬の熱さにあやすように背中を揺らしてやれば、あやめが「ねぇ」と呼びかけた。

「私、もう幸せだよ」

 美由は目を見開く。
 心臓が止まった錯覚さえある。
 潰えた願いがあった。
 気の違った自分ではなにもかもが叶わなかった。
 その一つを、大切にすると、大切にしたいと思ったひとが──
 美由はあやめを強く抱きしめた。
 もう、だめだ。
 もう、手遅れた。

「先輩……あやめさん、貴女が好きです」

 もう、あやめを傷つけるなにもかもを赦すことはできない。
 また一つ、美由のなかでなにかが外れ、崩れ、壊れて歪んだ。

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