五話




 口を割った魔性曰く、この村はとんでもない火薬庫であった。



 新郎新婦、その周辺のリストに目を通すグレンは「珍しいな」と呟き、茶を飲もうとティーカップへ手を伸ばす。その手にするりと重なる白い手。
 ランプの明かりにくっきりと浮かぶグレンの影には、なにも重なるものがない。

「なんだ?」

 グレンの肩口から腕を伸ばした魔性は、重ねた手でグレンの手をきゅうと握り込む。
 自身の動きを制止するような仕草に、グレンは片眉を上げた。

「その茶を気に入ったのか?」
「あ?」

 グレンの目がティーカップへ向く。
 ブレアから自由に飲んでいいと言われている茶は幾つかあって、グレンはそのなかでも一番消費されているものを選んでてきとうに淹れた。
 思い入れや興味などはない。
 多く消費しているなら、気安く飲んでも構わないと判断しただけである。
 ただの水のほうがよかったか、と鼻につく甘い匂いに思わなくはないのだけれど。
 グレンはふと引っかかりを覚えて魔性に問うた。

「この茶も毒、か?」
「定義による」

 魔性はまるで教師のようにきびきびとした動きでグレンの前へ回り込むと、フラスコを持ち上げるようにティーカップを手に取った。

「良薬と呼ばれるものは全て、人間にとって不都合に感じるものを相殺する効果を持っているから良薬と呼ばれているに過ぎない。毒薬と呼ばれるものは全て、人間にとって不都合な作用を引き起こす効果を持っているから毒薬と呼ばれているに過ぎない。
 どちらも同じなのだ。害になるという一言とて、状況によっては変わるであろう? 人間は過ぎる痛みに堪えきれぬ。痛みに堪え兼ねて死ぬることもある。なれば、痛みを感じなければ良いと思わぬか? されど、平時に痛みに鈍感であれば、致命傷を負ったことに気づかぬやもしれぬな? そういうことぞ」
「長い」

 魔性はしょぼんとした顔でティーカップを置いた。

「これも茶とは名ばかりの薬ぞ……」
「どの程度の効果があるんだ? お前が止めるんだ、相当だろう」

 前置きが大切なのは分からなくはないが、グレンは結論を先に聞きたい人間である。
 魔性が仕方のないものを見る目で見てきても、グレンの眼帯に覆われていない目は平然としたまま揺るぎない。

「この茶だけであれば左様な効果を及ぼさぬよ。ただし、飲み合わせや原料の使い方次第では、幻惑、陶酔の夢に痴れることも容易かろう」
「……放置しねえなんて、随分と親切じゃねえか」

 思い出せば妙におかしそうな様子であったが、茶を用意するグレンを魔性は止めなかった。それなのに、先程のように仄めかしというにはあからさまな態度を取る理由は、魔性にはないはずだ。

「そなたは私を随分と薄情に思うておるようだが、私はそなたをとても愛おしく思うておるよ……故に、薬に溺れ稀有な魂が堕落するなどもったいなくて観ておれぬ……」

 嘆くように顔を両手で多い、僅かな隙間から覗く唇を吊り上げる魔性にグレンは鼻に皺を寄せる。

「……くそ、仕事が増えた」

 ただでさえ性に合わない仕事をしに来たというのに、加えてとんでもない厄介事が隠されていた。
 魔性が今度は貴婦人のように優雅な手つきでティーカップを取り、そっと口に運ぶ。
 音もなく上下する喉。
 相も変わらずランプが作る影に魔性の形はないというのに、ティーカップの中身は床へ零れ落ちることもなく魔性の腹へ収まっていく。
 自身が散々に薬だ毒だと嘯いた茶を飲むことに躊躇のない魔性に、その茶が及ぼす影響など一切ないのだろう。
 魔性をも陶酔の夢に溺れさせるようなものがあるのなら、それは人の世になど存在してはおるまい。
 いいや、果たしてはそれもどうだろう。
 グレンは魔性との出会いを思い出し、すぐに脳裏から押しのける。
 思い出したくないほど忌々しい記憶というわけではないが、折に触れては思い出して触れたいような記憶でもない。
 眉を寄せるグレンの前で、茶を全て飲み終えた魔性がほう、と息を吐く。
 傷んだ花の香りがする吐息は、常よりも甘いような錯覚がする。

「ガーネット神父、如何するのだ?」

 ことん、と小首を傾げる魔性の愉快そうな顔。
 村を火薬庫へと変える秘密。
 茶の原料は、麻薬の原料だ。
 村で咲き乱れる内側が濃く色づいた薄紫の花、あれこそが麻薬の原料なのだ。
 放置することはできない。
 だが、茶が特産品になっている、あくまで麻薬の原料になることを知らず、茶の材料としてしか知らなかった場合、下手に告発すれば村は突如収入源を奪われることになる。村は立ち行かなくなるであろう。
 麻薬の原料と知っていて、むしろ利用していた場合は容赦も必要なく、加担した全ての人間から平等に責任という名の保障をむしり取ることも可能だが、誰も何も知らなかった場合が最悪だ。外部の人間だけが知っているという場合が、最悪だ。

「生産工場にされてねえだろうな……」

 既に出入りしている人間が、薬茶とでも言って「特別な調合」を頼んでいたら?
 そもそも秘跡を授けて即帰還を予定していたというのに、グレンは大幅に狂っていく予定に盛大な舌打ちをする。

「愛い愛い。働き者のそなたのためであれば、私はたんと手伝ってやろう」

 体重を感じさせない魔性がふわりと膝に乗り上げて、グレンと唇を合わせる。
 幻惑に痴れて堕落へ誘う麻薬よりも、もっと質の悪いものを味わっている現実に、しかしグレンが酩酊することはない。

「こき使ってやるから覚悟しろ」
「おお、怖いこわい……まこと、恐ろしい」

 平素からこき使われている節のある魔性は真顔になって、グレンの胸へぽすりと身を預ける。
 気位の高い猫が懐いているような、貴人が自分だけを頼りにしているような、そういう錯覚を無意識に振り向く魔性を鼻で笑い、ひとまずグレンは飲める茶を用意するため魔性を膝から落とした。

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