末の弟
「メフィスト、お前まさか…!」
「違いますよ。私のところに落ちてきたから、拾ってあげたまでです」
いつも通りメフィストの部屋にいたら、急に仕事が入っただとかで一緒に執務室に連れて行かれたのだけど、そこに男の子が入ってきた。
彼はメフィストに抱えられた私を見て目を見開き、メフィストを指差してわなわなと震えながら先ほどのセリフを口にする。
メフィストは私を抱え直しながらその言葉を否定し…その否定の仕方じゃ多分説得力ないよ。
案の定男の子は携帯を取り出しどこかに電話をかけようとし、そのままメフィストに取り上げられていた。
いつの間にかメフィストの手の中に移動していた自分の携帯を見て男の子は驚き声を上げる。
「ええええいつの間にか?!」
「うるさいですよ奥村燐。あなたに見つけられたのだって誤算だったのにこれ以上この子を見せびらかしてたまるもんですか」
「だって誘拐だったら雪男に教えなきゃと思ったんだよ」
「誘拐じゃないと言ってるでしょう」
奥村燐。
そうか、彼が主人公なのか。
ということは藤村神父はもう死んでしまっているのか。
原作軸だったとは思わなかった。
私はメフィストの膝の上から黙ったまま二人のやりとりを見学する。
メフィストが大きな手で私の顔を隠してしまっているので、指先の隙間からしか見えないのだけれど。
ふと、彼が私の方を見た。
指の間から、目があってーー
「メフィスト、その子の名前は?」
先ほどまで宿っていたハイライトが消えた瞳が私の目を捉えて、離さない。
しまった、やってしまった。
奥村燐の質問に、メフィストは私の顔を自身の胸元に押し付けた。
彼の視線は強制的に私から外されるも、奥村燐はめげずにもう一度同じ質問を繰り返した。
「そいつ、なんて名前なんだ?」
「あなたの教える必要を感じませんね」
メフィストから怒気が漂ってくる。
それでも奥村燐がこちらに向かってくる足音が聞こえる。
「もう一度聞くけど。その子の名前、教えてくれよ」
「…しつこいのは嫌いですよ」
「弟に優しくしてくれよ、なにも欲しいって言ってんじゃないんだぜ?」
お互いに圧迫するオーラで会話する。
間に挟まれてる私のことは完全に忘れられているようだ。息苦しい。
「メフィ、苦しい」
「!スミマセン、真!」
怒られることを覚悟してメフィストに息苦しいことを訴えた瞬間に慌てたメフィストが私の名前を零す。
メフィストの顔にやってしまった、という表情が浮かんだ瞬間に、私の片手が掴まれた。
驚いてそちらを見れば、きらきらとした表情の奥村燐が私の手を握りしめていた。
メフィストがその手を離そうとするが、私の手を傷めることを考慮して断念する。
「真っていうのな。俺は奥村燐。よろしくな」
にっこりと笑って私の手を握りしめる。あぁ、よろしく以外の返事は求めてないってことですか?
メフィストを見れば、仕方ない、とばかりにため息を吐く。
「わかりました、仲良くさせてあげますから、その手を離して差し上げなさい。赤くなったら許しませんよ」
メフィストから許可が出たので、奥村燐に返事をするために口を開いた。
「私は真と言います。メフィストに拾ってもらって、それ以来彼のお世話になっています。よろしくお願いします。奥村さん」
「奥村さんなんて無駄な距離は取んなって!燐でいいぜ!」
「はい、燐」
目が怖いです。
こちらをじっと見てくる燐から視線をそらし、メフィストの胸元に顔をうずめる。
「おや、どうしました?」
「メフィ、眠いの」
「それはそれは。このまま寝ても構いませんが、ベッドに行きますか?」
「うん」
本当は全く眠くないが、燐の視線から逃げるために嘘をつく。
メフィストがいないと悪夢を見てしまうため、私が眠いといえば必然的に彼も一緒にベッドに入ってしまうことになるので、仕事中であるメフィストには申し訳ない。
ニコニコと口元だけで笑うメフィストに抱き上げられたまま燐の横を通って、寝室へと向かおうとした瞬間。
「雪男がな」
燐が口を開き、彼の弟の名前を出した。
メフィストの歩みが止まる。
「仕事をしないなら、シュラと一緒に監視に行くからいつでも呼んでくれって言ってたんだ。メフィスト、仕事中。まだ終わってないんだよな?」
こちらを見やる彼の笑顔は、魔王サタンの息子らしい、悪どい笑顔を浮かべていた。
「…なかなかやるじゃないですか」
対するメフィストも随分と怖い笑顔を浮かべる。
「真は、私がいなくても眠れますか?」
その質問の答えはいいえだ。
頭を横に振って返事を出せば、メフィストは「そうですよねぇ」と嬉しそうに笑う。
「仕事が終わるまで、待てますか?」
燐の視線が突き刺さってくる。
「いい子にして、待ってるよ」
「はい。では、奥村燐。すぐに仕事を終わらせますから、真を抱えていなさい」
「やりぃ」
渋々とメフィストが燐に私を抱きかかえさせる。
燐の腕の中はメフィストと違って視線が低くて、少し不安定だ。
「真は見た目通りの重さだな」
「え、ご、ごめんね」
「大丈夫、ここにいるってわかって嬉しいから」
抱えられたまま燐は座り、胡座をかいた足の間に座らせられる。
メフィストはこちらを気にしながら今までに無い速さで仕事を進めている。メフィストそんなに仕事できるならもっとちゃんと仕事しなよ。
「燐、くすぐったいよ」
「ん?多分仕事終わったらもう抱っこさせてもらえないだろうから、今のうちにって思って」
燐のいうことは正しいだろうけど、首元のにおいを嗅ぐのはやめていただきたい。
お風呂には毎日入っているが恥ずかしいのですが。
「いつもメフィストと一緒に寝てんの?」
「うん。悪夢を見ちゃうから」
「へぇ、俺とでもダメなのかな」
「ううん、わからない。どうだろうね」
「今度一緒に寝れたらいいな。メフィストが出張の時とか。俺こっちに来るからさ」
「メフィスト次第かなぁ」
取り留めのない話をしながらメフィストの仕事が終わるまで約一時間。
ようやく机の上の紙束を捌ききったメフィストがそのうちの紙束を二つ抱えて燐に差し出す。
「これが奥村先生に渡す分ですよ。さぁ、持って行きなさい。そしてこれがシュラさんに渡す分です。」
「サンキューメフィスト!俺も雪男に怒られないですんだぜ!」
紙束を交換で私はメフィストの腕の中に戻される。
紙束を抱えた燐は部屋を出て行く直前でこちらを見て、にかっといい笑顔で笑った。
「メフィストにウンザリしたら、いつでも俺んところに来いよ!」
「さっさと帰ったらどうです?!」
珍しい、メフィストが怒った。
なははははと笑い声だけ残して燐は扉の向こうに消えた。
残されたメフィストは私の体の匂いをしきりに嗅いで、「奥村燐の香りがします。いますぐお風呂に入ってください」と服ごと私を猫足のバスタブに突っ込んだのであった。
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