この疑問は、正しくは『幸田灰音に手を出してはいないか』という意味を込めてのものだったが、彼はそんなこと知る由もなく、やれやれといった大袈裟なジェスチャーをしながら肩をすくめて言った。

「汝だけに力を貸す神なんぞおるものか、我はこの斉狐で祀られている有り難い神じゃぞ?」
「自分で有り難いというと、有難味に欠けるな」

だがそれは本当のことで、神が自分一人だけに目を向けているなんてこと、神が恋をしない限り在り得ない話だった。彼が人間に恋をするとは聞いたことが無いし(見た目が俺にそっくりだし灰音さんのことを美人と言っていたから、灰音さんに好意を抱いていることは無いとは言えないのだが、おそらく恋慕の感情ではないだろう。そもそも神に感情があるのかすら最早あやふやだが)、この神は言わば等価交換の神であるから、等価を持っている者には誰でも平等に、正しく等しく斉しく、その代価を渡す。それが彼だ。
俺であれば、俺の命の半分の生命力を渡すことによって、彼女を救う力を手に入れた。具体的に言えば、ある程度の条件はあるものの、過去や別のパラレルワールドに飛ぶことが出来る能力、そしてもう一つ、身体能力の向上だ。

「何か心配事でもあるのか、雫」
「名前で呼ばれるとは思っていなかったな。……いや、少し思っただけだ」
「力を与えた人間は何人かおる。ただその程度はそれこそ人によりけりじゃが、汝ほど頭のいかれた願い事をするやつはおらんよ。せいぜい今度のテストで良い点数が取れますようにだの、好きな人に思いを伝えられますようにだの、足が速くなりますようにだの、そんな可愛いものぐらいしか見ておらん」

それに等価が無ければ叶えることもしないからのう、とどこからか煙管を取り出して、煙を吐き出す。その仕草は俺が煙草を吸うのと似ていて、どこかもやっとする。

「何じゃ怖い顔をしよって。別に変わったことはここらでしておらんよ。……そうじゃな、一人変わった願いをしてきたやつはおったが、汝の知り合いか?」
「……?」
「同じように大切な知り合いが死んでしまったみたいなんじゃが、彼奴は生き返れ、戻ってくれなんて汝みたいにわがままを言っておらんかった。ただ『俺は彼女の喜ぶ顔が見たかった。だから幽霊でもいい、あの喜んだ顔がもう一度見たい』と言っておった。等価はなんじゃったかな……、元々霊感がない男に霊感を与えるというのは、また素っ頓狂な話よな」
「……それは、たぶん俺の知らない人だ」

この時の俺は、その話に出てきた彼の存在を知らなかった。否、知ってはいたが、まさかあの彼とは思っていなかったというのが更に正しい表現の仕方か。彼の存在を初めて直に見たのはいつだったか、今となってはいまいちわからないが、彼は彼で俺と似た状況に直面したにも関わらず、違う道を選んだのだ。


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