アメイロダンス

 きれいな夕日は晴れの兆し。
 ツバメが低く飛んだら雨が降る。
 星がまたたく夜は、風が出てきて寒くなる。

 いろいろとある迷信も、しっかり調べてみればちゃんと科学に基づいている。
 気になることを突きつめれば、迷信にも根拠というものがある。
 経験で身に付けた知識は時に教科書よりも進んでいる。

 なのに、二十一年間で身に付けた知識は、今の俺を少しも助けてくれない。
 どういうことなのだろう。

 古びたアパート二階。今にも崩れそうな屋根の上を打ち付ける雨音。
 ボツボツと止むことのないその音は、屋根を突き抜け部屋をすり抜け部屋の中にまでやってくる。
 ジメジメ、むしむし。暑苦しい部屋の中。
 換気をしようにもこのボロ屋に住む身。
 除湿機を買う金なんてない。
 窓を開ければ、さらに湿気た空気が入ってくる。
 じめじめ、じめじめ。
 紙が水を吸って、上手く文字が書けない。
 三枚、同じことを書いて、毎回同じところで失敗する。
 やんなる。ホント、やんなる。
 水の膜を纏う度、心も水を孕んでいく。
 
「あー。もう、ほんとやんなる」
「梅雨時期のネガティブ禁止」

 やる気も雨に流されて、握っていたペンを放棄する。
 もういいや、と放棄したところでやわらかな攻撃が頭に。
 見上げた先には、レシピ本を丸めた恋人。
 呆れた表情で見下ろしてる。

「何すんのさ、ヒロエさん!」
「これから飯食おうって言うのに、根暗な空気を出すんじゃない」
「ひどい、仮にも恋人が凹んでるんだよ? 慰めてくれたっていいんじゃない」
「……一応聞くべき?」
「お任せします」
「……マヤくん、ドウシタノ?」

 ひどい。
 視線を反らしながら、告げられた言葉はカタコト。
 ほんとに形ばかりだ。
 聞く気なんて、最初からない。
 なんて人だ。

 でも俺は言うよ。
 溜めこんでいたら、俺はこのままカビになる。
 キノコになってしまうから。

 今朝、届いた「相模真野」宛てで届いた封筒を指先で示す。
 ヒロエさんは、あぁ、それね、と苦い表情で笑う。

「今日も、就活、だめだった」

 大学四年。もう、四年。
 この一年なんてあっという間。
 目単位を取るのも一苦労だけど、その先のことを考えようとするとただただ気が急いて苦しくな

 就職説明会にも沢山言った。
 エントリーシートも沢山埋めた。
 けれどどこともご縁がない。 

 選んでいられないと言われる氷河期だけど。
 なりふり構う前に、土台すらしっかりしていない状態なのだ。
 スーツばかり着慣れてしまって、肝心の中身が何もない。

「そう焦ってもいいことないけどな。今が楽しい時期なんじゃねえの」
「……俺、一緒に遊ぶ友だち少ない」
「やめろ、俺が悲しくなる」

 今が楽しいのもいいけれど、友だちと遊び歩くのも楽しいけど。
 最近、脳裏にチラつく感情がある。
 ただただ、ヒロエさんの後を着いて行きたくない。
 後ばっかり歩くのは嫌だ。
 肩を並べたい。対等でいたい。
 ヒロエさんにばかり苦労を掛けたくない。
 社会人と学生。四つの歳の差は埋められないけど、あと五年経てば、きっとその差は気にならなくなる筈だから。
 そのために、「働いていること」っていうのは目安になる。 
 一緒に生きるためにはお金がないといけない。
 
 だから、焦る。
 追い付きたいから、必死にもなる。
 必死になったその結果。息切れ。
 意味ないじゃん。空回ってる自分に飽きれて、ちょっと悲しい。

「俺だって、ヒロエさん、甘やかす」

 理想ばっか高くなる。
 テーブルの上に突っ伏して、書きかけの履歴書と御断りの文書が入った封筒を眺める。
 屋根の上の音と同化する。 
 俺も雨になる。

「なんでカタコト?」
「自分で、言ってて、恥ずかしい」

 マヤ、シャイボーイだから。
 あまりの必死さと、籠った雨音に紛れていった言葉に顔が熱くなる。
 ちょっと、調子こきました。
 机の上に突っ伏して、顔を隠す。
 お願い、ダーリン、見ないで。

「就職浪人、でも俺は大歓迎だけど」
「やめて、縁起でもない!」
「そしたら俺はお前をまた一年甘やかせるだろ」
「ひどい、俺の決意をなんだと、」
「じゃあ、やることあるな」
「はい」
「でも、まあ、その前に気分転換、な」


 一度台所に引っ込んだヒロエさんが、言葉もなしに濡れた布巾を顔の上に乗せる。
 硬く絞られたそれで、拭けと言うのだ。
 テーブル片せ、の命に従い、書きかけの書類も封筒も全部脇に寄せて、テーブルをきれいに磨く。
 準備が整えば、湯気の立つ料理が並べられていく。
 今日のご飯も、ヒロエさんがじっくりと時間をかけて作ってくれた。
 カリカリ梅とちりめんんじゃこの混ぜご飯。
 ワカメとキュウリ、ちくわの酢の物。
 カツオのタタキと冷やしトマト。
 楽しみにしていた味噌汁は、千切りした人参と大根、もやしの味噌汁。 
 ちょっと渋いけど、俺が好きな食材ばっかり。
 甘やかされてる。愛を感じる。
 それだけで、俺の機嫌は急上昇するのだ。

 いただきます、手を合わせる。
 がっつくように食べる晩御飯。

 梅の触感が好き。舌の根っこがきゅっと締まる瞬間も好き。
 ちくわの甘さも、トマトの酸っぱさも好き。
 噛みしめるカツオは今が旬。
 給料日前だけど奮発してくれたんだろう。
 噛みしめる度に幸せがつのる。
 具沢山の味噌汁も美味しい。おいしい。

 俺んちの美味しいは、優しい。
 美味しいは、嬉しい。

「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」

 その気持ちごと。
 今日も残さずいただきました。

 明日からも、がんばれます。


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