おかえりなさいが待っている

 今年も正月はそれぞれ実家で過ごすから、三日の夜に帰る約束をした。
 親戚のおばちゃんたちに囲まれべたべたと触られ、おじさんたちにお酌をし、親戚の学生たちにはお年玉をせびられ、手のかかる弟の尻拭いをしていたら正月はあっという間に過ぎて行った。
 唯一、息抜きになったのは料理好きの従弟と話す時くらいのもの。
 カウントダウンは電話越しに恋人と迎えたが、あとは権力の強いおばちゃんたちに良いようにコキ使われた。
 家にいるより疲れたがそれに見合うだけの報酬も得た。祖母直伝の飯の作り方と土産として持たされた日用品の数々は、年末に慌ただしく掃除と片付けをしただけで十分な買い出しが出来ていなかったからありがたい。
 サエを送るついでにと、久々に父親が運転する車に揺られて思うのは車の便利さ。
 「ヒロも車位持ったらどうだ」と父親にも言われたが、ローンを組んで高い買い物をするよりなら晩飯のおかずを増やすことに注力したい。車の優先順位なんてその次の次の次くらいだ。
 生憎、所帯じみている俺は世間一般の男のロマンよりも「帰ったらマヤに何を食わせるか」ってことに情熱を注いでいる。家に帰ったら何を食おう、と昨日の夜からそればかりだ。
 お節とそばと雑煮はこの正月中いいだけ食べた。
 胃も疲れているしなにかさっぱりしたものが良い。
 ばあちゃんから習った料理も試してみたいし、マヤの反応も楽しみで仕方がない。
 家に帰って荷物を置いたら一先ずスーパーに行こう。
 中島に帰ってきたら顔を出せとも言われているけど、それは明日以降で良い。奴に捕まったらそのまま酒の席に引きずり込まれるのが目に見えているからだ。
 
 予定よりも数時間早い到着。
 道中、車内で早めに帰ることは伝えていて、マヤの帰り時間も聞いていた。
 それに合わせて飯支度を済ませようと思っていたのだが、今しがた帰って来た言葉は『もういるよ』と。それだけ。
「……ん?」
 どういうことだ。
 大量の荷物を抱えたままアパートの階段を上り、202号室のドアをノックすると、扉を隔てた向こう側から「はーい」と平坦な声が聞こえる。紛れもなく、この家の主。マヤの声。
「おかえりなさい」
「ただいま……。え? なんで?」
「なんでって、早く帰って来たから……?」
 両手に抱えた荷物をさりげなく受け取ってくれるのはありがたい。
 いまだにすっきりしない気持ちのまま、家の中に上がると部屋はあったかい。
 上着をきたままだと暑いくらい。
 ストーブの前に運ばれた座椅子と乱雑に積まれた本を見るに、ついさっき帰って来たというわけではなさそうだ。
 手を洗うために出した水はきれいで、ガスもすぐに起動して暖かいお湯が出る。
「マヤ、いつ帰って来た?」
「え? 啓恵さんよりちょっと早いくらいですよ?」
「時間の計算、時々大雑把だよね。結構前から帰って来てるだろ」
 ネタは上がってるんだ、と迫ると非常に気不味そうな表情で「昨日の夜から」と、白状する。
「全然ちょっとじゃないだろ〜」
「ごめんなひゃい」
 頬を挟むと、笑いながら謝る。
 特別太った様子もなければ痩せた様子もない。
 会わなかった約五日、健康的に過ごした証拠だ。
「別に怒ってるわけじゃないけど。……飯は?」
「インスタントだけど。ラーメン煮た」
「なら、良いけど。あ、土産もあるよ」
「ありがとうございます」
 さっき受け取ってくれた荷物を指すと、早々に荷物を整理をしてくれる。
 日用品は棚の中、または押し入れに。食べ物は冷蔵庫にと。
 忙しそうに働いてくれる背中はとても愛しい。なんなら部屋着も俺が買った物を着てくれてるので尚愛しい。そんな彼に早く帰って来た理由を尋ねると、彼はけろっとした様子で「バイトの代打を頼まれて」と告げる。
「は? それだけのために帰って来たの?」
「店長に泣きつかれたんで。家に帰っても親戚に絡まれるのが面倒だったんで、それを理由に戻って来たんです」
 頼まれたらノーとは言えない。
 他人とあまり関わろうとしなかった子が、嫌なことにもじっと我慢するような子が、人のために何かをしようと行動したのはいいことだ。
 それが「俺のため」ではないことに不満を覚えるのは大人げないことなのかもしれないけど。
「言ってくれたら良かったのに……」
「そしたら啓恵さんも急いで帰って来るでしょ?」
「……それは、まぁ」
 否定できない。
「今日バイトは?」
「休み」
「そっか。じゃあのんびりできるな」
「……そうですけど。でもよく俺が昨日帰って来たってわかりましたね?」
「いや、さっき、手洗った時に……」
「それだけで?」
「水抜きしていったのに水きれいだったし、ガスも点いてるし。基本的に省エネのマヤ君はそうまでしてお湯沸かそうとかしないだろ」
 出会う前までは稀に自炊もしていたらしいが、行動に移すまでに時間がかかるタイプだ。そんな彼が自分から抜いた水を戻して湯を沸かしてまともに食事をしようとしたのだからたいした進歩だ。
「えー、把握しすぎてて怖い」
「いや、君が分かりやすいだけだから」
「分かりやすいついでにいいますけど、今日はもうお風呂にも入ったよ」
「……それは、俺が帰って来るのに合わせてってこと?」
「ふふ、どうだと思う?」
 最近狡猾な誘い方を覚えたらしいマヤは普段動かさない表情筋を引き上げやりと笑う。
 正月早々そっちの方面に持って行かれても。据え膳は遠慮なく食いたい、とこだけど。
「でも、俺、啓恵さんの飯食ってからが良いです」
「……晩飯の用意だけはしよっか」
 そう言われてしまったらしょうがない。
 そんな可愛い我儘くらいいくらでも叶えてやるさ。
「何食いたい? さすがに正月料理は飽きたよな」
「牛丼」
「また濃いのが来たな」
「なんか、こう、啓恵さんの味が恋しくて」
「…………ホントに君は」
 いつも模範解答で困る。かわいい。
 こうなったらなんでも作ってやる。
 愛しさのあまり洗剤を抱えたままのマヤを有無を言わさず抱きしめる。
 あぁ、もう何度だって言う。俺の恋人、ホントにかわいい。
 風呂に入ったのは本当らしく、頭を撫でるとシャンプーの匂い。
 しばらく嗅いでなかった匂いにぐらつく理性を押し留めて、頭を撫でられ心地よさげに微笑むマヤに問う。
「冷蔵庫の中、なんか入ってたっけ?」
 貰って来たのはミカンとか餅とか正月料理の余りだった気がする。
 傷みやすい物は年末にすべて胃に収めたはずだ。
「ほぼ空ですよ。あ、でも実家から肉貰ってきました。牛!」
 覗いてみた冷蔵庫には、マヤの言う通りすき焼き用の肉が入っていた。
 霜降りが美しい、俺の給料ではとてもじゃないが手が出せない、お高い肉が。
「え、これどうしたの」
「父がお歳暮で貰ったのを貰ってきました」
「ホントに良い肉だよ?」
「それで牛丼が食べたい」
「すき焼きじゃなくて?」
「それはもう実家でやってきたので。鍋奉行の小言を聞きながら」
 眉間にしわを寄せるほど「もうしばらく鍋はいい」と頑なだ。
「すき焼きの肉を牛丼にするって罪深いことがしたい」
「まぁ、肉にとっては驚きの展開だろうな」
 味もそんなに変わらないってのが一番の驚きどころだと思うが、それをまだ知らないマヤは買い物に行くことを予想して上着を羽織り始め、出掛ける気満々だ。
 俺よりも先に玄関から出ようとするマヤはドアノブに手を添えた瞬間、思い出したように振り向く。
「ん? どうした」
「啓恵さん、あけましておめでとう」
「……え? あ、言ってなかったっけ」
「電話では聞いたけどね」
 そういえば、顔をあわせての挨拶はしていなかった。
 あまりにも普通に出迎えられて、いつもの心配をしたせいだろう。
「あけましておめでとう」
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ。……まぁ、胃袋に関しては任せてくれ」
「頼りにしてます」
 飯に関しては全力で寄っかかってくれるようになった。
 一年前から随分と進歩したものだと思う。


 新年を迎えて初めて食べる食事は、牛丼とわかめの味噌汁、それから祖母から教えて貰った紅白なます。
 いつも以上にシンプルで、量もそんなに多くはないが、これがいいとマヤが言うので、良いのだろう。
 今日も今日とて静かに俺の作った飯を喜んでくれるから。今年もいい年になりそうだ。
「すき焼きみたいな味する。不思議」
「そりゃあ、味付けにすき焼きのたれを使ってるからな」
「あ、そうだったの?」
「我が家のは、そうだな」
「あ〜、だからすき焼き食べて啓恵さんの牛丼恋しくなった、のかな?」
「……君ってやつは」
 俺の心を掴むには百点だ。
「あ、なます、どうだった?」
「美味しい……し、食べやすい」
「それは良かった」
 祖母の味付けは酸味が弱くて甘みが強い。きっとマヤが気に入るのでは、と手伝いをしながら聞き出したレシピ。俺のことも考慮してくれた祖母直伝の折衷案をマヤは気に入ってくれたらしい。箸休めにと食べてくれるのがありがたかった。
 腹も減っていたのか早々に完食してくれたのも、嬉しい。
「啓恵さん、初詣行った?」
「一応、地元のとこには行ったけど。マヤは?」
「行くには行ったんですけど、お守り買ってなくて」
 あまり縁起を担いだりはしないタイプだと思ったけど。意外なセリフに言葉の続きを待つと、どれを買うべきか迷ったらしい。
「合格祈願は必要ないし、家内安全って程でないでしょ」
「いや、案外大事かもよ? 俺的には無病息災であってほしいけど」
「次のデートは神社ですね」
 個人的にはマヤの誕生日っていうビッグイベントも控えているわけだけど。
 本人は目先のデートの方が気になるらしい。それはいつにしようか、明日は何を食べようか。
 明日から仕事が始まる。その前に、マヤ君に協力してもらいたいことが、ひとつ。
「デートもいいんだけどさ」
「うん?」
「俺としては風呂入っていちゃいちゃしたいんだけど?」
 おあずけ食らって数時間。
 俺としては良くもった方だと思うけど。
 満腹ですっかり油断していたらしいマヤは、「なんのこと?」と瞬きを繰り返す。
 引用したセリフの元をようやく思い出した彼は耳まで真っ赤にしながら、
「背中も流す?」と、かわいいことを言ってくれた。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -