構われたがりの返礼

 夕方だというのに少しも緩むことのない暑さの中、テレビの向こうのアナウンサーは涼しげな顔で「今年も記録的な熱さを更新するだろう」と。そんなことをのたまう。
 聞いている身にもなってほしい。
 課題をやる気力なんてとうに尽き果てた。
 レポート用紙にべったりついた頬からきっと汗が滲んでる。
 これを提出する頃にはきっと最高のものが出来るはずだから。
 だから今だけは休むことを許してと、自分に言い訳。
 ポンコツと化しているのは自覚してる。
 こんな俺より、きっちり自分の役割を果たす扇風機の方がお利口さんだ。
「う〜っ」
「煮詰まってんな」
「ヒロエさん、おれはもう駄目だぁ。なにも出来ない。ペンを握る気力もない」
「ダメになったら骨くらいは拾ってやる」
「その前に助けて……」
「レポートは自分でやってこそだろ」
「……友だちとやれとか、そういうこと言うのかと思った」
「言ってやろうか」
「友だちいないので無理です」
「だから配慮してやったのに。じゃあ、自分でがんばること」
「……はぁい」
 遠慮、じゃなくて配慮って言葉が出てくるあたり、先生って職業なのかなって。そんなことを思う。
 もう完全に思考はレポートになんか向ける気はなくなって、手なんか一ミリたりとも動こうともしない。
 扇風機が送り出すぬるい風が背中を撫でる度に、じわじわと汗が滲むのを感じることで精一杯。
「まぁや」
「ん〜?」
 間延びした、呼び声。
 ヒロエさんがこうして俺のことを呼ぶのは、甘やかしてくれる前兆。
 ちょっとだけ浮つく気持ちは声になる。言葉に滲む。
 なぁに、と返す言葉はヒロエさんの口調がうつったみたいに甘くなる。
「昼飯、いつ食ったんだ」
「バイト前」
 むしろ昼っていうより、おやつに近い時間帯。
 生協で買った蒸しパンひとつ、なんて言ったらきっとヒロエさんは怒るに決まってるからそこは曖昧に濁して。
 紙の上に貼り付けた頬を少しだけ上げて、上目に見た年上のその人はちょっと困ったような「仕方ないやつだ」みたいな表情でおれの頭を撫でてくる。
「箸を握るくらいの気力はあるか」
「ヒロエさんのご飯なら食べます」
「現金だな」
「いやいや、お金にはかえがたいよ」
「それはそれは光栄だな」
「愛が詰まってるからね! 俺への!」
 自分で言うなと軽く頭を掻き撫でられる。
 真夏でも溌剌としているヒロエさんは、よっ、と声をあげて立ち上がり蒸し暑い台所へと向かう。
 見送る背中。白いTシャツに汗が滲んで透けてるのにちょっとどきってしてしまう。
「飯、出来るまでに少しでも進めておけよ」
「はぁい」
 やる気なんてないけれど、ヒロエさんに言われたら少しは頑張りたい。
 だって、この課題が終わらない限りヒロエさんは全力で甘やかしてくれない。
 ご飯の後に甘やかしてくれるなら、気力の燃えカスに火を点けるしかない。

 蒸し暑い、真夏の本日の晩御飯。メインは棒棒鶏。トマトとキュウリ、たこのマリネ。茶碗の中のお米は今日もつやつやぴかぴか。ツルムラサキが出たことにちょっとテンションが上がった。
 味噌汁よりもお吸い物の方が良いと言っていた今日の八杯汁はいつもよりもシイタケの出汁が効いていて。シイタケの味がすると呟いたことに、ヒロエさんはひどく喜んでくれた。
 干しシイタケの戻し汁を使ってるからと、自分から種を明かしてくれた本人が「そんなに違う?」なんて確かめる様がちょっとかわいいと思ってしまったのは、本人には内緒。
 暑い中、作ってくれたご飯は今日も美味しい。
 温かいけど、涼しくもある今日の食事はあっという間に胃に収まることだろう。
 もったいないと思うことはあるけれど、残すことの方が失礼なのだと。他でもない、この人に教えられた。
「マヤ、それ食ったら課題すんの?」
「うん」
「あとどれくらいで終わる?」
 早く構わせろ、と案にそう告げる言葉に、思わず箸を噛む。
「一時間で、終わらせます」
 そう宣言すると、嬉しそうな、でもそれを隠そうとするヒロエさんの笑顔に胸がきゅっとする。
 じわじわと首筋にまた汗が滲むのは、決して暑さだけじゃないなぁと。それを自覚しながら、蒸し鶏の群れをひとつ、噛みしめた。


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