クライモアベイビー

 退屈な抗議を何とか終えて、ずっと開くのを我慢していた携帯電話を鞄の中から引っ張り出す。
 小難しい教授の言葉と、近くの学生の話声に混じって聞こえた振動音のおかげで着信の存在はあらかじめ知っていた。
 メールの内容は、ひどく簡単なもので今夜の晩御飯のメニューとそれにあうおかずを買ってこい、というミッションだった。
 指令を受けたのは今から二十分ほど前。
 本当なら受け取った直後に返信して今すぐ家に帰りたかったけど、如何せん授業時間を把握されている。そんなことをしようものなら、玄関前でお説教をされて、おいしいご飯が冷めてしまう。
 出来立てのご飯を食べさせたい。
 そのことにこだわっている彼の想いが無駄になってしまうのはなんだか悲しい。
 メールを貰ったらすぐに返したくなってしまうし、美味しい晩御飯が控えているならと思うと飛んで帰りたくなってしまうから。だから、彼からかもしれないメールや着信は講義中には極力見ないようにしていた。(世間では、それが当たり前の学生の姿らしいのだけど)
 それ、俺の好物。カレー好き。ヒロエさんも大好き。美味しいサラダを見つけてくるからね、愛してる。
 「了解」のたった一言で済むような内容だけど、余計な言葉と本心と絵文字で彩った文面はとてもカラフルだった。
 男のくせに、なんて意外に古風な持ち主でもある彼は鼻で笑うかもしれないけれど、気にせず送信ボタンを押した。
 大学を出る頃になって戻ってきた返事には「寄り道すんなよ」とそっけない一文のみだった。 




 自分の膝丈くらいしかない生き物が、右往左往。
 さっきから視界の中でちらついた。
 見たところ、二つか三つといったところの、小さな子どもがスーパーの生鮮食品コーナーをうろついていた。
 半玉キャベツをレタスのところにぶちこんだり、ぴんと張られた二個入りのトマトのラップに穴をあけたりといたずらし放題だ。本来であればここで注意する大人が現れるはずなのだが、叱るどころかその手を引く大人の姿がどこにも見当たらないのは、どういうことなのか。
 ミッションをクリアするために、友人からの誘いも断ってこのスーパーにやってきたのが十五分前。
 その時にこの子も一緒に入ってきた様な気がする。
 ヒールの高い靴を履いた母親と五つくらいのお姉ちゃんに手を繋がれた後姿を覚えている。
 それが、十五分前。
 いったい何があってはぐれてしまったのかはわからないが、自分を迷子と思っていないのであろう。その子は目の前の野菜いう名のおもちゃを前に、きらきらと目を輝かせていた。
 俺が狙っていた大根を見事に床に落とされた時には、さすがに怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、勇気のない俺は近くの店員を呼びつけることしか出来なかった。
 館内放送で迷子の特徴を聞きつけてやってきた母親は、やはり俺の見間違いではなく入店時に見たものとまったく変わりない恰好の人物だった。正面から見た母親の横顔は少し疲れの色が見える気がした。
「もう、どうして離れるのよ」
 ヒステリックな叫び声は、離れたところにいた俺にも聞こえた。
 年端もいかぬ子どもに対して、なにもそこまで言う必要はないじゃないかとも思ったが、無事親元に行ったのならば良いだろうと判断してそのまま買い物を続けた。
 大根とピーマンを買うだけなのに随分時間が経ってしまった。
 寄り道したわけじゃないのになあ、と思いつつレジを抜けた帰り道。
 思い出すのは、初めて迷子になった時のことだった。

 今夜は湯豆腐にしようと思って。またか、せめてちょっと高い豆腐にしてくれよ。
 両親のそんな会話を聞きながら出掛けた、地元では一番大きなスーパーで俺は初めて迷子というものを経験した。たしか、四歳の出来事だったように思う。
 先の両親の会話を聞き、驚かせてやろうという気になった俺は店に入るやいなや両親の手を振り切り豆腐売場まで一目散に駆けて行った。
 何度も来ているその店は、地図が描けるくらい見知った土地だった。
 母親が安さ重視で買ってくる豆腐も、父親が好きな銘柄も知っている。
 自信満々で飛び出し、見事にお目当ての豆腐を手に入れた時点でようやく気が付いた。
 両親の所在地は、頭の中の地図にも記されていないということに。
 あちこち歩き回って、二人の姿を探したが見つからない。俺を探していただろう両親とはことごとくすれ違い、途方に暮れた俺はついに泣き出した。持っていた豆腐も床に落とし、周りの大人たちの迷惑そうな顔も気にせずわんわん泣いた。
 その時俺の頭の中は、きっとこの世の終わりというくらいの絶望を抱いていたのだろう。
 1999年に地球が滅亡するといわれた時も2012年に世界が終わると言われても、その時以上の恐怖を感じたことはない。
 その後、鳴き声を聞きつけた母親によって無事に救出はされた。
 半泣きの両親にしこたま怒られはしたものの、その日の湯豆腐は俺が落としてぐずぐずの豆腐を使ってくれたし、それをきっかけに「おつかい」という任務を与えられるようにもなった。
 親馬鹿な両親は、湯豆腐が出るたびに「マヤが小さかった時は」とその思い出話を聞かせてくれる。言われなくても覚えているから、と何度告げても彼らはやめようとはしない。
 そのおかげか、いくつになっても昔の経験を忘れられないままでいるわけだ。

「おつかいに関しては今も続いてるけどな」
 鍋の底で鶏肉を炒める男前が、くっと喉を鳴らして笑う。
 片手にはビール、片手には菜箸を握って告げる姿は同じ男として憧れる色気がある。
「でもさ、湯豆腐なんて年に何回も出るんだよ。俺はスーパーに行く時と湯豆腐と豆腐売場に行くたびにその話思い出してそわそわするんだよ」
 まったく良い迷惑だよ、と口を尖らせるとヒロエさんは「なんで?」と不思議そうな顔をした。
「それだけ可愛がられてるってことだろ、いい話じゃねえか」
「そうかな」
「そうだろうよ」
 イマイチ、ぴんとこない。
 買ってきた大根の皮を剥きながら呟くと、ヒロエさんは「これは持論だけどな」と傍らのビールを煽って調理台の上に置く。
「生きてるっていうのは、その分愛されてるってことだと思うんだよ」
「……あれ、また道徳?」
「まあ、聞けって」
 寺の近くに生まれたせいなのか、歳の割に時々渋いことを言う。
「よく赤ちゃんは自分を守るために笑うっていうだろ」
「ああ、あの自分が弱いからってわかっているからっていうやつ?」
「そう、それ」
 たしかネットで聞き齧った程度の知識だが、赤ちゃんの方が下手な大人よりも社交的なんだなと感心した覚えがある。
「あれさ、本当だと思うんだよ。どんなにぶっさいくな赤ちゃんでも笑うと意外に可愛いもんなんだな」
「ヒロエさん、それすごい失礼じゃない」
「いいや、意外にサル顔の方が笑うと愛嬌があるんだって」
 まな板の上の野菜を順次鍋に投下しながら、その横顔が楽しそうに笑う。
「まあ、生きるための愛される才能ってのもあるんだろうけど。でも俺はな、人が生きるのには誰かからの愛情がなければ生きていけないと思うわけよ。生まれたばかりの子どもを一年間育てるだけで随分と金がかかわけ」
 子どもなんて育てたこともないんだけど、と茶化しながら告げるヒロエさんの言葉は俺の知らないような事柄をつらつらと並べていく。
 たとえば赤ちゃんが一年間で消費するミルク缶の総量と、その金額とか。
 あっというまに小さくなっていく洋服だとか。 
 夜泣きしたり、性質の悪いいたずらをしたりだとか。
 手を煩わせて生きた一年を、産みの親は苦労したと振り返るだけではなく「おめでとう」と贈り物や御馳走で祝うのだ。
 子へ注いだ一年を、そうやって愛で飾っていくのだ。
「だから、生きてることは愛された歴史であると」
「そうそう、お前も色んな人に可愛がられてきただろう」
「……まあ」
 両親に始まり祖父母に親戚、友人、知人、恋人。
 皆、それぞれ形は違っても少なからず何かしらの愛情はあるはずだと。
「お前を愛しいと思えるからこそ自慢したいんだよ、お前んとこの親父さんたちは」
「なんか、そういう話のあとで言われると恥ずかしいなあ」
 きれいに皮が向けた大根を狭い調理台の上に乗せながら思うのは、スーパーで見掛けたあの親子。
 あの母親は、仕事の帰りだったのかな。
 疲れた化粧でも誤魔化しきれなかった、あの疲れた横顔は寝ていないからだろうか。
 ヒステリックなあの声は、心配の裏返しだったのかな。
 そんなことを思うと、目頭が熱くなる。
「お? どうした」
「……玉葱が目に染みたんだよ」
「おお、そうかそうか。心の玉葱な」
 ヒロエさんの道徳は、想像力が豊かな俺には時々辛い。
「あ。ところで俺のもあるからな」
 なにが、と涙声のまま尋ねるとビールを一口含んだ口元が「愛」と気障な言葉を紡ぐ。
「愛されて育てよ、青少年」
「ヒロエさん、おっさんくさいよ、それ」
 自分のものよりも一回り大きな手の感触に心があったかくなる。
 いつかそれ以上の愛で返してやると心に誓って、包丁を握った。



 今日の夕飯はチキンカレー。
 大根とピーマンのサラダにもやし炒め。牛乳。それから福神漬けも忘れずに。
 俺も手伝った料理は、今日もおいしい。愛情、たっぷり。
 それでは両手を合わせて、いただきます。
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