返信 | ナノ
 Re:
I give you whom you should thank this
 

巣立ち
 刻々と迫る時間。
 こんなに心臓に悪い時を過ごすのは、何年振りだろう、ともよ子は壁に掛けてある時計を食い入るように見上げる。
 あいつが時間通りに来たためしがない。
 5、4、3、2、1。
 心の中でカウントダウンをするもよ子の傍らで、面白くなさそうにする父、幹次郎の姿があった。
 妻を亡くして14年。
 手塩にかけて大事に育ててきたもよ子に彼氏がいたという事実さえ、受け入れられずにいると言うのに、嫁に行くだ? もっての外の話である。そうじゃなくても、産声を聞いた瞬間から、この子は嫁になんぞいかせん、と豪語したぐらいのかわいがりようで、妻である、麻美が妬けるほどだった。
 麻美が亡くなる寸前、もよ子のことは心配いらないわね、それよりあなた、あなたがとても心配、と言うあたりからも伺える。
 5分遅れでチャイムが鳴り、幹次郎が顔を顰める。
 幹次郎とて、こんな日が来ることは、重々承知していた。
 しかしだ、しかしだが、少々その時期が早すぎるのではないか、と思われて仕方がないのだ。
 玄関先から声が聞こえてくる。
 もよ子の小言に、相手の男が平謝りする声だ。
 「お父さん、彼を紹介します」
 紹介されんでも良く知っている。
 「三角孝造さんです」
 「こんにちは。このたびはこんな形でお父様にお会いすることになりまして、何というか、すいません」
 頭をポリポリ書いていたかと思うと、三角は潔く頭を下げる。
 それに合わせてもよ子も一緒に、御免なさい、と頭を下げる。
 なんてこった。冗談じゃない。
 幹次郎の手に自ずと力が入る。
 教師の分際で、生徒に手を出すなんて、どういう了見なんだ?
 鋭い眼差しを浴びせられ、三角はすっかり萎縮してしまっていた。
 「お父さんの言いたいこと、分るけど、全部私がいけないの」
 こんなこと、女性に言わせる何座、男の風上にもおけん。
 胸ぐらを掴んで、一発殴りたい気分の幹次郎である。
 「もよ子、それは違う僕が自分の気持ちを押さえられなかったんだから、責任は僕にある」
 「とにかく、座りたまえ」
 長身である三角に見下ろされるのは、気分が良いものではない。
 まったく話にならん。
 高校卒業したら、すぐに籍を入れたいと言い出したのは、大雪に見舞われた意が継終わりの朝だった。
 何を寝言言っているのかと、最初は聞き流していたのだが、もよ子が真剣なまなざしを見て、幹次郎はギクリとなる。
 親の良く目を抜いても、もよ子はそこそこいい女に育ってくれた。間違いなく、麻美の血筋が色濃く出た結果だった。
 多少の覚悟はしていた。
 喉の奥がカラカラだった。
 「相手の男に、一度合わせなさい。話はそれからだ」
 絞り出すように言う幹次郎の顔を、もよ子はじっと見つめる。
 「分かった。せ、彼に相談してみる」
 あっさり引き下がったもよ子を見て、内心、その程度の気持ちかと、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
 その夜、もよ子がもぞもぞとい言い辛そうに幹次郎に話しかけてきた。
 「今朝の話だけど、受験のこともあるし、落ち着いてからしようってことになったから。でねお父さん、卒業式の次の日曜日、空けといて欲しいの」
 もよ子の話の流れで、幹次郎は、相手は同級生と呼んだ。
 「まったく今時の若者は、何を考えているのか分からん。学生結婚なんて、誰が許すか。そういうことは、立派な社会人になってから言いなさい」
 「恋に今も昔もないでしょ。お父さんだって人のこと言えないじゃない」
 そう言われてしまうと、身も蓋もない。
 麻美を見初めたのは、大学4年生の時だった。
 家庭教師をしていた相手、麻美を好きになってしまい、親の反対を押し切って二人は夫婦になった。
 もう少し待てと言う親の声など無視しての新生活。
 当然親の援助も得られず、麻美は行きたい大学を諦め、幹次郎についてきた。
 辛うじて大学を卒業し、就職をしてみたものの、思う通りの仕事が出来ず、短気を起こし、あっさり辞めてしまった。
 そこからがどん底だった。
 なかなか仕事が決まらず、麻美の収入に頼りきりになってしまっている自分が、どれほど情けなかったか……。
 思い出すだけで、涙が出てくる。
 挑むように見つめてくるもよ子に、幹次郎は何も返せずにいた。
 この時、まさか相手が、担任教師だったとは、梅雨とも知らずに、幹次郎はこの日を迎えたのだった。
 どうりで、と幹次郎は思う。
 父兄として対面せざるを得ない場面が残されている以上、明かすわけにはいかなかったのだ。
 謝恩会の席でも、やけによそよそしかったのは、全部この日のためだったのかと思うと、やたら腹が立ってきた。
 今朝、起き抜けに開いては誰だと聞く幹次郎に、もよ子は躊躇いを見せた。
 卒業式の式典中、幹次郎はそれらしき相手の目星をつけようと、目を更のようにして、卒業生たちを見ていた。
 躊躇うほどの相手……。
 もしや、あの背が高く髪をおったてていた、あいつか?
 「会えばわかるよ。父さんもよく知っている人だから」
 そう話すもよ子に、幹次郎は目を大きくする。
 「それじゃ分からん、ちゃんと言いなさい」
 「言ったら怒るもん」
 「言わなくても怒っとる。というより、言えない相手なら、今日、俺はそいつとは合わん。無論、結婚もさせない」
 「そんなの横暴」
 「横暴だと、親が、かわいい娘を守るのに、何が横暴だ。話にならん、俺は出かけてくる」
 「待ってお父さん、言うから」
 怒って出て行ってしまおうとする幹次郎の腕を取って、もよ子が懇願するように見つめる。
 なんてこった。こんな時でも、麻美そっくりな顔をしやがって。
 両親に反対され、自暴自棄になった幹次郎は麻美に別れを告げたことがあった。
 強引に別れを押し付ける幹次郎の腕を、麻美は握って話そうとはしなかった。
 「私は大丈夫。あなたについて行くって、もうとっくに覚悟できているから」
 あん時の顔だ。
 参った。血は争えないとは、良く言ったもんだ。
 「うむ。誰なんだ」
 「先生。三角先生なの」
 なんてこった。よりによって。これも血筋か?
 がっくり肩を落とす幹次郎を、もよ子は不安気に顔を覗き込んで来る。
 何を言っても、おそらく聞かないだろう。
 そんなのは百も承知。
 しかし言わずにいられないんだ、親として。あの日、自分らの親がしたように、子供の幸せのため。
 「将来を、どう考えているんだね」
 「もよ子さんは僕がしっかり養っていきます。大学も卒業させます」
 「君、それがどういうことか分かるかね?」
 「はぁ」
 「もよ子はまだまだ若い。ややをもすれば、別に好きな人が出来てしまうかもしれない」
 「お父さん、それは絶対ないから」
 「もよ子は黙っていなさい。いいかい、君が貰おうとする子は、そういう可能性を持っているということを知って置いて欲しい。今は君だけを愛しているかもしれない。だけどこの子にその度量を図るだけの力はない。今君を思っている気持も、一時的なものかもしれない。付き合うと言うならそれは構わない。しかし結婚となると別だ。4年間待って、それでも変わらないと言うなら、その時にまた話し合おう」
 「お父さん、どうしてそんな意地悪を言うの? もう良い、お父さんなんか大嫌い。行こう。話し合う必要なんてないよ。私は、三角先生が好き。三角先生さえいればいい」
 「もよ子、ちょっと落ち着こう。ここはお父さんが言う通り」
 「そんなの嫌。私は今すぐにでも先生と一緒になりたいの」
 あの日、麻美もそう言って、幹次郎についてきた。
 しかし、ずっとそれがここに引っかかっていたのも事実。
 本当にこれで良かったのか、もっと麻美にふさわしい奴がいたんじゃないか、そう思えて仕方がないのだ。
 「分かりました。僕が浅はかでした。もよ子さんとは今まで通り、結婚を前提でお付き合いさせてください」
 頭を下げられ、幹次郎は苦いものが口の中に広がる。
 ああきっと、あの日、麻美の親もこんな気持ちだったんだろうな。
 納得いかないもよ子をなだめ、三角が帰って行った後、幹次郎は一人、窓に寄りかかり酒を煽る。
 ガタガタと荷物をまとめる音が奥でしていた。
 言うだけのことは言った。決めるのはあの二人だ。親っていうものは、悲しい生き物だ。
 そう、つくづく思う幹次郎だった。

 
2018/03/13 (11:56)


悲哀
心が荒む。
人前で泣くなんて、そんなこと出来るわけない。
ましてや大切な人の前でなんて、出来るわけない。
頑張る?
何を頑張ればいいんだ。
頑張って頑張って頑張って、頑張ってもどうにもならないことだってあるんだ。
何で自分ばっか。
やっとやっとなんだ。
頑張って頑張って頑張って、夢がすぐそこまで見えてきたと言うのに、全部台無しだ。
辛すぎて、涙が出ない。
今は誰にも会いたくない。
夜が怖い。
目を瞑るのが怖い。
朝がやって来るのか、考えると眠れなくなる。
少しの物音にさえ敏感になる。
心が喚き散らす。
愛して愛して愛して。
震えが止まるまで強く抱きしめて、大丈夫なんて聞かずに、ただ抱きしめて、そして、その時のためにどうかこの大空に羽ばたけるよう、翼をください。
2018/03/05 (22:44)


さくら
 桜の花びらひらり、あなたが好きですと打ち明けた遠い日。
 春が待ち遠しくて、叶わない夢見続けています。
 季節外れの雪が降り、去年より少しだけ遅い春です。
 あなたは今もどこかで頑張っているのでしょう。
 止まることを知らない時間が、私を置いてきぼりにして行きます。
 そっと目を瞑る桜の木の下。
 またあなたと会えるような気がして、訪れたこの街はあの日のまま、騒がしくて、急ぎ足で人が流れて行きます。
 ああもっと強くこの手で掴んでいれば……。
 ああもっと素直に気持ち伝えていたなら……。
 後悔は募り募って行くけど、戻らない時間が今もなお、私の中で息づいて、夢を見させるのです。
 桜は今年もまた、鮮やかな色を誇り咲き乱れるでしょう。
 ああもう叶わない夢など捨てて、今を生きてみようと、思うのですが……。
 桜色の恋が邪魔すのです。
 あなたは何も知らずに、きっともう新しい恋を見つけたのでしょう。
 分かっています。
 春は遠く、風が少し冷たいけど、振り返り、それでも小さな溜息零しながら、私はあなたから卒業してみようと、やっと決心つきました。
 いつかまたどこかで会えたのなら、目を反らさずに微笑みあえるように、きれいになろうと思います。
 
2018/02/19 (14:27)


運命共同体
 まるでジュエリーを散りばめたように一面に、輝く星星。
 こんな空、見るのは何年ぶりだろう。
 凍てつく寒さが、身を震わす。
 幸田は、まっすぐ前を見据える。
 逃げる訳にはいかなかった。行きがかり上の、出来事である。ぴったりと背を張り合わせたこの子供とは、知り合いでもなんでもない。どうして、こんな目にさらされているのかさえ、判っていない。
 大きく息を吐く。
 やるしかない。
 喧嘩と無縁の人生だった。それは、これからもずっと変わらないものだと、思っていた。 残虐を絵にかいたような男が、唸りをあげ襲い掛かってくる。怯むな。という方が無理だ。目の前で殺されてしまった、この子の父親であろう男の手から剣を抜き取った幸田は、へっぴり腰ながら応戦。
 鈍い痛みが手に走り、剣を落としそうになる。
 すべての始まりは、一通のメールだった。
 見覚えがある名前に、目を細める。
 中学生のころ、幸田は父親の勧めで、ボーイスカウトをしていた。
 それなりに楽しかったし、忙しい両親に代わっていろいろな経験もさせてくれた。きっと良かったことなのだろう、と思う。そこで知り合った詩音と、大人への扉を開いたわけだし……。退屈だった活動が、待ち遠しくなったのも事実。二人で抜け出し、秘密を重ねるそのスリルが、幸田を高揚させた。好奇心と欲求のまま、詩音を抱き続けた。
 そして事件が起こってしまった。
 詩音が妊娠してしまったのだ。それに気がついたのは、皮肉にもキャンプ中、うっかり足を滑らせ、大怪我をした時だった。
 言い逃れできない状況。
 しかし、詩音の口からは、思いがけないことが告げられた。
 帰宅途中、見知らぬ男に、強姦されてしまったと。誰にも言い出せずにいた。と打ち明けた詩音。
 いろんな物議が醸し出され、暗黙の了解で、その事実は闇へと葬られた。
 胸が痛まなかったわけじゃない。言いだす勇気がなかっただけ。幸田は押し黙ったまま、ことの成り行きを見守った。
 そして、詩音は何一つ本当のことを話さず、幸田の前から姿を消したのだった。
 それがなぜ今ごろ、連絡をしてきたのか、半信半疑で幸田は指定された場所へやって来ていた。
 週末のテーマパーク。
 最近できたものだった。
 近未来館。
 科学の進歩というものは恐ろしい。
 映像とは思えない、具象化された建物が立ち並び、席に着いただけでメニューが目の前に出現。
 目の動きで読み取り、瞬きひとつで飲み物が運ばれてきていた。
 詩音が指定してきたのは、ホワイトゾーン。
 つまり誰にでも優しい環境が整えられている。言葉が話せなくても、目が見えなくても、何がなくても楽々生活が出来る。白は自由の象徴らしい。
 居心地の悪さに、落ち着かない気分で、幸田は詩音が訪れるのを待った。
 コーヒーに手を付けることなく、待つこと一時間。
 きっと、昔の自分を知る誰かのいたずらだろう、と思い始めた矢先だった。
 音もなく車椅子に乗った少年が、幸田が座るテーブルへとやって来て、わずかに頭を下げる。
 人違いでもしているのだろう。と愛想笑いを浮かべつつ、幸田は辺りを見回す。
 「今日は来てくれてありがとう」
 その声に、幸田はハッとさせられてしまっていた。
 懐かしい詩音の声だった。
 しかし、詩音らしき人物はどこにもいなかった。
 「私は今、難しい環境に身を置かされています。彼、真凛があなたのしもべとしてこれからあなたを、援助してくれるでしょう。どうか、これから起こることを、非議しないで、受け止めて欲しい」
 幸田は真凛という少年を、まじまじと見る。
 顔色一つ変えず、真凛は車椅子の向きを変える。
 「おい」
 身を乗り出すように立ち上がった幸田は、詩音の肩に掴み掛かろうとしていた。
 「来るよ」
 振り向き様に言われ、幸田は目を見開く。
 今まで、目の前に広がっていた未来都市がもろく崩れ落ち、空は破れ、パラパラと何かが降って来ていた。
 一瞬の出来事に、誰もが身動きが出来ずにいた。
 数秒遅れて、それは悲鳴と変わる。
 逃げ惑う人々。
 あちらこちらに火の手が上がり、降って来たのは、得体のしれない兵器を持った生命体だった。
 銃砲は間違いなく、幸田たちにも向けられているものだった。
 「どういうことだ」
 無我夢中で真凛の車椅子を押し、逃げながら幸田が尋ねる。
 「北ゲートへ向かって」
 「北だ?」
 地面に無数の穴をあけながら、銃弾が後を追って来ていた。
 ホワイトゾーンを抜け、ブルーゾーンへ足を踏み入れた幸田は、何かに足を掴まれてしまっていた。
 「これを」
 真凛が、銃を手渡してきた。
 無論、銃の扱いなど分らない幸田である。
 見れば青白い顔をした髪の長い女が、幸田の足を掴んでいた。
 女の歯が、幸田のすねに食い込む。
 このままでは、噛み切られてしまう。と思った幸田は、無我夢中で引き金を引く。
 走るしかなかった。
 ダラダラと血を流し、芝生が敷き詰められた広場を抜け、花時計を踏みつけ、重い鉄扉を力任せで開く。
 鉄が軋む音ともに開かれた中へ、幸田と同じように逃げ惑ってきた人々が流れ込む。
 猶予はなかった。
 「早く扉を閉めて」
 真凛に促されるまま、幸田は赤い非常ボタンを押す。
 まだ入りきれていない人が、雨の用に振り落とされ、何人もの人がその扉に躰を引き千切らてしまっていた。
 目を覆いたくなる光景に、幸田はガクッと膝を落とす。
 この惨事を、世の中はどうニュースとして流すのだろう。
 足の痛みより、報道関係者としては、そちらの方が、幸田にとって重要だった。
 振り返った幸田は、頭を大きく振る。
 「どうなっちまっているんだ? 詩音、いや宮沢はどこで何をしているんだ?」
 「母は、組織に捕まっています」
 「組織って、おい、このことと、何か関係があるのか?」
 「とにかく、父の元へ急ぎましょ」
 ますます分らなくなってしまった幸田は、足が竦む思いで真凛を見る。
 今の状況と照らし合わせ、真凛のあろうはずの足がないのは、奴らに食い千切られたってことなのだろうか?
 鉄の扉が不穏な音を立て、パラパラと埃が舞う。
 「急いで」
 促されるまま、生命館へ飛び込んで行く。
 薄暗い館内を突き進み、赤黒く光る隕石の前へまで行った時だった。
 有ろうことか、真凛が立ち上がったのだ。
 「お前、足は」
 驚きで幸田は口をパクパクさせる。
 真凛は動ずることなく、その隕石へ手を照らす。
 後ろの壁がゆっくり開き、真凛は顎で幸田を促す。
 何が何だか分からないまま、幸田は真凛に続く。
 地下室。それとも隠し部屋。そんなものを想像していた幸田は、思いがけない光の眩しさに目を細める。
 そこはテーマパークの外だった。
 まるで、中と外では別世界である。
 何事もなかったように、普段通りの生活が織りなされている。 
 一つ言えるのは、受付終了の看板と、向こう側の空の色が違っていた。
 説明を求める幸田。
 しかし、真凛は何も話そうとはしなかった。
 地下鉄を乗り継ぎ、バスに揺られること40分。
 見たことも聞いたこともない僻地に辿り着いた二人を、大柄の男が出迎える。
 真凛の父親、如月だ。
 如月が幸田の謎を解いてくれた。
 国家機密。
 人体実験が、密かに行われていた。
 名目上は、不治の病の治療薬開発。
 詩音は、開発チームのリーダー的存在だったらしい。
 そこまで説明をした如月は、真凛を見る。
 生まれつき体が不自由だった真凛のため、詩音は研究を続けていたのだという。
 そして、その研究は実を結び、詩音は真凛の病を治すことに成功。しかし、それには産物があった。
 特異体質になってしまった真凛を、国家は欲しがった。
 渡せば、モルモットのように、実験材料にされてしまう。
 襲ってきたのは、真凛が受けた治療で失敗した人々である。
 我を失い、感情をコントロールできなくなった彼ら彼女らは、特殊電波でコントロールされているのだと言う。
 この子を、守って欲しい。と懇願された幸田は、目を瞠る。
 お門違いも甚だしい。なぜ自分が。という思いに駆られる。
 「あなたしかいないのです」
 その言葉の意味を聞く前に、襲われ、こんな状況が生まれてしまっていた。
 置いて来たはずの車椅子が、空を飛んでやって来る。
 「早く捕まって」
 襲い掛かって来たやつの腕を切り落とした幸田が、片手で取っ手に掴む。
 「目、閉じて。飛ぶよ」
 へ?
 すさまじい耳鳴りがその瞬間、幸田を襲う。
 見知らぬ土地へ転げ落ち、幸田はそのまま気を失ってしまう。
 
 あと何年、この戦いを続ければ、終わりが来るのだろう?
 研ぎ澄まされた聴覚が、物音を捕える。
 反射的に身構え、幸田はいつ襲ってくるか分からない相手を、待ち構える。
 真凛と暮らすようになって、かなりの年数が経つが、少年のままである。
 永遠に、年を取らないのであろうか?
 ふと、真凛の誕生日が聞きたくなった。
 教えてはもらえないであろう。と思った問いに、真凛は半瞬ほどの間を置き、応えた。
 信じがたい事実。
 真凛が静かに微笑む。
 その笑みが、すべてを物語っていた。
 だからか。と思う。
 食い千切られそうになった俺の足を見て、真凛がにっこり微笑み、こう言ったのだ。
 「そんな傷、唾をつけておけば治るよ」
 言ったとおり、真凛が唾を吹きかけ、その傷は見る見る回復して行った。
 義足だと思った足が、元通りになったのは、幸田の食いちぎられた肉片と、血がもたらした奇跡だった。
 恐ろしいほどの、修整能力。
 これを欲しがる者が、後を絶たない。てことか。
 すべて、理解できた気がした。
 多少なりにも、サバイバル経験がある幸田に、真凛を預ければ、何とかなると詩音は考えたのだろう。
 如月は、父親でも何でもなかった。
 護衛勤務で詩音に付くことになり、惹かれた。そして、真凛をここから連れ出してくれ。と頼まれたのだった。血のつながりがある幸田を探し、真凛を生かさせて欲しいという、たった一つの願いをかなえるため、身を挺し危険を顧みず、そして彼は散って行ったのである。
 真凛が、背中を合わせてくる。
 背中が怖い。という真凛のため、いつも俺たちは背中合わせで寝る。 
 気配を消し、見えない敵に耳を研ぎ澄し、気の休まることのない日々。
 きっとこれはあの日、勇気を持てなかった自分への罰なのであろう。と、瞬く星を眺め、幸田は思うのだった。
2018/02/15 (11:09)


ずっとね
 こんなこと話したら、頭のおかしい人だと思われてしまうかもしれないけど、本当だから仕方がない。
 「信じなくてもいいよ。自分でも信じられないんだから」
 そう前置きをした由真は、まっすぐと迫田を見る。
 運命的な出会いでも偶然でもない、必然的に巡り会わされたと、力説をした由真。
 二人は今日初めて会った。
 待ち合わせるとか、そう言った類ではない。
 すれ違いざま、由真の伸ばした手によって、通行人の一人、迫田が引き寄せられた。
 何とも衝撃的な出会いである。
 頬を赤くするとか、どぎまぎして話し掛けて来るとか、はたまた擦れた感じでもない。極々普通で、まるで知り合いに偶然会ったから、手を掴んだといった具合で、迫田としては、あれ誰だったっけな、などと一瞬錯覚してしまったくらいだった。
 しかし思考を張り巡らせたところで、思い当たるはずもない。初めて会った人物なのだから。まるで会ったことがない女性にこんな形で呼び止められるとは、予測不能の出来事に、迫田はすっかり気が動転させてしまっていた。
 女性経験がない迫田である。付き合ったことすらない。憧れどまりの恋愛。せいぜい二次元世界に没頭して、一人慰める日々を送っていた。
 チャンス到来。来たぁぁぁぁモテキ。
 頭の中に流れるテロップとは裏腹に、迫田はむっつりと由真を見る。
 そんな迫田の威嚇をものともしない由真は、ニコニコと、嬉しそうに顔を綻ばせ話し始める。
 何だこいつと思った迫田だったが、見れば目はクリンとして、ふくっらとした顔立ちが、愛嬌を感じさせる。きれいというより、どちらかというとかわいい部類の顔立ちだった。
 いわゆる、逆ナン?
 などとにわかな喜びを抱き、何ですか? と迫田は首を傾げた。
 「ごめんなさい。ずっと、あなたを探していました」
 はっ?
 「ここでは何ですから、あそこ、入りませんか」
 指さされた方へ目をやった迫田は、困惑の色を隠せずにいた。
 明らかにそれを目的にして入るホテルの看板である。人は見かけによらない。いやいや、行き成り呼び止められた辺りで、そういうパターンも有っちゃ有だけど……。
 迫田の返事も聞かないまま、由真はスタスタと歩き出す。
 嬉しいが、迫田ははたと我を取り戻す。
 女を買うほどの手持ちはない。逃げかえるには惜しい気もするが……。通帳の中身のことを思い返す。残高も乏しいものである。しかし、しかしだ。あと数日待ってもらえれば、給料が入る。その暁には、ぜひ君を抱きたい。そう言ってこの場を取り繕うっていう案が浮かび、迫田は前を歩く眉に声を掛けた。
 「あの」
 その声に反応して、由真が振り返る。
 「ああすいません。まだ、名乗っていませんでしたね。私、名取由真と言います」
 首を斜め45度にかしげた由真が微笑む。
 きゃわいい。
 白い肌に、真っ赤な口紅が良く似合っている。染めていない、光沢がある黒髪も、迫田を引きつける材料になっていた。
 「もう少しです。急ぎましょ」
 つい言いそびれてしまった迫田だが、もうそんなのどうでも良くなってしまっていた。
 大通りから細路地へと入って行く。
 もう何年もこの町に住んでいるが、ここを通るのは初めての迫田。
 両脇には昔ながらの店が並び、思い出したかのように、民家が現れ、塀からはみ出した枝に襟元が引っ掛かり、一瞬迫田は焦る。
 「あの、すいません」
 なかなか外れず、どんどん行ってしまう由真に、迫田は慌てて声を掛けた。
 ちょこんと首をかしげた由真が振り返る。
 「大丈夫ですか?」
 「枝が引っ掛かっちゃって」
 そういう迫田を、由真は助けるでもなく、ただニコニコと見ているだけだった。
 半ば強引に枝を折ってその場を凌いだ迫田が、小走りで由真の元へと駆け寄る。
 少し気が大きくなった迫田は、由真の手を取り、照れ笑いをする。
 「これなら、はぐれないでしょ」
 由真は何も言わず、にっこりする。
 汗ばんだ手で握られて、気持ち悪いはずなのに……。
 路地を抜けると、なつかしいレトロ感満載の街並が目の前に広がった。
 由真にギュッと手を握り返され、迫田はドキドキしだす。
 春が、来たぁぁぁぁぁ。
 鳥のさえずりさえ聞こえ、有頂天になった迫田は疑うこともなく、その街へと一歩踏み入れた。
 「あそこです」
 由真が指差したのは、古い時計店だった。
 「ただいま」
 ただいまって?
 キョトンとする迫田の手を、由真は放そうとしなかった。
 「おかえり」
 入って来た二人を見て、パイプをくねらせながら作業していた老人が顔を上げ、目を細める。
 「見つかったのかい?」
 「うん」
 何の話をされているのかさっぱり分からない迫田は、急に恐怖を覚える。
 「怖がらないで。大丈夫。すぐに楽になるから」
 涼しい顔で言う由真に、迫田は目を見開く。
 「ほれ」
 老人が差し出したのは鍵だった。
 「じゃあちょっと行ってくるね」
 「行くって?」
 にっこりする由真はもう化け物にしか見えなくっていた迫田は、悲鳴を上げ暴れ出すが、その抵抗も虚しく、見えないドアが開かれ、中へと引きずり込まれてしまったのだった。
 後の記憶はない。
 気づくと、ぼんやりと視界に天井が映り、徐々にはっきりしてくる意識。
 目の前を何かが遮る。
 急に音声があげられたかのように、一気に音が耳へ流れ込んできた。
 そのけたたましさに、迫田は顔を顰める。
 「辰巳、私が分かる?」
 視界がはっきりして、その相手を見て、迫田は顔を引き攣らせる。
 由真だった。
 「良かった。ずっとね、ずっと、神様にお願いしていたの。あなたに新しい人生をプレゼントさせてほしいって」
 何を言われているのか分からなかった。
 そこから後のことは、記憶があいまいで、はっきりと覚えていない。
 バタバタと無数の足音が聞こえ、器具が外され、そこが病院だと分かるまでしばらく時間を要した。
 誰も由真の存在を知らないという。
 あれは誰だったのか、分らないまま月日が流れ、迫田は新たな人生の一歩を踏み出していた。
 IT企業で働いていた迫田は、過労で倒れ、意識不明のまま何日も眠り続けていた。
 面識のない女性、名取由真は何者だったのか……。
 
 「しかしさおじいちゃん、こんなことして、何の意味があるの?」
 由真が口を尖らせながら、次なる人物へメモリを合わせながら聞く。
 パイプをゆっくり燻らせた老人が、目尻に沢山の皺を作り答える。
 「昔からの習わしじゃよ」
 「習わしって、もうそんなことが聞きたいわけじゃないのに」
 そういう由真だって、昔々はお転婆な人生を謳歌していた。
 そんな由真は、時折耳にする声に悩まされていた。誰に言っても聞いても信じて貰えない、その声ははっきりと自分の名前を呼ぶものだった。
 一人でいるときに決まって聞こえてくる声。
 しばらくして、すれ違う人に色があることに気が付きた由真は、その法則に辿り着くまで時間を要さなかった。
 怖くなった由真は母にそのことを訴えたが、それは予想とはまるで違っていた。
 みるみると顔色を変えた母親は、由真を物置小屋へ閉じ込められてしまったのだ。
 訳が分からなかった。
 泣いてお願いする由真に、悪魔祓いだ、我慢しなさい。という母親の声がとても恐らく、一晩、凍える思いで過ごした。
 そしてまたあの声が聞こえてきたのだ。
 暗がりに目をやり、その声の主を由真は必死で探した。
 「こっちじゃこっち」
 恐る恐る奥へと入って行った由真は、足に固いものがぶつかりそれを手にする。
 壊れた時計だった。
 「ねじを回してごらん」
 言われたとおり、由真はねじを回した。
 鈍い音を立てまわるネジ。
 回しきっても、針は動こうとはしなかった。
 壊れていると思いながら、由真は時計を振ってみる。
 耳を当て、何かのからくりがあるのではないか探る。
 何の音もしないことに、やっとあきらめをつけた由真はその時計を放り出した。その時だった。
 秒針が動く音がしたかと思うと、由真の目の前にこの時計店が現れたのは。
 訳が分からないまま、由真は好奇心で、扉を開いた。
 カチコチと小気味よい音が響き、老人が優しい眼差しで由真を迎え入れる。
 「ようやくたどり着いたね。ずっと探していましたよ姫」
 「は?」
 「時のうねりに飲み込まれ、あなた様が姿を消してもうどのくらい経つのでしょ? さぁ忙しくなりますぞ。あなたが司っていたものが誤作動し始めています。修正して回らねばなりません」
 「何の、話をしているんですか? おじいさん、誰?」
 目を見開いた老人の目には、薄らと涙が滲む。
 「嘆かわしい。魔物に、意識をもぎ取られてしまったのじゃな」
 そう言って老人は懐中時計を取り出し、修理を始めだす。
 「すぐですぞ」
 一瞬にして、由真の意識は飛び、気づくと母親の手の中に抱かれていた。
 「いい由真、もう絶対に口にしてはいけないよ」
 「恵美子さん、この子には不思議な力がある。それを生かして」
 「おばあちゃんは黙っていて」
 薄らとしていた記憶が鮮明になる。
 初めて色を見分けた日のことを、由真は思い出す。
 黒ずんだ人とすれ違い、由真は手を引く母親に告げたのだった。
 「ねぇあの人、どこか悪いのかな?」
 「何よ急に」
 「真っ黒黒。まるで死人みたいに見えるね」
 それは近所に住むおじさんだった。
 その夜、おじさんは借金を苦に自殺をしてしまった。
 ただの偶然。
 一度はそう思った母も、二度三度と度重なる真実に、険しい顔になって行った。
 そしてあの日、祖母の異変に気が付いた由真は必死にお願いをしたのだ。しかし、祖母は嬉しそうに老人会の慰安旅行へ出かけて行き、帰らない人になってしまった。
 母親は、由真を恐れるようになった。
 死を呼び寄せているのは我が子。そう思い込んでしまったのだ。
 母は宗教にはまり、由真を悪魔と呼ぶようになる。
 そして、つに母親は由真を手にかけてしまった。
 遠のく意識。
 そうだ、私は閉じ込められてんじゃなくて、隠されたんだ。
 
 「どうです? 思い出しましたかね?」
 「私……」
 「あと数秒遅れてしまったら、取り返しがつかないところでした」
 にっこりする老人を、由真は言葉なく見つめる。
 「まずはあなた様の存在によって、生じてしまった歪みを直して行きましょう」
 迫田は本来、名取家に生まれる予定の子だった。
 まったく違う人生が用意されていたのだ。
 母親も怯えて過ごすことなく、余生を送れたはず。
 しかし、羅針盤を覗いた由真は、顔を顰める。
 すっかり形相が変わり、人目に付かないように暮らす姿がそこにはあった。
 本来なら……。
 だから迫田を見つけ、第一声はあれで良かった、と由真は思っている。
 ずっとずっと謝りたかった。
 そして、出会うべく人と出会って欲しい。
 心からそう思うが、ふと由真は老人を見る。
 だったら私は何者なの?
 ずっとそれが知りたいのに、知ってはいけないような気がして、由真は聞けずにいる。
 自分の存在が歪みを生じさせたって、何?
 悲鳴を上げたい気分の由真は、カチリと音を立て止まったメモリに、目を落とす。
 ずっとね、それを知りたいだけだった。
2018/01/23 (13:53)


響け
線路沿いのぼろアパート。
電車が通るたび、揺れる、最低最悪な住み心地が悪いアパートなのに、僕らは幸せでいっぱいだった。
化粧をする君の背中を抱き、キスをする。
他愛のない会話が嬉しくって、時間が経つのも忘れて話していた気がする。
僕には夢があった。
大学生からずっとやって来たことだ。
人を感動させたい。
君への愛がすべての原動力になっていた。
物になるか分からない夢に、君は応援すると言ってくれたのが、嬉しくって愛おしくって、離れたくないと、心から思ったんだ。
そして、二人は一緒に暮らし始めた。
けだるい朝。
君は僕の腕から抜け出し、大慌てで着替えて出て行く。
窓から見る君はいつだって一生懸命で、楽しそうだった。
君はどんどんやりたいことを見つけ、それを実現させていく中、僕のもやもやが募る。
絶対あきらめたくない。その思いの陰で、あきらめが顔をのぞかせる。
人の言葉に打ちのめされ、心が折れる。
人を感動させるどころか、目にも触れられない現実。
そして、気が付かないうちに二人の間にできてしまった溝。
君が何を考えているのか、さっぱり分からなくなってしまった僕は、必死でもがいた。
もがけばもがくほど君は遠い存在になり、ある日、君は別れを切り出した。
悲しい現実を受け止めるのに、かなりの時間が費やされたことを、君は知らない。
毎日が味気なく、音がない世界で僕はしばらく生きていた。
励ます友の声も、街も、あんなに煩わしかった電車の音さえ、まるで耳に入って来ない。無声映画の中の主人公化した僕は、夢を見ることを辞めた。
伸ばしていた髪を切り、吊るし売りのスーツに身を固め、うわごとのように同じことを繰り返し繰り返し、自分を偽り、着飾った。
そのかいあって、見事当選した会社で働きだしたのは、君が去ってから二月とちょっとしてからだった。
それが良かったのか悪かったのか分からない。しかし、僕は僕であり続けるしかできないことに、最近ようやく分った気がする。
新しい恋をしたよ。
その度、君を思い出してしまうのは癪だけど、あれだけ好きだったんだ、仕方がないことだと思う。
押入れの奥にしまい込んだギター。
久しぶりに奏でられてうれしいそうに鳴り響く。
幾つもの季節が僕の目の前を通り過ぎ、それなりの年になった僕は君以外の人を、心から愛せるようになったんだ。
君のことも話したよ。
それでも僕を愛してくれるって、その人は言ってくれたんだ。
だから僕は昔の夢を引っ張り出すことが出来た。
君への思いと、そして新しく始まろうとする生活に、響け響け愛の歌。




2018/01/15 (11:58)


LOVE
けたたましく響くサイレン音に、私は顔を顰める。
新春を迎えたばかりの街はどこかのどかで、そのくせどこかもの悲しい。
最後の感想は、おそらく手中に収められている物が要因だろうけど……。
穏やかな日差しが照らす横断歩道を闊歩して行く。
明日が突然なくなる。
そんなこと、今まで考えたことがなかった。
さほど体調は悪くない。
強いて言えば、首にできたおでき。
日に日に大きくなる気がして、一応診て貰おうかな、程度の話だった。
医者の顔色が変わり、慎重な説明がなされる。
検査をしましょうと言われ、今まで受けたことがなかったような機械に入れられて、躰の隅々まで調べられた。
テレビや映画で何度も見た光景が、自分に降りかかって来るとは、今日の今日まで思いもしなかった。
残りの時間はあとわずか。
そう言われても上の空で、遠くでぼんやり眺めている感覚で聞いていた。
泣くとか喚くとか、取り乱すことなく、ただ淡々とその事実を受け止めていた気がする。
待合のロビー。
様々な人が行き交う。
私の頭の中は、自分がどうなるかじゃなくって、どうやって残された家族へ伝えるかが問題視されていた。
年老いた両親と妹。
考えてみると恋愛らしい恋愛をしてこなかった自分に気が付く。
残された時間を有意義に使うことを勧められた。
何をしていいのか、考えてみる。
改めて考えると、案外出てこないものなんだという発見をする。
会社、どうしようかと思う。
ぎりぎりまで働いて、わずかばかりの貯金を残そうと思った。
親不孝するせめてもの罪滅ぼしになるだろう。
出来るだけ手を煩わせないように、身の回りの整理をする。
処分できるものはすべて処分して、あとは自分が居なくなってから捨てて貰うものだけにした。
陽だまりの中、読書をたしなむ。
行きつけのカフェで、コーヒーを飲んで、医師に言われたことを思い返す。
あれは嘘だったんじゃないかと思うくらい、穏やかな日々が続いている。
しかし、着実に躰は蝕まれていることは、間違いではない。
時折襲ってくる激痛がそれを証明している。
死ぬまでにやってみたいこと、考えてみる。
驚くほど何もない。
あるとしたら一つだけ。
私には心残りがあった。
自然消滅してしまった友達がいる。
いつでも一緒に嬉しいことも悲しいことも乗り越えてきた相手だったのに、最初に背を向けてしまったのは私の方だった。
出来てしまった溝は埋められず、あいつは鞄一つだけ抱えて姿を消してしまった。
もう何十年にもなる。
消息は分からないまま、そのことに触れないように細心の注意を払って生きてきた気がする。
ふと、あいつに会ってみようと思った。
ひとつてを頼って、一歩、また一歩近づいて行き、やっとあいつの居場所を突き止める。
突然の訪問、あいつはどう思うだろう。
様々なあいつの表情を、私は思い出していた。
深呼吸をして、私はドアをノックする。
振り返ったあいつは、思っていた以上、良い男になっていた。
自信がみなぎり、笑顔には、貫録すら感じる。
言葉はいらなかった。
積もる話よりも、あいつが私を抱きしめてくれた。それだけで充分だった。
とっくり陽が沈み、二人してバーへ行く。
奴は薄目のウィスキーで、私はバーボンで乾杯をする。
酔いが回り、とろんとするあいつの目を見ているうち、私は馬鹿げたこと言いたくなる。
「再会を記念して、プレゼントをくれないか」
快諾するあいつを見て、私は泣きそうな気分になる。
「何でも言え」
そういうあいつの言葉に、私は冗談めかしながら言う。
「一度で良い。キスをして欲しい」
それ以上のことは望んでいなかった。ただ言ってみたかった。ただそれだけだった。
あいつは静かに席を立ち、コートを手に、私の肩を叩く。
驚く私に微笑み、あいつは言った。
「ここは人目に付き過ぎる。場所を変えよう」
何でもないように、会計を済まし、あいつは部屋を取る。
「お前、本気か?」
「ずっとそうしたかったんだろ?」
長年、胸につっかえていたものが取れた気がした。
私は、むせび泣く。
あいつは髪を撫で、そんな私にそっと唇を寄せてきた。
至福の波が幾度も押し寄せ、私はもう思い残すことはないと思った。
寝息を立てているあいつの顔をしばらく見つめてから、私は部屋を出る。
それから少しして、私は会社を辞めた。
吐血を繰り返し、とてもじゃないが、まともな生活が出来なくなったからだ。痛みも引くことがなくなって来た。
家族にはまだ言えていない。
波風が穏やかな病院で、私は最期の日を迎えることに決めた。
その日が来たら、両親に渡してくれるように手紙とわずかばかりの貯金通帳を託し、日一日を生と死を行ったり来たりしながら過ごす。
触れるものすべてが煩わしく、痛みが走る。
痛みに敏感になってしまった私は、もう生きる気力はなく、窓から入って来る光に、生きていることを確認する程度の生き物と成り下がってしまっていた。
開け放った窓から、微かに波の音が耳に届く。
私の子守歌だ。
その日は朝から心地よく、躰もだいぶ楽だった。
ドアが開く音がして、ぼんやりとした視界に人影が映る。
音もなくその影は私に近づいてきた。
顔を覗き込まれ、私は冷たいものを感じる。
あいつだった。
「どうして……」
その先に用意されていた言葉は、言わなくても分かった。
あいつが愛おしそうに髪を撫でてくる。
あいつが唇を寄せてきた。
「会いたかった」
その言葉だけで、充分私は幸せだった。
愛している人には、きれいなままの自分の姿だけを覚えていて欲しかったから、私は病気のことを打ち明けることが出来なかった。
不思議と、あいつに触れられても痛まなかった。
時は残酷。
何ひとついいことがなかった私の人生。悔いることばかりだが、一つだけ胸を張って言える。
生きていてよかった。
これですべてが帳消しにしてくれる。
そして、静かに私の人生の幕を閉じられた。
2018/01/09 (12:49)


風に吹かれて
何に駆り立てられているのか分からないまま走り続けてきた。
夢見ないと、弾かれる気がして、無理して、我慢して、ボロボロになった心。
風渡る大地、一人見詰めていた。
指折り数え楽しみにしていた頃、戻れたならなんて思ったりして、最悪だわ私。
Do you kwou?
前が何も見えなくなったとしても、どんなに辛くても、あなたがいてくれる。微笑みかけてくれる。それだけで、また立ち上がれる。
Never give up!
この世は果てしない戦い。
戦い疲れた心と体、する合わせて、愛を育みましょう。
常識って何?
大真面目にあなたが聞くから、つい眉間にしわが寄る。
赤と青の信号点滅させながら、夜が明けて行く。
あなたにしか見せない弱音がある。
わたししか知らない涙がある。
秤にかけられない愛の重さ感じながら、窮屈で不便な自由に溜息一つ。
泣き明かした夜も、日差しが眩しい朝も、けだるさに、足が竦んで、何もしたくないそんな時でも、あなたのそばにいる。私がいる。あなたがいる。長ったらしい言い訳をしているけど、とどのつまり、あなたを愛している。あなたが世界中の誰よりも、大切なったった一人の人。ずっとそばで輝かせていてね。たとえこの空が割れたとしても、ずっと私があなたのそばにいてあげる。そう決めたの。

2018/01/08 (11:22)


サヨナラの情景
風もないのに私の心はゆらゆら揺れているの。
好きと嫌い。行ったり来たり。
終われない二人のシーソーゲーム。
こんなに大好きなのに、星が瞬き、キスをしても、どうして悲しくなるの?
明日も明後日も、変わらない愛は降り注がれ、あなたは当たり前のように私を抱くでしょう。
溜息一つ。
あなたは優しい人。大事にしてくれる。
だけど抱きしめらるたび、逃げ出したくなる。
あんなに好きで、誰よりも幸せで、絶対手放したくないって、思っていたのに。
溢れていた話したいことが、別れのタイミング図って、曖昧の笑みで、時間が音を軋ませている。
あなただってもう気付いているんでしょう?
ここに気持ちがないってこと。
愛している。だけどサヨナラ。
目の前の景色が滲んで行く。
あなたを失うのは怖いよ。
だけどそれよりも、あなたといる孤独の方が、わたしには耐えきれないから。

2018/01/06 (22:54)


この空の下
灰色の空が広がる下、僕らは答えを探していた。
幼子のように、駄々をこねてはないものねだり。
間違っていたのは僕の方かもしれない。
だけど、それを認めてしまえば、どこへもいけなくなる。
同じ方を向いていたはずなのにな……。
怒りよりも深い悲しみが、僕らを包み込む。
ずっと前から分かっていた気がする。
すべてが正しくて、すべてが間違っている。
傷を負わない人生なんてない、ってことも僕らは知っている。
守るべきものなにかもだ。
ひたひたと近づいてくる足音。
しあわせの法則、その答えはそれぞれ。
あなたが心細そうに空を見上げる。
この先、何が待ち構えているかなんて、誰にもわからない。
じゃあと、あなたが絞り出すように言う。
私もそれに倣って、小さく手を振ってみせる。
出会いと別れは背中合わせ。
それぞれ道は違うけれど、私たちなら、僕たちなら、きっと見つけられるはずだから。
今は悲しくとも、振り返ることなく、ただ前だけを見て進んで行こう。
2018/01/06 (10:00)

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