孤独の殺戮人形 ─ heads or tails ─
序章

 ざわめきが聞こえる。
時刻は黄昏を示す様に空を紅く染め上げていた。多くの人々が各々の家路へと向かう時間帯。
「……取れてない」
 表通りに反した薄暗い裏通りでポツリと小さく呟く声が零れた。
その場とは対照的に人々の喧騒が遠く聞こえる。
青い繋ぎの作業着に身を包み、頭には猫の耳が生えている様な黒い帽子を被っている。
小柄な体に不釣り合いな大き目のヘッドフォンを首に掛け、小さな体にまたまた不釣り合いな長柄のデッキブラシを洗剤の入ったアルミ製のバケツに突っ込んだまま、先程まで掃除をしていたのだろう地面へと視線を注いでいた。
視線の先には乾き切っていない小さな水溜まりが広がっている。
「汚れ……取れてない気がするんだよなぁ」
 溜息混じりに吐き出された言葉は先程まで行っていた作業を再度繰り返す事を表していた。
小まめな性格なのだろうか。
それとも潔癖症(けっぺきしょう)なのだろうか。
再度気合を入れる様に首に掛かっていたヘッドフォンを帽子の上から耳に掛け、腰のベルトに引っ掛けてあるデジタルオーディオに手を伸ばす。

「何やってんだよ」

「ぅあっ!」
 突然背後から掛けられた言葉と同時に帽子ごとヘッドフォンを取られ、驚きの声を上げてしまう。
振り返ると二十歳ほどの青年がこちらを見て呆れ顔をしている。
が、その直後に彼が手に持っている物から大音量の音楽が流れ出してきた。
どうやら再生ボタンを押してしまったらしい。
「!!」
 耳をつんざく突然の音に驚いた彼はうっかり手にしていた物を手放してしまっていた。
「何するんですかっ!!」
 とても大事にしているのだろう。
持ち主は声を荒げ、地面に落下する寸前で拾い上げ、胸に抱え込んだ。
スピーカーからは明るいなだらかな女性の声が流れ始めた。
「脅かすのは勝手ですけど、大事に扱って下さいよ。僕……お金無いんですから」
 恨みを目いっぱい含んだ視線で彼を睨み付けると苦笑混じりな謝罪が返ってきた。
「悪い悪い。しかし、相変わらずだな」
「何がです?」
 彼の示す言葉が理解出来ずに首を傾げる。
「掃除だよ。俺が来なかったら、また始めようとしてたろ?」
「…………」
 図星を突かれ、胸に抱えていた物をぎゅっと強く抱きしめていた。
その際にヘッドフォンがきしっと軋んだ音をたてた。
「……汚れてる気がするんです」
 そう言って伏せられた視線の先には所々に亀裂がはしるコンクリートがあるだけだった。
彼も同じ様に目を向けるが汚れと言えるものは何処にも無い。
「汚れ、ねぇ」
 青年は溜息を一つ吐いて隣で項垂れている頭に手を置いた。
「ほどほどにしろよ。『夜の仕事』もあるんだからな」
「……分かってますよ」
 のせられた手を払い除ける事無く、口を尖らせながら彼を睨みつける。
睨まれた本人は、無邪気に笑うと頭に置いていた手で背中を叩いた。
「分かってんなら、さっさと片付けろって!」
「っ!!」
 バシッと鈍い音と共にヒリヒリとした痛みが伝わり、思わず顔を顰める。
振り返ると青年の悪びれた様子の無い邪気の無い笑みが目の前にあった。
「涙目だぞ」
「誰のせいですかっ!!」
 怒鳴りながら胸に抱えたままだった猫耳帽子を目深に被り、ヘッドフォンを首に掛けた。既に曲は流れておらず、ある程度の時間経過を示していた。
「……もう日が暮れてたんですね」
「今更だろ」
 ふと零した言葉に青年は横目で片付けている姿を見やる。
「今更って?」
 きょとんとした顔でバケツを持ち、デッキブラシを担ぐ姿はとても滑稽に見える。
その姿に苦笑しながら彼は答えた。
「さっきから日は沈んでるっての」
「そうでしたか?」
 変だなあ、と首を傾げている姿はとても幼い存在に映る。
「んじゃ、戻るか」
 片付け終わった所に声を掛けると明るい声が返ってきた。
「はい!」
 先程の項垂れ様は何だったのだろうか。
青年は安堵の息と共に小さく呟いた。
「……切り替え早すぎるだろ」
「どうしたんですか?」
 彼の声は聞こえていなかった様で不思議そうな顔で待っている。
「別に」
 短めに彼は返事をして、大股で隣を歩いて行く。
「あ、待ってください」
 歩幅の違いで彼から出遅れ、焦った様子で足早になる。
二人連れ立って歩く姿は仲の良い兄弟さながらである。

……………。
そして。
今日も闇が堕ちてくる。
[*前] [次#]

栞を挟む目次

TOP




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -