雪虫の飛ぶ街
初雪を連れて来る

小さい姿

訪れる時を信じて

その瞬間を信じて

鉛色の空を見上げ

待ち続ける


【雪虫の飛ぶ街】

 重く圧しかかる鉛色の空。
吐き出した息が白くなって消えていく。
冷えた手を温めるように、少女は両の手を擦り合わせた。
寒風が頬を刺し、黒い髪を揺らした。
白いダッフルコートに真っ赤なマフラーが映えている。
彼女が凝視している風景は、自分が住んでいる街。

この場所は、なだらかな坂道を登った丘の上にある小さな公園。
遊具は滑り台と砂場しか存在しない寂れた場所だ。
子供の姿は見当たらない。
それどころか、人すら見当たらない。
少女が立っている場所は視界が開けている。
小さな公園に不釣り合いな展望台。
いつ頃から在ったのかさえ怪しい。
実際に真実を知る人間は誰もいないのだ。
「………」
 そんな殺風景な場所で彼女は一人、街を見下ろしていた。
正確には街と平行して広がる鉛色の空。
冷え切った大気は冬の到来を大分前に告げていた。
どんよりとした灰色の雲が消えることは無かった。

 少女は首を竦め、マフラーに顔を埋めた。
この季節が訪れる度に、彼女はこの場所へと足を運んでいた。
母親が昔を懐かしむように話してくれた言葉が忘れられない。


──昔は冬になると雪が降ってね…。


 その言葉を聴く度に、少女は決まって言った。


──「ねぇ、お母さん。雪って何?」


 文明の発展に伴い地球は傷痕を露わにしていった。
段々と上昇していく大気の温度。

毎年降っていたはずの雪は霙(みぞれ)となり、彼女が生まれた頃には雨となっていた。
母親の思い出話を聴く度に少女は首を傾げていた。


雪ってなあに?

白くてフワフワしたモノなの?

わたあめみたいだね。

違うの?

私も見てみたいな…。


 いつしか彼女は空を見上げるようになっていた。
いつか降ると信じて。
雪が降ることを信じて。
この季節が訪れる度に期待を膨らませ、失望を繰り返していた。
いつもいつも、彼女は待ち続けていた。

この場所で。
その時を…。


「……はぁ…」
 吐き出した溜め息が白く立ち上がり、溶けるように消えていった。
「どうしたの?」
 背後から掛けられた声。
誰もいないと思い込んでいた彼女は驚いたように声の主を探した。

その人物は滑り台の頂上にいた。
坂の部分に足を投げ出している少年。
彼女を興味に満ちた目で見つめている。
「……」
 少女は彼の視線から逃げるように、街の風景に目を戻した。
「何か探し物?」
 一定の距離から聞こえる声。
彼に言ったとしても、状況は変わらないだろう。

それ以前に、理由が子供じみている。
教えたとしても、笑われるのがオチ。

「………」
 彼の言葉を流し、彼女はボンヤリと空を眺めていた。


「ボクは雪を見に来たんだ」


 少女は彼の言葉に耳を疑った。
そして、振り返ると彼は邪気の無い笑みを浮かべていた。
「雪…?」
 彼女は彼の言葉を半信半疑で復唱した。
しかし、彼は自信満々に返した。
「そうだよ。雪」
「ずっと降ってないのに?」
 彼女が訝しげに問いかけると彼は苦く笑った。
「みんな、そう言うよね」
「………」
 それは、彼女が周りに返した言葉だった。


夢を見すぎなのだと、大人に言われ。
友達にもバカにされた。

夢を見ることが、いけないことなのだろうか…?
無いモノを探し求めることが、そこまで愚かなことなのだろうか…?


「…ごめんなさい」
「え?」
 彼女の突然の謝罪の言葉に、彼は疑問符を浮かべた。
彼女は目を泳がせ、口を噤む。
彼は坂を滑り降りて、少女に歩み寄った。
「どうしたの?」
 先刻と同じ言葉を繰り返した。
彼女は、ばつが悪そうに途切れ途切れに呟いた。
「私も、雪…降るの待ってたの…」
 彼女の言葉に口元を綻ばせて、彼は言った。
「やっぱり」
 彼は嬉しそうに言った。
少女もつられて笑みを零す。
「雪は降るよ」
 彼は確信したように言った。
「どうして解るの?」
 彼女は不思議そうに首を傾げる。
今まで降っていないというのに、彼は自信満々に答える。
その根拠は一体どこからやって来たのだろうか。

彼女は惹かれるように彼を見つめた。
「雪虫だよ」
 彼は彼女を見返しながら言った。
聞き慣れない単語に疑問符を飛ばす。
「ゆき…むしって…何?」
「あれ? 知らない?」
 彼はおかしいなぁ、と首を捻った。
「アブラムシの一種だよ。知らない?」
「…虫苦手だから」
 苦く笑いながら彼女が言うと、彼は納得したように笑った。
「さっき言ったように『雪虫』はアブラムシの一種なんだ。綿みたいなのを身体に付けて飛んでるんだ」
「へぇ」
 彼の詳しい説明に目を丸くする少女。
今まで聞いたことのない事柄に興味津々の様子。
そして、彼も彼女に応えるように言葉を紡いだ。
「雪が降る前触れによく見かけるから、初雪を呼ぶとも言われているんだ」
 少女は真剣に彼の話しに耳を傾けている。
彼も嬉しそうに目を細めながら、自分が雪を見るために蓄えた知識を語った。

年々、暖冬が近づいてくること。
その反面、これから冷え込みが厳しくなること。
そして、自分が雪虫を見たこと。

 確信は無いが根拠はあると、彼は言った。
「雪は降るよ。絶対に」
 彼は口癖のように言った。
辺りは既に光を失くし、電灯が頼りなく点灯していた。
「…気づかなかった」
 我に返った少女は辺りを見回し、ポツリと呟いた。
「長く話しすぎたな…」
 彼は苦く笑った。
彼女も誤魔化すように苦笑する。
「でも、嬉しかった」
「?」
 彼女が零した言葉に首を傾げる。
「同じ考え持ってる人がいて」
 弾んだ声音で言葉を紡ぐ。
彼は納得したように頷き、空を仰いだ。
吐き出した息がハッキリと黒い景色に浮かび上がった。
「みんな…見たいんじゃないのかな?」
 彼の口から零れた意外な言葉。
少女は意外という顔をして、彼の顔を覗き込んだ。
「そうなの?」
「諦めてるだけだよ」
 彼女の視線を送り返すように見返す。
彼は悲しそうに目を細めた。
「そうか……」
 少女も悲しそうに眉尻を下げる。
二人はそれきり口を閉ざした。

冷たい空気が頬を叩く。
静まり返った場所。
眼下は星を零したかのように光が闇の中に浮かんでいる。
少女は視線を上げた。
それとは対照的に空は真っ暗。
雲が光を遮り、星を隠してしまっている。
「どこに住んでるの?」
 唐突な問いかけに反応が遅れた。
「え、何?」
 聞き返すと、彼は微笑して言葉を新たに付け加えた。
「近くに住んでるの?」
 正確に聞き取った彼女はコクリと一度頷いた。
「この丘を下った先にあるの」
 少女は公園の入り口を指差した。
彼はそれを見て、納得したように頷いた。
「だから、ココを知っているんだね」
「うん」
 そして、少女は一度だけ空を見上げて彼に背を向けた。
「そろそろ帰るね」
「送ろうか?」
 彼が心配そうに振り返った。
「近くだから、大丈夫」
 少女は言い終わると同時に走って行ってしまった。
突然の行動に反応が遅れた彼は、闇の中へ消えていく彼女を見送る形になってしまった。
「本当に大丈夫かな…」
 先刻の少女の言葉を思い出しながら心配そうに呟いたが、当の本人は闇の中へ消えてしまっている。
今更、あれこれ考えたところで後の祭りである。
少年は手を擦り合わせながら空を仰いだ。
日は完全に落ちてしまったが、暗幕を引いたように明かりが見当たらない。
彼が何かを探すように、目を泳がせると頼りない光が目に入った。
それを視界に入れると満足そうに言葉を零した。
「一番星みっけ」


 二人が会って、二日の時が過ぎた。
今日は冷え込みが酷くなるらしい。
テレビのアナウンサーが原稿に書かれた文字を読み上げている。
無機質な声色とは反対に、少女の口元は緩んでいた。

 彼の言っていた通り、冷え込みが酷くなってきている。
このままの調子で行けば、雪が降るかもしれない。

 コートを羽織り、マフラーを手にしたまま外へと駆け出す。
冷たい空気が頬を叩いた。
吐きだした息が一瞬で凍る。
しかし、彼女には関係無かった。
雪の訪れは近い。
空の様子を見に行くのだ。
向かう先は、寂れた丘の公園。



 彼はベンチに座っていた。
下を向いて何かをしているようだった。
彼の傍らには少し大きめの白いリュックが置いてあった。
彼女は首を傾げながら、彼に近づいていく。
「何してるの?」
 彼の背中に声をかけると、顔だけを少女に向けた。
「これ」
 そして、遅れて腕を彼女の前に出した。
そこには、小さな雪だるま。
白い身体は雪で出来ているようだった。
「えっ!雪だるまっ!?」
 彼女の反応に満面の笑みで返す少年。
実際に『それ』に触れてみると確かにひんやりと冷たかった。
そして、触れた指先には微かに水がついている。
「そ、雪だるま」
 彼は先刻の言葉を真似て言った。
少女は周りを見回すが、雪は何処にも無い。
積もっているどころか、降っていないのだから当然のことである。
不思議そうな顔をする彼女を横目に彼はある物を足元から取り出した。
「何これ…」
 それを目にした少女は呆然とした。
少年が取り出した物は『かき氷機』だった。
氷を細かく砕く機械。
夏には大活躍の物が、冬の最中である今、目の前に置かれているのだ。
彼の言おうとしていることが、少女には分からなかった。
怪訝そうな顔をしている彼女に彼は再び雪だるまを目の前に出した。
「雪みたいでしょ?」
「……」
 彼女は素直に頷いた。
そして彼は『それ』を手渡した。
手の平に乗る小さな雪だるまは体温に順応できずに段々と体積を減らし始めていた。
「ねぇ、溶け始めてるよ」
「大きさが大きさだからね」
 彼はそう言いながら、ゴリゴリと氷を機械で削っていく。
機械の下には小さなバケツが置いてあった。
そのバケツがいっぱいになると、リュックから出した銀色の大きいボウルに砕いた氷を入れた。
そして、彼は再びバケツを氷でいっぱいにしていった。
少年は繰り返し繰り返し、同じ作業をしていた。

少女は静かに傍観している。

彼は同じ作業を続けている。



繰り返し。
繰り返し。


「どうして…」
「なに?」
 彼女の唐突な言葉に、彼は何とはなしに返す。
「どうして、そんなことするの?」
「?」
 少女の言葉に彼は疑問符を浮かべた。

そんなこと、とはどんなことなのだろうか。
彼の行動の意図が読めずにいる彼女は、困ったように目を泳がせた。
「だって、雪は降るんだよね?」
「うん。そうだよ」
 少女の言葉に彼は即答した。
再び彼はゴリゴリと氷を削りだした。
作業をしながら彼は静かに言った。
「待ちきれないんだ」
「……?…」
 少女は再度首を傾げた。
彼は手を止めて視線を上げた。
「こっちから呼ぶんだよ」
 いっぱいになった氷をボウルに移動させる。
「雪虫みたいに呼ぶんだ」
 彼は嬉しそうに微笑んだ。
その笑みを見た彼女は同じように笑った。
「そっか、呼ぶのか」
 納得したように頷く。
彼も氷を削りながら返した。
すると、少女はボウルに入った氷を器用に丸めていく。
「冷た…」
 時折、手を擦り合わせながら彼女はボウルの中で氷を丸めていく。
ボウルに盛られた氷は白い球体になった。
「へぇ…器用だね」
 中を覗き込んだ彼が小さく零した。
少女は得意げに笑うと、彼が削り終わった氷をボウルの中に入れた。
「こうしていけば、作業が捗るでしょ?」
「ありがとう」
 彼は嬉しそうに目を細めた。
少女は気恥ずかしげに笑うと再び氷を固め始めた。

彼は氷を削り、彼女はそれを固めていく。
根気のいる作業だったが、二人は幼い子供のように夢中になっていた。
昼を過ぎた頃、雪だるまは完成した。
先刻の雪だるまを二周り大きくしたサイズになった。
「これが限界だね」
 少女が満足げに頷いた。
しかし、彼は残念そうに眉を顰めていた。
「氷が足りないからね…」
 その言葉に少女は苦く笑った。
彼も仕方ないかと、苦笑しながら零した。




その時。

 二人の間を割って入るように白い小さな物が舞った。

少女はキョトンと目を丸くすると、小さく呟いた。
「雪虫?」
 だが、白い物は力無く地面に落ちていく。
様子がおかしい。
白い物が地面に落ちた瞬間。


それは地面に滲みこむように…
消えた。


「!」
「!」
 二人は顔を見合わせ空を仰いだ。
鉛色の空からハラハラと頼りなく白い物が舞い降りてくる。
二人は呆然とその光景を眺めていた。
少女はポツリと呟いた。
「……雪だ」
 少年も答えるようにコクコクと頷く。
そして、どちらからとも無く歓声をあげて、はしゃぎながら公園を走り回っていた。



変わり行く 時代の中

人々は何かを失っていく

それでも

変わらずソコに在り続けるモノも

確かに在る



【終】

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