追う足音
小さな歩幅で

必死に後を追いかける

尻尾のように

三つ編みが左右に揺れる



【追う足音】

昼休み前の授業は憂鬱だ。
腹は減るし、睡魔が襲ってくる。

重たい瞼を必死で引き上げながら、俺──鉦杜 空那(かねもり あきな)は黒板に綴られる暗号をボンヤリと眺めていた。

授業が終了するまで十分を残した時、唐突に椅子を蹴る音が教室内に大きく響いた。
注意は音のした方へ向く。

いつもの事ながら、迷惑な話だ。
音の発生源は俺の斜め前なのだから。
小さな身体を精一杯伸ばし、挙手をした状態で立っている少女。
名前は…忘れた。
苗字は確か、『タ行』から始まっていたと思う。

まぁ、そんな事はどうでもいい。

今はそいつが場違いな行動をしているという事だ。

「どうした。藤堂」
 彼女の苗字を溜め息混じりに吐き出す教師。
その言葉を待っていたかのように、少女──藤堂は満面の笑みで口を開いた。
「授業、終わりませんか」
 それは疑問ではなく確定。
語尾が上がっていないのだから、そのつもりなのだろう。


──迷惑なヤツだ。

 俺は非難の視線を注ぐ。
すると、背中の垂れていた少女の三つ編みが何かを察知したかのように揺れた。
それは、まさに。


──ネコの尻尾。

 彼女の微かな動きにも面白いほどに呼応する。
暇つぶしに彼女の尾を目で追っていると、あり得ない言葉が耳に入り込んできた。

「この範囲が終わるまで今日は延長する」
 それは、彼女の発言を無視した教師の発言。
藤堂は落胆したように肩を落としたと同時に、非難の声が教室内に一斉に響き渡った。
各々が、それぞれの意見を言い立て、文句を垂れ流している。
一通りのざわめきが収まると、教師は再び黒板にチョークを走らせ始めた。

俺は限界を感じ、机に突っ伏して瞼を閉じた。



 誰かが俺の身体を揺すっている。
ダルそうに顔を上げると、和季(かずき)が苦笑して目の前に立っていた。
頭が覚醒していないため、ボンヤリと親友の顔を眺める。
「焦点、合ってないぞ」
「ほっとけ」
 和季の言葉を軽く流しながら、黒板の上に掛かっている時計に目を向けると昼休みの時間を告げていた。
視線を戻すついでに、斜め前で項垂れている小さな背中を視界が捉えた。
「うう…メロンパン…私のメロンパン…」
 うわ言のように繰り返す言葉に、前に腰掛けている友達らしき人物は苦笑を浮かべている。

「買えなかったんだな。メロンパン」
 和季が哀れむように言葉を零した。
俺の学校は何を思ったのか、校内にパン屋が存在している。
勿論、その場で作られた物だから出来立てを食べられる。
つまりは得なのだ。
その中でも、『メロンパン』は特別人気なのだ。
昼休みが始まって数分で完売するほどだ。
美味しいと評判らしいが、正直そこまでして食べたく無い。
目の前の少女も、その中の一人なのだろう。
可哀想なことだ。

 俺は他人事のように哀れみながら、鞄から紙袋を取り出した。
中身は昨日の売れ残りである商品。
パン屋を営んでいるが故の末路。
そして、それに肖ろうとする奴が目の前に一人。

和季は何かを期待するように、紙袋を見つめる。
「何だよ。俺の昼飯だぞ」
 低く唸ると無邪気に笑いながら言った。
「お前、菓子パン駄目だろ?」
 サラリと言い切る様が納得いかないが、紛れも無い事実。
甘い物が食べられないのだ。
むしろ、いらない。そんな物。
呆れ半分で溜め息を吐きながら紙袋の口を広げる。
「………」
 中身に思わず固まった。
調理パンがある程度入っているが、殆どが菓子パン。
しかも、メロンパン。

「?」
 硬直している俺を不審に思い、袋を覗き込む和季。
「何だコレ」
 面白そうに笑う姿が憎くなり、ギッと睨みつけるが効果が無い。

お前は、もう少し『遠慮』という言葉を理解するべきだぞ。

友達を選び間違えたような気がするが、そこは目を瞑るとしよう。
心なしか、和季の笑みが引き攣っている気がする。
俺に何かついてるのか?
その時、微かに視界が翳った。

──何だ?

疑問に思い、後ろを振り返る。
目の前には、藤堂の顔。









「うおああああああああああああっ!!」
 驚きのあまり、大声を出してしまった。
騒がしかった教室が一瞬で静まり返る。
真横で叫んだはずなのだが、彼女は俺の肩にくっついたまま動いていない。

おかしいだろ。
何で真横で叫んで平気なんだよ。
──…つうか。
「近いっ!!」
 言ったと同時に彼女を引き剥がす。
「いだっ!何するの!!」
 眉を吊り上げ、非難の声をあげる。
それはこっちの台詞なんだが…。
「何か用か」
 平静を装い、藤堂に向き直る。
しかし、彼女は不思議そうな顔をしてサラリと言った。
「用? 無いよ。そんなの」
 お前な…。
意味も無いのに寿命が縮むような事するなよっ!

俺の心の声を知らずに、彼女は堂々と横をすり抜けて紙袋を手に取った。
「………」
 無言で彼女を見守る教室一同。
ガサゴソと中を探り始めた。
目当ての物が見つかったのか、目が嬉しそうに輝いた。
彼女の手にはメロンパン数個。
抱えたまま自分の席に戻ろうとする。


──って。
「ちょっと待て」
 俺は見送りそうになった、そいつの襟首を掴んだ。
猫掴みされたような体勢に、彼女は非難の声をあげた。
「ナニッ!」
「それはこっちのセリフなんだけどな」
 低く唸ると彼女は不機嫌そうに眉を寄せた。

何だよ、その反応。
俺が悪いみたいだろ。

睨み続けていると、彼女の友達らしき人物が慌てた様子で間に入った。
「な、汀(なぎさ)ちゃん」
 藤堂の名前なのだろう。
手に持っている物を返してくるようにと言っている。
傍から見たら面倒見の良い姉と聞き分けの無い妹だ。

我ながらピッタリの表現だと思う。

「これ、私の物だよっ!」
 お前にあげた憶えは無いんだが…。
横に目をやると和季は愉快そうに口元を緩めている。
「いい気なもんだよな…」
 悪いと謝罪しているが、目が笑っているぞ。目が。
他人事だもんな。
本当に、いい気なもんだ。

俺が嘆息を吐きながら、藤堂に目を向けると。
メロンパンに齧り付いている彼女と目が合った。
「………」
「………」
 一瞬の沈黙。




そして。

「お前ええええええええええええええっ!!」
 叫んだのは当然俺で、彼女はモグモグと口を動かしている。
って、なに当たり前の顔して食ってんだよっ!
「…おいしい」
 彼女は満足そうに微笑み、メロンパンに再び噛り付いた。
その姿は尻尾を振っている子犬のようだ。
「まあ、許してやれよ」
 苦笑しながら和季は俺の肩を叩いた。
別に物を取られて怒っている訳ではない。
普通、始めに言うだろ?
「ほしい」とか「ください」とか。
常識だよな? 礼儀だよな?
「汀ちゃん」
 嬉しそうに頬張っている彼女に友人が肩を揺する。
「なに?」
 暢気な声で藤堂が言葉を返す。
友人は姉のような口調で彼女に言った。
「お礼言わなきゃ」
 友人の尤もな言葉に彼女は一度、首を傾げると俺に向き直った。
そして、口に入っていた物を飲み込むと口を開いた。
「ねぇねぇ、君の家ってパン屋なの?」
 かなり馴れ馴れしい口調に俺はガックリと肩を落とした。
どうやら、彼女には常識や礼儀は無いらしい。
このまま話していても埒が明かないだろう。
俺は小さく溜息を吐くと、肯定の言葉を口にした。
「ああ、そうだ」
「このメロンパン、おいしいね」
 藤堂は嬉しそうに言った。
無邪気に笑う姿が幼子のようだ。
「俺は食えないから分かんねぇけど」
 すると彼女は残念そうに眉尻を下げた。
そして、再びメロンパンに噛り付いたのだった。
一つ食べるだけでも腹に溜まると思うのだが…。
その直後、予鈴が鳴り響き昼休みの終了を告げた。
そこで俺は自分が昼食を食べていない事に気が付いた。
「腹減った…」
「頑張れ」
 俺の肩を叩く和季。
「?」
 振り返ると空袋が数個、おそらくパンが入っていた物だろう。
「お前…!」
 いざこざの間に食ってたのかっ!!
「裏切り者…」
「賢いと言え」
 友人は邪気の無い笑みを向けた。

 授業が終わりを告げ、帰る準備をしていると、先ほどのメロンパン娘が満面の笑みで寄ってきた。
お前のせいで昼飯食い損ねたんだけどな…。
結局、次の授業が終わった後の短い時間で胃の中に詰め込む形になってしまった。
だが、こいつに言っても意味が無いだろう。
「ねぇねぇ、帰るの?」
 小さい子供のように俺を見上げる。
「当たり前だろ、お前は残るのか?」
 あしらうのも可哀想な気がしたので、言葉を返してみる。
すると、彼女は首を横に振って否定した。
「私も帰るの」
 だったら、声かける必要無いだろ。
「そっか、じゃあな」
「うん」
 俺は通学鞄を肩に掛け、教室を出た。



トタトタ トタトタ

「………」
 足音が追いかけてくる。
追い越すでもなく後ろを付いて来ているようだ。

トタトタ トタトタ

 ピタリと止まり振り返る。
そこにはメロンパン娘。
「どうした」
 満面の笑みで見上げている。
返事は無い。
何なんだ…。
俺は再び歩き出した。

トタトタ トタトタ

 再び歩き出す足音。
学校を出る頃には、いなくなるだろう。
俺は無視することにしたのだった。



 俺の家は学校から徒歩30分のところにある。
交通機関を使う必要も無く、楽に登校が可能なのだ。

家の付近に近づき、後ろを振り返る。
そこには満面の笑みを湛えたメロンパン娘。
「なんだよ」
 ニコニコと笑っている彼女を睨む。
しかし、気にすることなく笑みを浮かべている。
「メロンパンの作り方教えてもらうの」
「は?」
 突拍子の無い言葉に間の抜けた言葉を返してしまった。
彼女は嬉しそうに同じ言葉を繰り返す。
「きみ。パン屋さんでしょ? だから、焼き方教えてもらおうと思って」
「そんなの無理に決まってんだろ」
 俺が否定をすると、彼女は子供のように頬を膨らませた。
「教えてもらえば出来るよ」
 能天気に笑うメロンパン娘。
俺は大きく溜め息を吐いて、言った。
「もっと手っ取り早い方法、知ってんだけど」
 すると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「バイトすればいいだろ? 家の店で」
 俺の提案に彼女は目を輝かせた。
やっぱり、気付いてなかったんだな…。
「雇ってくれるのっ!!」
「多分な」
 人手が少なそうだったし。
俺の昼飯に菓子パンが詰められることも無いだろうし。
仕事を手伝わされる量も減るだろうし…。

「やったー!!」
 子供のようにはしゃぐ姿を横目で見ながら、俺は一人ほくそ笑んだのだった。



【終】

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