手紙

 石造りが建ち並ぶ大通り。
暖かな陽射しが降り注ぎ、石畳を歩いてくる少女が一人。
肩から斜めにかけられた布の鞄は大きく膨らんでいた。
帽子から零れる金色の髪が歩調に合わせて揺れている。
帽子と鞄には郵便マークが入っていた。
 郵便配達を始めて半年のクルトは研修も兼ねて、小規模な町に配属された。
初めてこの町に来たとき、配達員はクルトを合わせて二人。
彼女が来る前は一人で配達していたらしい。
地図を開くと、二色のインクで各々の区域が囲まれていた。
赤い範囲がクルトの回る区域である。
広くは無いのだが、昔からの街並みだろうか細い道が迷路のように入り組んでおり、ハッキリ言って分かりづらい。
出来るだけ分かり易い区域を割り当てられたはずなのだが、複雑な事に変わりは無かった。
封筒に書かれた住所と地図を交互に眺め、正確に家のポストに放り込んでいく。
ある程度の配達を終えた頃、ポケットから取り出した時計は昼時をさしていた。
「もう、お昼か」
 吹き抜けて行く風に飛ばされないように帽子を押さえる。
ゆっくりと流れて行く雲を見送りながら「良い天気だなあ」と小さく呟いた。
 昼食をとって、一息つくと午前中に回ってきた場所を確認した。
大半を配り終えたとき、手に取った封書に違和感を覚える。
丁寧な文字で書かれた表に対し、裏は白紙。
「書き忘れ?」
 書かれた住所を頼りに地図を見ると、町外れだった。
地図で道を確認すると複雑な道ではなかった。
大通りを抜け、なだらかな勾配を登った先に、ポツンと一軒の建物が見えてくる。
軒並が途切れ、石畳だけが続いている。
隔離されているような雰囲気に、踏み出そうとした足が止まった。
しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
鞄から渡す封書を取り出し、扉に近付く。
「あれ?」
 郵便受けが見当たらない。
おかしいな、と首を捻りながらも扉を叩いた。
「すみません!」
 声を張り上げると、人の動く物音が聞こえた。
近くなった足音と同時に、女性が顔を出す。
切れ長な黒い目を細めると、こんにちは、と小さく言った。
黒髪を後ろで束ねた物静かな印象。
「あ、こんにちは」
 ぺこりと頭を下げると、手にしていた封書を差し出した。
「お届け物です」
 手紙を受け取った女性は「ご苦労様」と言って、クルトの顔をまじまじと見つめる。
「どうかしたんですか?」
「新しく配属された子?」
 抑揚の無い声音に、小さく頷いた。
そう、と呟いた女性は「少し待っててもらえる?」と言い残して室内へ戻ってしまう。
待て、と言われた以上は帰るわけにもいかない。
扉の前を右往左往していると、再び扉が開いた。
「これを」
 手渡されたのは小さな袋。
口を赤いリボンで縛ってある。
「?」
 首を捻っているクルト。
「それじゃ」
 女性が言い終わるのと同時に閉まる扉。
一人残されたクルトは、手にした袋を鞄にしまった。
残った手紙を配り終えなければならない。

 日が西に沈み始めた頃に配達を終え、本部へと帰って来た。
本部といっても建物自体は小さな郵便局である。
小規模な町には充分な大きさ。
配達から戻ったクルトを迎えたのは、受付窓口に座っている男性だった。
「お帰り、今日は全部配れた?」
「当たり前です。いつまでも迷子じゃ仕事になりません」
 肩に提げていた鞄を手近にあったソファに下ろし、帽子を取る。
鞄を開くと赤い色彩が飛び込んできた。
町外れに建っていた一軒の家。
何か意味があるのだろうか。
袋を手に取ると、受付の男性に尋ねてみた。
「町外れに家が一軒だけありますよね?」
「ああ、レグラスさんのこと?」
「名前までは、ちょっと……」
 困ったように眉を寄せたクルトに対し、彼は軽い調子で言う。
「すぐに覚えるよ」
「そうですか……」
 フォローのような言葉に返事をするが、人の名前は簡単に覚えられるものじゃない。
印象が強ければ別だが、特別変わった人ではなかった。
一つ気がかりなのは、差出人不明な手紙。
書き忘れただけなら良いのだが……。
赤いリボンを解くと形が様々な焼き菓子が入っていた。

 次の日も同じ区域を割り振られ、クルトは自分なりの道順で手紙を配る。
今日の分を配り終え、鞄の中を覗くと二、三通残っていた。
手にとって確認すると、宛名だけが書かれた封書。
届け先は町外れの家。
差出人を書かないことに、意味があるのだろうか。
手紙を見つめていたクルトは、我に返り「仕事仕事」と自分に言い聞かせたのだった。
 昨日と同じように扉を叩くと、反応が返ってこない。
「すみません!」
 同じように声を張り上げたが、扉は開かなかった。
留守だろうか。ポストが無い以上は手紙を置いて行くわけにいかない。
少し待とうか考えていると、声を掛けられた。
「レグラスさんなら、いませんよ?」
振り返ると、籠を手に提げた少女が微笑んでいる。
十五、六歳だろうか黒髪を右側で纏めていた。
「そうですか」
 いつ帰ってくるのか分からない以上、ここにいても仕方ない。
感謝の言葉を述べて、局に戻ろうと引き返したところで、疑問を口にした。
「ここに住んでいる方は、有名なんですか?」
「有名なのかは分かりませんが──」
 この町で知らない人はいませんよ、と嬉しそうに笑った少女に釣られて微笑む。
しかし、次の言葉で表情は一変した。
「魔女ですからね」
「は?」
 大きな話のズレで思わず聞き返してしまった。
「ま、魔女?」
「そうですよ」
 当たり前のようにいうが、内容は普通じゃない。
呆然としているクルトに、少女は言葉を続けた。
「魔女って言っても、薬草魔女ですよ」
「薬草……魔女?」
 聞き慣れない単語に疑問符ばかりが飛び交う。
薬草魔女とは何だろうか、それ以前に魔女とはどういうことなのか。
「薬草魔女って、聞いたことありますか?」
 分かっていない顔をしていたのだろうか、見透かしたように問いかけてきた。
素直に首を振ると「そうですよね」と困ったように笑む。
「まあ、文字通りなんですけど。薬草の知識や扱いに長けた方です」
 薬剤師みたいな感じですね、と付け足してくれたことに「へえ」と気の抜けた声を返した。
「郵便屋さんも、きっとレグラスさんを好きになります」
 自信満々に言われ、そうですか、と返すしかない。
魔女なだけでそこまで好かれる理由も無いだろう、と思いつつもクルトは頷いた。
少女と別れた後もレグラスに会うことは出来ず、残った手紙は明日届けることになった。
局に戻ったクルトは聞いた話が気になり、自分よりも長く勤めている配達員に尋ねてみた。
「あの、レグラスさんって──」
「なに?」
「あ、その……」
 魔女ですか、と直球に聞けないクルトは「何でもないです」と誤魔化してしまう。
不審そうに眉を顰められたが、何でもないです、と繰り返して話を逸らした。
自分にとって、童話の中の話。魔女なんて、いるはずがない。

 次の日、残った手紙を届けようと町外れの家へと向かった。
差出人が不明な封書は今日の分も合わさって増えている。
職務上、誰が出しているかなどの詮索は出来ないが、町の外からではないようだ。
町ごとに配達員が分かれているので、外からの場合は配達員が手渡しで受け取る。
しかし、自分が配属されてからそんな事は無かった。
「魔女、か」
 おとぎ話でしか聞いたことの無い単語に現実味は無かった。
実際に一度会ってみたが、そこまで印象に残るような人物ではなかった。
考え事をしているうちに軒並みが途切れ、がらんと寂しくなる。
石畳を歩いて行くと一軒の建物。
二日前に訪れたとき、初対面の自分に対して幾つかの言葉をくれた。
抑揚の無い声とは対照的にかけてくれる言葉は優しかった。
だが、魔女と呼ばれる理由が分からない。
少女の様子では忌み嫌っているわけでもないようだ。
むしろ、慕われている。
薬草魔女という言葉にも惹かれた。

 今日は、いてくれるだろうか。
扉の前でノックを躊躇っていると、背後から声が聞こえた。
「配達?」
 驚いて振り返ると、草を数束抱えたレグラスの姿。
扉の前で固まっているクルトに「少し入っていく?」と声をかける。
「え?」
 意図が掴めずに聞き返すと、横を通り過ぎて扉が開いた。
どうぞ、と促されるままに室内へ足を踏み入れると柑橘類の香りが通り過ぎていった。
「オレンジ?」
 首を傾げるクルトに「そうよ」と小さく返したレグラスは、二種類の赤い花を手に取って細かく砕き始めた。
乾燥させたものなのだろう、落ち葉のようにバラバラと細かくなっていく。
何をするのだろう、と興味津々なクルトの様子に、レグラスは優しく笑んだ。
「珍しい?」
「え? は、はい」
 凝視していることに気付いて、近くの椅子に腰を下ろす。
だが、普段見る事のない作業に身を乗り出してしまう。
細かく砕かれた花は透明なティーポットの中に入れられ、浸る程度に湯が注がれた。
ポットに蓋をして砂時計を引っくり返すと、クルトの前にグラスが置かれた。
近くにあった棚から袋を取り出し、入れ物に移す。
中身はクルトが貰った焼き菓子だった。
思い出したように、頭を下げる。
「この前は、ありがとうございました」
「口に合ったなら良いのだけれど」
「とっても美味しかったです」
 無意識に零れた笑みに、レグラスは「良かった」と微笑む。
ポットの中身が紅く色づき始めた頃、グラスにたくさんの氷が落とされた。
紅の液体を見つめていたクルトの傍らで、時計の砂が全て落下した。
「少し良い?」
「あ、ごめんなさい」
 ジッと見つめていたクルトに声をかけ、茶漉しを使いグラスに注ぎ込む。
氷がカランと音を立てて浮上した。
最後の一滴が落ちたのを確認するとレグラスは、教えるように言った。
「ベストドリップって言うの」
「ベストドリップ?」
 そう、と頷いて言葉が続く。
「ハーブティーは最後の一滴まで注がなくてはいけない」
「へえ」
「そして、効能が一番詰まった最後の一滴をベストドリップと呼ぶの」
「最後の一滴……」
 ハーブに関しての知識が無いクルトにとって、未知の世界だった。
どうぞ、と出された鮮やかな赤い液体をまじまじと見つめる。
椅子に座り直し、おそるおそる口にしてみると酸味が口の中で広がった。
「酸っぱい……」
 眉を顰めたクルトに、レグラスは苦笑して「待ってて」と瓶の並んでいる棚から一つを選んで持ってきた。
瓶に詰まっていたのは淡黄色の蜂蜜。
スプーンで適量を掬って、グラスの中に垂らした。
「これで飲み易くなるはず」
 多分、と付け足したレグラスに「ありがとうございます」と返す。
掻き混ぜて再度口に含むと、蜂蜜の甘さが酸っぱさを緩和していた。
「美味しいです」
「そう? 良かった」
 ところで、と切り出したレグラスに視線を向ける。
「私のことは聞いたの?」
「え?」
 魔女の事を言っているのだろうか。
しかし、単刀直入に聞くのは失礼な気もする。
どう聞こうか、と考え込んでいたクルトは、鞄から手紙を出した。
「そうだ。これ、お届け物です」
 昨日の分も、と付け足したクルトに「ありがとう」と言いながら受け取る。
表の宛名を目で追ったレグラスは裏を返して小さく息を吐いた。
反応が気になったクルトは無言で手紙を見つめる。
視線に気がついたレグラスは手紙を振る。
「気になる?」
 行動に出ていた事を恥じたが、好奇心が勝って頷いてしまう。
素直ね、と微笑みかけられて困ったように眉を寄せる。
「薬草魔女って、町の人から聞いてない?」
 謎に思っていた単語に顔を上げると、レグラスは「やっぱり」と口元を綻ばせる。
「意味は教えてもらった?」
「薬剤師みたいなものって」
「そういう人もいるわね」
「違うんですか?」
 少女の言っていた事を思い出し、首を捻る。
「薬剤師は薬を使うでしょ?」
「はい」
「私が使うのはハーブ」
 何が違うのか瞬きを繰り返していると、レグラスは困ったように微笑んだ。
「薬は治すために飲むでしょ?」
 相槌を打ったクルトに言葉を紡ぐ。
「ハーブは緩和するだけ」
「緩和?」
「そう。和らげはするけれど、最後に直すのは自分自身」
 分かった、と問いかけられて、躊躇いがちに頷いた。
しかし、疑問はもう一つ残っている。
「あの」
「なに?」
 クルトの視線を辿ったレグラスは「ああ」と納得したように声を漏らした。
「中身が気になるの?」
 手にした封書を持ち上げるが、クルトは首を振った。
「そうじゃなくて」
「差出人が気になるの?」
「書き忘れじゃないんですよね?」
 クルトの言葉に「そうね」と肯定の言葉を返す。
やはり、名前を書かないことに意味があるのだろうか。
考え込む姿にレグラスは声をかける。
「薬は治すために飲むって言ったでしょ?」
「はい」
「私は薬を使っても治せないものを、緩和させているの」
 何か分かる、と尋ねられて考え込んでいたが、諦めたようにレグラスを見た。
「分からない?」
「……はい」
「それはね」
 渡された封書に目を向ける。
「悩み」
「悩み?」
 そう、と返したレグラスは手紙を机に置いた。
「誰かに相談しようと思うけど、誰に話せばいいのか分からない」
「……」
「積み重なった悩みは体に異常を来す」
 クルトは無言で話を聞いていた。
「薬を飲んでも、根本の解決にはならない」
 差出人が書かれていないのは、知らせる必要が無かったから。
誰かに話を聞いて欲しい。
誰でもない誰か、その役目を町の外れに住んでいる『魔女』が請け負った。
レグラスが慕われる理由。
悩みを打ち明けられる、話を聞いてくれる。
他人だからこそ、近すぎない仲だから話すことが出来る。
人の悩みが詰まった手紙。
クルトは重いと感じた。
「でもね」
 顔を上げるとレグラスの優しい笑みがあった。
「私だけでは、意味が無いの」
「え?」
 聞き返すとレグラスは口を開いた。
「直接、手紙を渡しに来る人はいないってこと」
「あ」
 手紙を届けるのは、自分の仕事だ。
「誰かが代わりに届けてくれるから、悩みを詰めた手紙を書くの」
「でも、見られでもしたら」
「そんなことするの?」
 クスクスと笑いを漏らしたレグラスに「そんなことしませんよ」と口を尖らせた。
「信頼されている証拠ね」
「信頼……」
 届ける事しか考えていなかった。
単なる義務。
色んな事情で手紙を出す人がいる。
苦しんだ末にペンを取る。
嬉しさのあまりペンを取る。
様々な状況が、それぞれにあるのだ。
「仕事は、義務だけでは出来ない」
「はい」
 白い紙に綴られた文字には、それぞれの思いが綴られている。
手紙には、書いた瞬間の心が宿っているのだ。
「ありがとうございます」
 クルトは礼を述べて「仕事に戻ります」と微笑んだ。
「頑張って」
 一礼して出て行った配達員を見送り、手元に残った手紙を見つめる。
ペーパーナイフを取り出して、ゆっくりと封を切った。

【終】

101027



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