これは、現世では決して有り得ない、だけど彼らが夢見た平和な日常の片鱗。
ただの夢だったと終わらせるには些か無理のある、ほんのささやかな短い間の、確かにあったはずの夢の情景。
はて、自分は夢を見ていたのか、あるいは、今ここにいる自分こそが夢なのだろうか。
今ここにある自分を定義する根拠(もの)は何だ。

つまるところーー夢が見せる世界とは、違った側面から見た全く同じ世界である。







鴉が鳴いている。
それを掻き消すほどの一際大きな声が晴天の元で響き渡る。

「断固拒否する!!!」
「いや、お前じゃねぇよ。俺が聞いているのはだなぁ……」
「承知した!ならば代わりに俺が行こう!必要なら女装でも何でもしよう!!」
「それはやめろ。マジで」
「あ、あの……煉獄さん。私、本当に大丈夫ですから。遊郭で働くのが初めてという訳でもないですし」
「その言い方はよくないな!己の過去の過ちを蒸し返されているようでいたたまれない!」

青々とした緑に囲まれた屋敷の縁側にて、三人の男女が騒々しく言葉を交わしていた。

「名前もこう言ってんだ。良いじゃねぇか減るもんじゃねぇし。俺様もさすがに悪ぃと思って上物の土産持って来てやったんだ。ほれ」
「それはありがとう!芋菓子は俺も名前も大好物なんだ!」
「わぁ、美味しそう。芋羊羹ですね。さっそく食べましょう。お茶煎れてきますね」
「おー、食え食え。うまいうちにな。食い終わったら向かうぞ。遊郭」
「それは許容しかねるッ!!!」

ぎゃあぎゃあと喧しい大男二人を背に、芋羊羹片手に名前がるんるんで台所に向かう。
そんな、平和な日常の風景。
まさかこの世に『鬼』などという人間の脅威が存在するとは思えぬほどに。

これは、上弦の鬼との決戦後、九死に一生を得た彼のお話。
蝶屋敷での療養後、愛する彼女と平穏な日々を過ごす『もしも』の物語ーー


□■


上弦の鬼・猗窩座との死闘の末、致命傷を負い蝶屋敷へと運び込まれた杏寿郎。
ひとまずの療養を終え早々と退院し、今は名前と共に町外れの屋敷でゆったりとした時間を過ごしている。
柱への復帰は絶望的と聞いた。
片目は潰れ、内臓も通常通りとはいかない。
今も尚その痛みに呻き、心穏やかな夜からは程遠いが、愛おしい名前が隣にいてくれるだけで杏寿郎は耐え忍ぶことができた。
そんな日々が数ヶ月続いたある日ーー

「ようやく鬼の尻尾を掴んだ。やはり遊郭に潜んでいたらしい。俺様の読みは見事的中って訳だ。思いのほか店の特定に時間を割いちまったが」

と、天元が自信満々にそう告げた。
彼含む柱の面々はお見舞いという名目で屋敷を訪れては、産屋敷家のことや任務のこと、世の中の流行りについてや自慢話、冷やかしなど思い思いのことを吐き出しては去っていった。
本日の見舞いは天元だったが、出会い頭にニヤリと口元に笑みを浮かべた顔から察するに、ろくでもない話を持って来たに違いないと杏寿郎は警戒していた。
これまでにも鬼を見つける為に客として遊郭潜入の誘いを幾度となく受けたが、全てばっさりと断っていた。

「遊びじゃねーんだって。任務だよ任務」
「昔、それで痛い目を見たからな。名前のこともある。俺にとってそこは悔やまれる思い出しか無い」
「ぁあ?嘘つけ。そこで名前とイチャコラしたんじゃねーの。俺様のおかげで」
「そういえば君は許可も無しに名前を押し倒していたな。あの時のことは忘れない」
「お前って派手に根に持つよなぁ」
「煉獄さん。あの時私は鬼の容疑をかけられ頸を斬られそうになっていただけなので、そう目くじらを立てないでください。宇髄さんは柱として当然のことをされたまでです。実際、鬼ですし」

こうも何でもないような口調でさらりと言ってしまえる内容ではない気もするが、彼女のこれまでを鑑みれば肝が据わるのも頷ける。
まったく似た者同士め、と思ったはものの口にせず天元はため息ひとつ吐くなり、

「地味に交渉といこうぜ」

そう言って差し出された高級芋羊羹は、もうすでに三人の腹の中である。

「はっはーん、食ったな?食っちまったな?食い逃げってのは人としてどうかと思うが?」
「ちゃっかり一緒に食べてるし……煽りが幼稚ですよ宇髄さん。それに、私は始めから協力しますと言って……」
「ならん!!」
「わっ!?」
「確かに名前の美貌ならば引く手数多。店の潜入には容易いが、貞操の危機だ。鬼の方がマシとも言える。他の輩に触れさせたくはない」
「れ、煉獄さん……心配し過ぎ……」
「だぁから、いっそ花魁目指せば良いだろ。そうすりゃあ簡単に手出しされなくなる。客取らなきゃ位は上がれねぇが、本番行為されそうになったら俺らが助ける。それでいいな?」
「はい」
「よし!よく言った名前!お前ならド派手にてっぺん狙えるぜ!!」
「目的が替わってません!?」
「……むぅ」

名前は意思が強く、頑固者だった。
一度やると言ったらやり通す。そんな女だ。
杏寿郎は未だに納得していなかったが、そんな名前を引き止められないことも嫌というほど知っていた。ならばここは引くしかない。

「……わかった……」
「地味に嫌そうだな」
「当然だ」

我ながら絞り出すような声だった。

「だが客は取らないでくれ!どうにかして!言葉を交わすくらいならば致し方ないが」
「しかし、それでは本来の目的が」
「手を触ってくるような輩がいたら殴……ッ、ーー助けを求めていい!!」
「え?今なんて?」
「嫌なことは嫌だと意思表示は大切だ!いや、やはり出来るだけ男とは話さないようにした方がいいな!」
「それ、私何も出来ないのでは???」

かくして、名前は再び煌びやかな遊郭の地に足を踏み入れることとなるのだった。



80 / 表紙
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