彼“ら”を初めて知ったのは齢(よわい)六くらいだっただろうか、と、彼は記憶している。

生家には大きな蔵があり、先祖より代々受け継がれてきた家宝等が大切に保管されている。
その為、勝手に中に入ってはいけないと両親から何度も念を押されていたが、家族総出の年末大清掃日だけが中に入ることを許され、幼少時代の彼の好奇心を満たす数少ない機会だった。
その少年は歴史的知識欲が非常に強く、故に、歴史物で溢れているであろう蔵の中に関心が向くのは致し方なし。
視線がそちらへと向いてしまう度に、母にはその無意識下の行動が筒抜けだった。

「お父上には内緒ですよ」

そう言って連れられ、少年はこの日初めて年末以外に蔵へと足を踏み入れる。
一見面白味の無い埃っぽい空間も、少年にとっては心躍る宝の山。
見渡す限りの書物、書物、書物ーー
綺麗に積み重ねられたそれらは、同年代が好む流行りの漫画やゲームよりも、少年の眼にはとてつもなく魅力的に映った。

「! ……これは、」

何かに導かれるように手に取ったのは、束ねられた幾つかの文だった。
大層年季の入った便箋だったが、幸い保存状態も良く読む分には何ら差し支えない。
宛名ーー知らぬ名だが、恐らく女性である。
本文ーー幼き少年には大方理解出来ず、恋文だと気付いた時には申し訳なくなって、途中で読むのをやめた。
差出人名ーーここで目線がぴたりと止まり、少年の大きな眼は釘付けになる。
同じ名前。だが、自分ではない別の人物。
当然だ。少年にはこのような文を記した覚えなどないし、そもそも幼さゆえに恋というものをまだ知らない。
だが、同姓同名という共通点を見出したことにより、過去に確かに存在した、自分と同じ名の祖先に対し少年は急激に親近感を覚える。

「……」

何とも不思議な感覚だった。同じ名前の、全く別個体の存在というものは。
だが、この家の生まれの男児の名には必ず『寿』という文字が使われており、長生きの願掛けなのだと聞いたことがある。
父も、弟も、名前に『寿』が付く。
被ってしまうことも稀にあるだろう。

ーー本当に、それだけだろうか?

少年が次に気になったのは、宛名に記された顔も知らぬ女性の存在だった。

「苗字名前……さん」

初めて声に出したはずなのに、妙に口馴染みがあるのは何故だろう。
芽生えたばかりの感情の名を知る由もなく、少年はこの日を境により一層歴史への関心を深めてゆく。
理由は様々。何より歴史が好きだったし、世のため人のためにと心を燃やした偉人らを心の底から尊敬していた。
人々が遺したものを後世に紡ぎたいーーそんな思いが日に日に増し、いつしか少年は歴史の教師を志すようになる。
だが、歴史に対する知識欲の根本には必ず『苗字名前』の存在があった。
同姓同名の祖先がこんなにも恋焦がれたのだ。
きっと、とても魅力的な女性に違いない。
知りたい。彼女のことをもっと知りたい。
その感情こそが淡い恋心の始まりであり、それに気付いた時にはもうすでに少年は青年へと成長していた。

青年は知りたかった。
ただ知りたかっただけなのだ。
文字でしか知る由のない彼女のことを。
あまりに無謀な願いだという自覚はある。
それでも知りたいという人間の欲求は底無しのようで、歳を重ねる度に諦めようとはしたのだけれど、無駄だった。
もしそう簡単に切り捨てられた感情ならば、とっくに見合い相手と縁を結んでいただろう。
長きに渡る青年の恋心は時の経過と共に拗れ、取り返しのつかぬ形へと移ろう。
我ながらあまりに異様だった為、それを打ち明けられたのは古い馴染みくらいだった。
もっとも、その古い馴染みに話したところで笑い飛ばされてしまっていたが、いっそそのくらい適当な反応の方が彼にとっては有難かった。

青年は次第に恋を理解し始めていた。
同時に募るのは、彼女への報われぬ恋心と、それ以上の祖先への他ならぬ怒り。
彼は、年若くして亡くなったらしい。
何故、愛する者を遺して死んだのか。
好きならば遺して逝けるはずがない。
二人が結ばれることはなかった。
彼は生涯独り身だったからだ。
幸い彼には弟がおり、弟が縁を結び煉獄家の血筋を繋いだことで青年は今この時代に存在することが出来ている。
その後の彼女の行方は分からない。
ただ、遺された彼女がその余生を他の誰かと幸福に過ごせたのならばと願う反面、死んだ者があまりにやるせないという悔しさに苛まれる。
死んだらそこで何もかも終わってしまうという改めて突き付けられた惨い現実。
救いなどない。何も。
死とはそういうものなのだ。
青年は一種の諦めさえも感じていたが、それでも諦め切れない思いがあったからこそ、彼は今も尚歴史を追い求め、すでに確立してしまった結果以外の何かを見出そうとしているのかもしれない。


□■


「煉獄」

名を呼ばれ、ハッと我に返る。
彼ーー煉獄杏寿郎は幼き頃からの夢だった教職に就き、忙しくも充実した日々を送っていた。
その傍ら、想い人の面影を探して回る。
彼の休日の過ごし方は八割方“それ”だ。
無論、ただやみくもに希望的観測のみで動いている訳では無い。
事の始まりは、とある画家の個展だった。
そこで手にした一枚の肖像画。
夢の中で相見えた初恋の女性。
いずれも同一人物であり、その女性こそが文字で知り得た相手であると確信している。

「……冨岡か!すまん、考え事をしていた!何か用か!?」
「パンが」
「パン!?」
「爆発している……」
「なんと!?!?」

気付いた時にはもう時すでに遅し。
杏寿郎が慌てて電子レンジの蓋を開くと、そこには温め過ぎてしまった挙句、無惨にも爆発してしまったフレンチトーストだったものが湯気をもくもくと立てていた。
唖然とする杏寿郎。
体育教師・冨岡義勇はその様を覗き込むなり、何か気付いたのか口を開こうとするものの、横から入ってきた別の声にかき消される。

「おーおー、派手にやっちまったなァ。米派のお前がパンっつーのも珍しいが、なんたって冨岡がここにいるんだ?」
「うん?その声は宇髄か!冨岡の所在については何らおかしくあるまい!きっと電子レンジを使いたくて後ろに並んでいたのだろう!」
「や、だってこいつの昼飯ぶどうパンだぜ。わざわざぶどうパン温めて食うの?」
「今日はぶどうパンじゃない」

そう言って、ふんす、と何処か誇らしげにウインナーパンを取り出す義勇。

「タンパク質も摂るべきだと言われたんだ」
「……そーかい」

もはや突っ込む気すら薄れ、もうお前ら早く相手見つけて結婚しろよ、と、胸の内で呟くに留めるのは、美術教師・宇髄天元。
どういう訳かこの学校の教員は驚く程に既婚者が少ない。
顔は悪くない、むしろ良い部類に入ると贔屓目なしに思うのだが、変わり者揃いであることは否めない。
中でもこの男ーー歴史教師・煉獄杏寿郎。
彼の恋愛観は特に群を抜いて変わっていた。

「確かに!お惣菜パンは温めた方が美味しくいただけると思う!」
「いいからお前は早くそのフレンチトーストの残骸まみれの電子レンジをどうにかしろよ。学校の備品壊したら弁償だからな」
「そういう君も美術室を早くどうにかした方がいいぞ!またも爆破したと聞いたが!」

今日まで続いていた平凡な日常に、ほんの僅かな変化の兆しが見える。
普段、米ばかり食べている同僚が洒落たパンを昼飯に持って来るという、杏寿郎を知る古い馴染みからすれば驚くべき変化。
一見すると些細な変化が、これから起こるであろう大きな変化を予感させていた。



1 / 表紙
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