気づけばそこは、産屋敷邸だった。
どういう訳かここまでの道のりを、名前は全く覚えていない。
産屋敷当主のお館様と御内儀、ご子息ご息女が住んでいるこの邸宅、場所は秘匿とされており、本来“隠”の案内無しに辿り着くことはできないそうだ。
唯一、鬼殺隊最高剣士である“柱”のみが知ることを許されている。
庭園は枯山水、庭に敷き詰められた白砂で流れるる川の水を表現し、その周りを囲うように植えられた花木は季節によって異なるらしい。
静かな場所だった。
音の無い、美しい世界。
まるで自分と杏寿郎ただ二人だけ、この世界に置いていかれたような錯覚。
ほぅ、と、景色に見とれていると、杏寿郎に腕を引かれ、ようやく名前は歩みを進める。

「面会時間まで、庭を少し歩こう」

約束の時間まで約半刻。
束の間の、穏やかな時間。

「お館様をお待たせするわけにはいかないから、あまり遠くには行けないが。美しいだろう、庭園(ここ)は。確かな腕前の庭師なんだ。俺の生家もお願いしている」
「.....煉獄さんの家って」

まさかとんでもなく金持ちなのでは、とはあまりに直球過ぎて言えやしない。
杏寿郎は以前、自分は長男なのだと、そう口にしていた。
本家を継がねばならぬ長男の存在は特段重きを置かれており、女に継がせようなどという思考は当時そもそも無かったので、その分、期待も責任感も全て背負わなくてはならなかった。
きっと、大層重かろう。
微塵も感じさせないが。
ただでさえ強き者としての重い責務を背負っているというのに、彼はどれ程のものを、その背に抱えているのだろう。
肉眼で見えるはずもないが、名前は杏寿郎の肩から背にかけてをじっと見つめていた。

「むぅ!?何か見えるのか!まさか、見えてはならぬものではないだろうな!?名前にはあるのか!霊感が!俺にはからっきしらしいが!」
「あっ、いえ、そういう意味では.....」

その時、空気が揺らぐ。
これは、明確なーー殺意。

「!」

二人がそれに気付いたのはほぼ同時。
背後でじり、と砂利を踏む音がして、反射的に振り返ると、そこにいたのは傷だらけの男だった。
鋭くつり上がった眼は血走っており、見るからに凶悪な面相。
つまるところ、ヤバそう。
加えて、その手に握り締めた日輪刀を隠そうともせず、その刃先は紛うこと無くこちら側へと向けられていた。

「不死川か!」
「不死川.....?」

名前だけは聞いたことがある。
半鬼である名前が無害であることを小芭内に証明するべく杏寿郎がとった行動を、彼は「不死川方式」と呼んでいたっけ。
“あの”、不死川?
腕を刀で切り付ける?
確かに、彼の身体は傷だらけだが。

「おい、そこの鬼ィ」
「.....わ、私?」
「テメェ以外に誰がいるってんだ?よくもまぁノコノコとこんなとこまで来やがったなァ」
「俺が連れて来たんだ。不死川」
「煉獄。お前は黙ってろォ」

ゆらり、実弥の肩が揺れる。
これは、獲物に狙いを定める動作。

「いい加減うんざりなんだよ。なァ、オイ。鬼殺隊はいつから鬼愛護団体に成り下がった?あァ?」
「鎹鴉から聞いていないのか?君は。柱全員に行き届いていると思ったが」
「聞いてるぜェ.....その鬼は人を襲わねェだとか、お前が命懸けてるって話もなァ.....だがなァ煉獄。お前は一つ勘違いをしてやがる。襲うか襲わないかの話じゃねェ.....そいつが、鬼か否か。それだけの単純な話さァ」
「この娘は鬼ではない」
「何をもってして、そう断言する?.....ったく、揃いも揃ってどうしちまったんだろうなァ。炎柱ともあろうものが腑抜けやがって.....虫唾が走るぜェェ!」

ズザァッ、音を立てて煙と共に砂利が飛び散った瞬間、実弥は姿を消した。
一度瞬きをして目を開けば、すぐ目前に赤く血走った眼と、ぎらり、鈍い光を放つ彼の日輪刀。
名前、と、杏寿郎に名前を呼ばれたような気がしたが、あまりに風の音が大きすぎたが故にかき消される。
実弥の呼吸は、まるで疾風が如く、それでいて暴風の如く荒々しい。

避けられない。
逃げられない。ーー斬られる。

「実弥」

鈴のような、優しい声がした。
か弱き声なのに不思議と良く通る、何処までも透き通った声。
突如、暴風はピタリと止まる。
反動で髪の毛は全て後ろへ流れた。
遅れて、背筋を流れる冷や汗と、ぞぉ、と顔が青ざめる感覚。
あの制止の声がなかったら、名前は恐怖を感じること無く頸を斬られていたかもしれない。
万が一そうなってしまう前に、杏寿郎が懐から日輪刀を抜いていたが。
.....今の、声の主は誰だ?
柱を呼び名でも苗字でもなく、下の名で呼ぶことのできる人物は多くない。
なにも禁じている訳ではないが、皆、恐れ多くて口にできないのだ。

「駄目だよ実弥。彼女のことは私が呼んだんだ。私がここに招いた、大事なお客様なんだよ」
「ッ、.....お館様」

彼の登場と共に、時は止まる。
名前は息をすることも忘れ、声のする方を向いて、目を見張った。
お館様と呼ばれるその男ーー名を、産屋敷耀哉という。
顔の上半分は焼け爛れたような痕で覆われており、こちらを見つめる瞳に瞳孔は無い。
童子に手を引かれ、少しずつ歩み寄るその様はあまりに弱々しく、しかし、身に纏う目に見えない何かからは力強さをひしひしと感じる。
不意にハッとして振り返ると、杏寿郎と実弥は身を屈め、恭しく頭を垂らしていた。



104 / 表紙
[]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -