スパンッ、開かれたと同時に、部屋に飛び込んできたのは雛鶴だった。
彼女もまた珍しく青ざめており、うずくまった名前の姿を確認すると、真っ先に駆け寄る。

「名前!」
「......雛鶴......さん」
「見つかったんだよ!あんたがついさっきまで会っていたはずの、菊良さんの変死体が!山奥で!少なくとも、死後数日は経過してるって話さ!」

本物の菊良は、殺されていた。
恐らく、鬼舞辻無惨の手によって。
であれば、見合い写真に映っていたあの男は本物の菊良なのか、あるいは。
真相は誰の口からも明かされない。
死人に口なし、とはまさにこのこと。

「怪我はないかい!無事なのかい!?」
「ゆ、指を......」
「指!?」

ぎょっとした雛鶴が名前の手をぐわしと掴み、目をやると、なんと右手の人差し指が関節部分から綺麗に無くなっているではないか。
幸い、出血は止まっていた。
普通の鬼程ではないが、名前は只人よりも怪我の治りが早い。

「あんたに何かあろうものならば、あたしゃご先祖様に顔向けできないよ!」
「......」

大袈裟ですよと言ってやりたい。
ご先祖様だなんて、そんな。
だが、言葉を紡ぐことすらままならず、名前は笑ってみせたつもりだった。
その笑みがあまりに弱々しく、雛鶴はなんとも言えない表情を浮かべた。
こんなにも悲しんでくれるのですか。
まだ出会ったばかりの、人外に。
......。
駄目だ、体力の限界の限界。
意識を保つことすら難しい。
名前は、雛鶴の腕の中で、とうとう薄ろな意識を手放す。

考えなくてはならないことは山のように募り募って、本当に大事なことに限って下の下へと埋もれてしまう。
記憶と言うものは、酷く儚い。
忘れてしまわぬように。もう二度と。
そうやって、記憶の中に繋ぎ止めておきたいのだけれど、忘れてしまったことさえ忘れてしまった名前は、思い出す術など持ち合わせていない。

「......」

すぅ、と名前が小さく寝息を立て始めた頃、雛鶴の背後に、音も無く姿を現した者がいた。

「怪我人は」
「!」
「安心しろ。怪しい者ではない」

ぶっきらぼうな物言いの“彼”は、懐の刀から手を離すと身を屈め、名前の寝顔を覗き込む。
その瞳はどこか虚ろで、人の顔色を読むのに長けた雛鶴でさえ“彼”が何を考えているのか全くわからない。
雛鶴は、再び視線を名前の手元へ。
ぴたりと止血し、傷口が徐々に塞がってゆくのが目に見えて取れる。
それと、鈍い光を放つ爪。
まるで研ぎたての包丁のよう。
雛鶴は一瞬思い悩んだが、それよりも先に口を開いたのは“彼”だった。

「その娘は保護対象だ」
「......あんたは?何者なんだい」
「鬼殺隊。鬼を狩る者」

言葉数が圧倒的に少ない“彼”ーー鬼殺隊最高位の剣士”水柱”冨岡義勇は、始終無表情であったが、名前の顔を見た一瞬だけ、僅かに顔を顰めた。
そして一体何を思ったのか、おもむろに手を伸ばそうとするが、突然にゅっと別の手が割り込んできて、その腕を掴む。

「彼女に何か用か。冨岡」
「......」

割り込んできたのは、杏寿郎だった。
彼の口角は相変わらず上がっていたが、ほんの少しだけ息が荒く、上下する肩の動きはどこかぎこちない。
そして、掴まれた箇所。
熱い。彼の手は熱を持っている。
義勇は振り払おうにも無下に振り払うことができず、淡々と言葉を紡ぐ。

「......宇髄から連絡が入った。だから、一番近くにいた俺が来た」
「そうか!それはありがたい!ちょうど人手が欲しかったところだ!」

そこでようやく杏寿郎は手の力を緩め、義勇の手は解放された。
実のところヒリヒリと痛かったが、義勇は若干不満げに眉を顰めただけで、何も言わない。
杏寿郎は、なんとなく義勇の言いたいことを察していたが、彼にとっては何よりも名前の身の安全が最優先。
どうかこの娘のことは俺に任せていただきたい、戸惑う雛鶴にそう告げると、杏寿郎は名前をひょいと抱き抱えた。

「俺も、改めて話がしたかったんだ」
「......俺からは何も話すことは無い」
「まぁ、そう冷たいことを言うな!一度くらい共に飯を食ってもバチは当たらないだろう!」
「......」

そこで義勇はさらに顔を顰め、見たところ心底嫌そうだったが、なにも杏寿郎のことを嫌っているわけではなく、単に、誰かと行動を共にするのが苦手だった。
つまり、協調性が無い。
基本的にひとりでいたいタイプ。
とはいえ、こうも言われてしまっては杏寿郎相手に拒否し続けられる程の語彙力も忍耐力も、彼には無い。

「......さて」

未だにぐわんぐわんと鈍痛のする頭で、杏寿郎は考える。
すぐに気づいた。
名前の鬼気が強まっていること。
その証拠に彼女の爪は伸びていた。
まさしく、人喰い鬼の如く。
だが、治癒力は鬼のそれと比べだいぶ劣っており、切断された指の有り様はなんとまぁ痛々しいことよ。
杏寿郎は、彼女を起こしてしまわぬようそっと指先で傷口に触れる。
次いで、頬、そして、目元。
......赤くなっている。
泣いたのだろうか。
誰に、如何様にして泣かされた。
俺の目の届かぬ場所で。

「許せんな」

ぽつり、呟かれた言の葉は誰に拾われることも無く。
ゆらり、胸の内で揺らめく炎の存在など誰ひとりとして知る由も無い。

「煉獄」

背後から義勇に名を呼ばれ、杏寿郎は言葉こそ返さなかったが、小さく肩を揺らして応じる。

「......食堂に行くのならば、」

やや間を置き、義勇が放った言葉は。

「鮭大根のある店がいい」
「......うむ!承知した!思い当たる店があるんだ!」

こうして居合わせた義勇と合流した、杏寿郎と名前。
遊女の装いをした名前と、燃え上がる炎のような髪型をした杏寿郎は、良くも悪くも街中で一際目立っていたので、道中数多の視線を浴びながら、彼らは向かう。
目指すは、鮭大根の美味い店。





伍ノ巻「ゆびきり(中編)」《完》



77 / 表紙
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