「......さて、」

名前の後ろ姿が視界から消えると、杏寿郎はぴたりと手を止め、その表情からは笑みが消える。
目線を向けたのは、背後。
そこに立つ大木の、枝の上。

「そう、殺気立たないでくれ。そちらの言い分も理解できるが」
「さぁ......どうだかな。信用できるか否かは、其方次第」

今のところ、信用できないけど。
そう言うと、彼は軽やかに飛び降り、音もなく軽やかに着地する。

「まったく、あの若造といい......今、こういうのが流行ってるのか」
「そういう訳ではない」
「じゃあ、なんだ。お前程の人間が、なぜ、こんな馬鹿げたことを?理解できない。腹立たしい。お前も、鬼を匿った人間は鬼もろとも斬首すべきと......」
「あの娘は、鬼ではない」
「......はぁ?何を言っている」
「見ただろう。陽の光の下に晒されても尚、姿を保てている。そんな鬼は、今までに一度も、かつて存在しない」
「じゃあ、何だ。あの娘を監視する為に、敢えて行動を共にしているとでも言いたいのか」
「......」

杏寿郎は何も答えず、ただ、ニコッと満面の笑みを浮かべる。

「笑って誤魔化すな。俺は騙されない」
「騙すつもりなど毛頭ないぞ!」
「わかっているだろうな?これ以上、例外は許されない。絶対に。何か、問題でも起こしてみろ。腹を切って詫びる程度じゃあ済まさないからな」
「ワハハ!肝に銘じておこう!」

鬼殺隊最高位の剣士”蛇柱”ーー伊黒小芭内は、杏寿郎を一瞥すると、すぐにふいっと顔を逸らしてしまった。
口元を包帯で覆っており、髪で片目が隠れている為、彼の真意を表情からは伺い知れず。
なんにせよ、鬼は絶対信用しない、問答無用で滅殺すべし、という確固たる考えを持つ彼のことだから、快く思っていないのは確かだが。

「そういえば、ここに来ているのは伊黒だけではないのだろう!?」
「......」

小芭内は何も言わず、姿を消す。
否定もせず肯定もせず、ただ、杏寿郎にはもうひとつの気配の正体を間違えない確信があった。
なぜなら、“彼女“はーー


□■


その頃、更衣室にて。

「ん?先客?」

露天風呂に入るべく、名前はいそいそと袴を脱ぎ捨て、桶とタオルを片手に、今まさに、引き戸を開こうとしている矢先だった。
すると、戸の向こう側から、ポチャン、と小さな水音がしたものだから、誰もいないと思い込んでいた名前は、ハッとする。

「......なんだか、緊張するなぁ」

ガラガラガラ、と戸を引くと同時に、露天風呂の湯気で一瞬、視界が妨げられたが、その特徴的すぎる髪色は、靄の中でもやけに際立って見えた。

「あれ?......あれれっ?今日は私たち以外、いないはずなのに!!あっ、もしかして......しのぶちゃん?」
「! ご、ごめんなさい!私、しのぶじゃなくて、名前です!!」

思わず、反射的に名乗ってしまった。

「ぶふっ」
「......」
「ご、ごめんなさい......なんだか面白くって、つい」
「......」

そこにいたのは、湯煙に包まれた、ひとりの可愛らしい娘。
だが、その髪色は頭頂から肩口までは桜色、そこから先に行くに連れて草色に染まっており、とても奇抜である。

「えーっと、名前ちゃん?あなたはどうしてこの場所に?」
「?」
「あら?女将さんに聞いてない?この旅館はね、今は“柱“限定なの!でも、独り占めはよくないわよね。だって、こうして誰かと一緒の方が楽しいもの!」

彼女ーー鬼殺隊最高位の剣士”恋柱”甘露寺蜜璃は、名前の腕を取り、引き寄せると、そのままぎゅっと抱きしめた。
この時、名前は様々な意味で驚く。
ひとつは、この可愛らしい彼女が、杏寿郎と同様に“柱“だということ。
ひとつは、彼女の、名前を抱きしめる力が、あまりに強すぎたこと。

「......ッ!?」

のちに知ることになるのだが、蜜璃は変異個体(ミュータント)である。
その体躯を構成する筋繊維の密度は、先天的要因によって、常人の八倍。
剣士として死線をくぐり抜け続けてきたその身体は、鬼を驚愕させる程の剛さと堅さを発揮する。
押し付けられたふくよかな胸と、見た目に反して堅い腕に拘束され、名前は暫しの間、呼吸すら、ままならなかったそうな。



12 / 表紙
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