夢から覚めたあとのあの心地は、なんという言葉で表現できよう。
 覚めれば夢は現実に取って代わるだけだ。それに違いはないのだが、夢が現実に移り変わる一瞬。あの短い時間。あれは、一体どんな言葉でも表現出来やしない。

 くだらないことを考えながら、寝台から体を起こす。今日も私はシンドバッドの中にいた。シンドバッドが叫んだ望みは一週間の冒険だったのだ。
 口に出すのは苦労しただろう。彼は国を愛し臣下を愛している。だからこそ、それらに望まれるべき自分を崩そうとはしなかったのだから。

 私は静かに笑みをこぼした。腹を抱えて大声で笑いたい気持ちだったが、相変わらず今日も声はでないようだ。
 主の起床に気付いたのか、侍女が食事を用意し始める。夢魔としては普通の食事をとることに違和感がある。まぁでも仕方ない。シンドバッドの体のために食事をとる。
 箸が進みを止めると侍女は皿を下げ、着替えを用意した。布が多くゆったりとしたデザインの服だ。袖を通し一通りの着脱を終える。それを確認すると侍女は部屋を去っていく。

 さて、何をすればよいのか。

 そう思っているとノック音。小さく開いた扉からこちらを伺う赤髪の巨漢。多分冒険書の描写から考えてみるにこの赤髪はマスルールだろう。あの巨大化するという…巨大化してくれないかな。

「シンさん、おはようございます」

 マスルールに口パクでおはようと返す。マスルールはもともと無表情に近い顔をけわしくした。

「声、まだ出ないんすね。大丈夫ですか?」

 笑顔で頭を上下に振る。大丈夫だ問題ない!といった風が伝わるように。マスルールは眉間のシワを取り払い頷く。そのときに存外、彼は表情が豊かであると気づく。本当にささいな動きだが、眉が優しく下げられたのだ。
 そうかやはりマスルールもシンドバッドのことを慕っているのか。

「元気は元気なんすね。良かったです。今日も仕事はなしでいいそうなんで、何がしたいっすか?」

 私はシンドバッドの代わりを勤めなくてはいけないのだから、仕事をしたかったのだが…。まぁ仕方ない。他にもしたいことはあったし。
 私は寝台から飛び出し、窓を開ける。そして城下を指差した。
 マスルールはしばし考えこんでから、あぁと言った。

「町に出たいんですか?」

 その通り!いたずらな笑みを浮かべてマスルールを伺う。マスルールは悩む仕草を見せた。ダメなのだろうか?簡単に王様が城を離れては。

「…平気だと思うっす。でも一応顔隠したほうが…」

 OKはもらえた。取りあえずターバンで頭部を隠してみる。マスルールは何時もと変わらないと、目で訴えてきた。

「面倒くさいし、もうそのままで大丈夫っすよ多分」

 なんとも投げやりにマスルールが言い私はそれに従うことにした。連れたって部屋から出て、王宮の廊下を歩いていく。
 朝から文官や武官で人通りが多い。皆一様に私とマスルールに頭を下げ挨拶してくれるので、笑顔や手を上げて反応をする。臣下にこうも慕われるとは、本当にシンドバッドはすごい。

 感心しているとマスルールは急に歩く速度を速くした。私も慌ててそれに合わせる。

「すみません。面倒くさい人に捕まりそうだったんで」

 マスルールの言葉に後ろをうかがうと、褐色の肌に銀髪の髪の男が書類を持ち歩いていた。見た目は軽そうで王宮仕えをするようには見えない。
 強いていえば武官向きに見えるが…。だが文官のように様々な巻物を抱えて歩いている所を見るに、人は見た目で判断してはいけないなぁと実感。
 確か八人将にも褐色肌の男がいたような気がする。昨日読んだ冒険書を頭の中でなぞらえつつ、マスルールについてゆく。

 マスルールはよほど会いたくなかったのか、さらに無口になり走っていた。
 走ったまま城門を追加する。マスルールと私の姿に慌てた門番さんは、戸惑いつつも「行ってらっしゃいませ!」と敬礼していた。

「このまま下っていくと城下街は直ぐつくんで。今の時間なら朝市がやっています」

 朝市か。賑やかなんだろうな。大抵夢の世界に1人でこもるのが夢魔であるから、少し楽しみだ。笑った私に気付いたのだろう。マスルールさんが立ち止まりじっとこちらを見てきた。

「民が安心して生活出来るのは、シンさんのおかげですから」

 無表情の中に尊敬と感謝を入り混じらせて話すマスルール。あぁ、本当に。シンドバッド、あなたはすごいな。朝焼けに光る街を見ながら、出はしない声で嘆息する。

 こんなにきれいな国を、私は今までに見たことがないよ。



 朝市から私たちは目立っていた。王様、マスルール様と親しげに民が呼びかけて、売り物であるはずの新鮮な果物を譲ってくれる。
 民に知らせてよいものでもないだろう。私は声が出ないことを気取られないよう、表情を和やかに保つ。
 声が出ない私の代わりにマスルールさんがお礼を言ったり話をしたりを受け持ってくれる。

 元来無口な性格らしい彼に、無理をさせるのもやむなく朝市からはそうそうに離れた。シンドリアは海に囲まれた国であるので、海を見ようと思い港へ向かう。
 朝から活気あふれる港、とまではいかなかった。今は朝からの漁を終え、後片付けをしている所だった。すでに魚は市場に並んでいたので、納得がいく。漁師の朝ははやい。

「波も風も穏やかっすね」

 空も晴れ渡っており、1日安定した気候になるだろう。太陽光を反射し揺らめく海を眺めていると、マスルールがあくびをした。彼はねむいと漏らす。朝早くからつき合わせてしまったな、と反省する。

 遠いせいで大分小さく見える王宮を指差す。あくびをした口を押さえたマスルールがゆっくり指指す先を確認した。

「もう帰るんすか?」

 頷く私に、マスルールは指を一本立てる。

「最後に案内したいとこあるんですけど、いいすか?」

 何々?と首を傾げる私にマスルールは道を先導しはじめる。私はまた彼の背中についてゆく。

 マスルールがいざなう先は森だった。私には見覚えのない不思議な動植物が自生している。
 気性の荒そうな鳥が頭上の上を飛んでいった。私が鳥を気にしているのを見て、マスルールは「あとで食べます?」と尋ねてきた。食べられるんだあの鳥。くちばしの部分が大きいが、美味しいのだろうか。

 道なき道を進んでいく。マスルールは慣れているのだろう。自然の障害物もあるというのに、歩みに迷いがない。私も何てことはないようについていくが、ちょっとしんどかった。

「そろそろつきます」

 マスルールの発言通り、それから道が急に開けた。高台であるそこからは、国が一望できた。城も町も城壁もその先の海も見える。見ごたえのある景色に感動する。

「この国はシンさんやジャーファルさん、国を想う全員で作り上げた国です」

 マスルールの言葉には誇りが感じられた。それも表情を見るまでもない。この景色のように輝く瞳と目をあわせるだけだ。

 本日何度目かの光に包まれながら、私は目に焼き付ける。眼下に広がる素晴らしい世界を。



夢魔の2日目


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