シンドバッドは飛び起きた。あの妙な人物から杖を向けられてから意識がない。状況を把握しようと辺りを見渡す。そこは遊牧民が住むテントのようだった。

「起きたかい少年」

 室内にいた老婆に声をかけられ、少年?とシンドバッドは首を傾げた。もう自分は少年と呼ばれるような年ではないのに、と。

「お主の周りのルフは妙な動きをしておるの」
「お婆さん、あなたルフが見えるのか?」
「ほっほっ見えはしないさ。私は感じているだけじゃよ」

 言葉が通じたことにシンドバッドは安心する。ルフなどの用語が通じる点において、ここは自分の常識が通る世界だ。

「そうなのか。お婆さん、ここは一体どこだろう。私は近隣の大きな国に向かう途中だったのだが」
「そうなのかい?ここは黄河一族のテントだよ」
「黄河というとあの大黄河帝国の子孫!なら今近隣で一番大きな国は…」

 煌帝国であるな、とシンドバッドは思った。老婆も煌帝国だよと返したから間違いない。最近台頭してきたアル・サーメンと深い関わりを持つ国である。自分が近くにいるとまずいのではないか。シンドバッドはベッドから降りる。

「?」

 そこでようやく、シンドバッドは自分の体の様子が違うことに気づいた。何時もより体が軽い。手が腕が足が小さい。
 まるで昔の…まだ自由に世界を駆け回っていたころの自分だ。

「お婆さん!鏡はあるかな鏡!」
「ほっほっ、慌てなくてもほら、そこにあるだろう?」

 シンドバッドは指さされた方向に慌てて飛んでゆく。鏡を覗きこんで悲鳴を上げた。

「なっなんで若返ってるんだ…?」

 鏡の中で戸惑った顔をしているのは間違いなく若いころの自分だ。違うのは髪と瞳の色や服装ぐらいか。いやいやしかしこれは、どういうことだ?
 あの夢の中であった人が原因としか思えない。黒いルフを食べた、あの人物だ。たしかなんといっていた?

『一週間、あなたの体と私の体を取り替えよう。あなたは私が大丈夫なのか確認すればいいし、その間に私はあなたの呪いを幾分か軽くする』

 たしか、そう言っていた。この体はあの人物のもので、今俺の体はあの人物がいるということか?
 シンドリアへ早く帰らなければ。あの人物の言葉をそうやすやすと信じるわけにはいかない。しかしここは東の国。帰るには少なくとも6ヶ月はかかる。
 どうしようか、シンドバッドは頭をかかえる。するとふと夢で会った人の言葉の続きを思い出した。

『あなたは冒険が好きなようだし、一週間の休暇だと思えばいい。私の体で世界を回っておいで。国のためとその冒険心を抑えつけることが、呪いを増幅させるのだから』
『一週間後に会おう、若き王よ』

 一週間。確かに夢人(ゆめびと)はそういった。一週間後には元に戻るということか?
 そもそも夢人はおかしかった。
 自分のことなどは特に何も話していないのに、シンドバッドの冒険心を見抜いていた。ルフのことは知らない様子だったのにも関わらず、だ。
 堕天の影響もないのらしい。そんな存在がこの世界にいるわけがないので、本当に、言葉を借りるなら『別のことわりを持つ者』なのだろう。

 それがシンドリアに危害を加えるだろうか。違う世界のことだ。なんの価値もないのでは?そうも思ったがやはりシンドバッドから不安は消えない。

「お婆さん、助けてくれてありがとう!俺は今すぐにでも煌帝国に向かいたい!距離はどれくらいのものだろうか?」

 煌帝国からまずはバルバッド行きの船に乗ろう。時間がかかってでもシンドリアへ帰ろう。シンドバッドはそう決めて、勢いよく尋ねた。

「明日には西の国の商隊が我らの所を通るね。煌帝国に向かいたいならば、その商隊に声をかけるといい」
「そうか!…すまないが今夜宿を貸してくれないだろうか」

 今自分が何を持っているか分からない。一宿の恩義に報いるものがあるのかとシンドバッドは手持ちを探った。
 顔は似ていると言えど人の体なので戸惑いはあったが、腰に繋いであった袋がやけに重たいので開いてみる。袋では大小様々な宝石が輝きを放っていた。
 シンドバッドは目を白黒させた。一目みて高価な品々だということが分かったからだ。渡してもいいものなのだろうか、シンドバッドが考えていると老婆は笑った。

「そんな顔をしなくても大丈夫じゃよ。まだ幼いお主から私たちはなにも奪わない。黄河は誇り高き民じゃからな」
「いや、ありがたいが、その…手伝うことがあるなら手伝わせてもらいたい」

 結局人のものである宝石を譲ってもいいものか分からず、シンドバッドは手伝いを申し出た。

「まだ名乗っていなかったな。わしはみんなからババと呼ばれておるよ」
「ババ様か。助けてくれて本当にありがとう。俺の名前は…」

 言いかけて、この体の持ち主の名を知らぬことに気づいた。

「…名前はシンだ」




 黄河一族から任された手伝いをシンドバッドは楽しくこなした。テントの修理も家畜の世話も子どもたちの遊び相手も、笑顔でやってみせる。
 楽しくて仕方がないといった様子のシンドバッドに、黄河一族にも自然と笑みが広がる。

「シン、お前すげーじゃねえか!」
「こういうことは得意だし、それになにより楽しいだろう!」
「そうかそうか!」

 一族の一員、ドルジがシンドバッドの頭をかき撫でた。シンドバッドも愉快に笑いながら受け入れる。実際シンドバッドは楽しくて仕方がなかった。
 誰かと語らいながら日々の営みをし、動物と過ごし、野山を駆け回る。シンドバッドはそういう活動的なことが好きなのだ。王宮で書類に向き合い判を押す、という内向的な活動は元来得意ではない。

 けれどシンドバッドは王になることを選んだ。自分以外の人間が戦争や内紛に苦しむことのないように。些細で幸せな毎日を送れるように、それを守るために。国をつくって王になったのだ。

「次にすることはなにかあるか?」
「トーヤ!なんか仕事あるか?」
「んーじゃあシンくん、夕飯の用意手伝ってくれる?」 

 トーヤが笑いながらそう言う。シンドバッドはすぐに頷いてトーヤの元へ向かった。自分で料理を作るのも久しぶりだ。
 夕食が完成すると黄河一族全員での食事になった。焚き火を囲みみんなで語り合う。あたたかい食事だった。

 1日はあっという間に過ぎたが、有り余る満足感をシンドバッドに与えた。



 その夜。
 夢の中でシンドバッドは穏やかに笑む自分に手を振られた。

「1日ぶりだね王様。説明が遅くなって悪かった。非礼を詫びよう」

 それは自分から体を奪っていった人物の謝罪だった。





王様の1日



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