窓から差し込む月の光は眩い。満月が近いからだ。
月の光をささやかに反射していた燭台に、新しいろうそくが刺され、火がともる。燭台下部にはかなりの数の蝋が塊となっていた。
文献と向き合ってうなる女性が、明かりに照らし出される。長い間月明かりだけで文字を追っていたらしい。女性はまばゆさに目をこらした。
確かに月は天高くのぼり、地上を照らしてはいるものの、文字を読むのに不適切な明るさである。
ドラコーンは「明かりくらいつけたらどうだ」とヤムライハに声をかけた。
持ってきていたもうひとつの燭台をテーブルに置いたドラコーンに、ようやくヤムライハは書物から視線を外した。
「ありがとう、ドラコーン。こんな時間まで大丈夫なの?奥様が家で帰りを待っているでしょ?」
「帰る前にヤムライハの様子をみておこうと思ってな」
ジャーファルと同じで無茶をしかねないヤムライハを止めにきたのだ、とドラコーンは語る。
ジャーファルは今日久しぶりに眠ったようだが、ヤムライハは最近王の声を戻す研究を寝ないで続けている。
ヤムライハの髪は輝きをなくし、肌にも艶はなく、表情には疲れと焦りがにじみでている。そんなヤムライハに、もう無理はするなと伝えにきたのだ。
書類仕事に疲れているシャルルカンやピスティに代わってドラコーンが。
「あとちょっとで分かりそうなの、声の治療に効く式が」
「式が構築できようと、この術を使うのはヤムライハだ。そんなお前が弱り切っていたら、いくら完璧な式を組み上げても元も子もないだろう」
ドラコーンが言うそんな当たり前のことを失念するほど、ヤムライハは焦っているのだ。
ヤムライハは握りしめた拳を本に叩きつけた。その衝撃に燭台の炎が大きく揺れる。
「そんなことは分かってるわ!分かってるのよ…でも、でもっ」
ヤムライハは灯る明かりに目を細める。ドラコーンはなにも言わずにヤムライハを待った。
「声の出ない王様を見て、王様がどこかに行っちゃったような気がして…怖いの」
ヤムライハの言葉を聞いたドラコーンはふむと頷いた。
声が出ないという出来事のあと、以前よりは密やかに笑うようになった王。声が出ないからかもしれないが、どうにも受ける印象は違ってしまう。
ドラコーンはシンドバッドの弱い部分も少しは見てきた。それはシンドバッドより年長であるが故である。弱さを見せないシンドバッドであるから、本の微々たる面ではあるが。
ヤムライハは弱いシンドバッドなど見たこともなく、想像も出来なかったのだろう。
そうヤムライハに思わせたのはシンドバッドであり、そのため今のヤムライハを追い詰めているのはシンドバッドということになる。
まったく狡い男だ、そして彼を狡い男にしてしまった我々も充分狡い。そうドラコーンは思った。思ったが、その狡さ無くしては成り立たなくなるものがあるのも知っていた。
「シンドバッドはどこにも行かない。だから安心して休めヤムライハ」
「でも私は…」
ヤムライハはその言葉の先を紡ぐことは無かった。最初からヤムライハの背後にいたマスルールが、ヤムライハの意識を落としたのだ。
崩れ落ちそうになったヤムライハをマスルールが抱える。
「嫌な役を押し付けてすまなかったなマスルール」
このままでは押し問答を繰り返すのみで、ヤムライハは意地になって研究を続けるだろう。
そう読んでいたドラコーンは最初からヤムライハを無理やりにでも寝かしつける気があったのだ。
そしてその役をマスルールに頼んでいたのだ。
「大丈夫ッス」
淡々と放ったつもりなのだろうが、マスルールは気配にも気づかないほど弱っていたヤムライハを気にかけているようだった。
マスルールもシンドバッドの声が出ないことを傷んでいる。もちろんドラコーンだって。
「早く王の声が戻るといいんだが」
「そうすっね」
窓の外の月を見上げて願うように紡がれた音に応えるように、一筋、星が流れていった。
八人将の3日目