「今日は、大学でのお勉強が終わりましたら────」

黒縁のメガネに七三に別けられた髪。黒いスーツを気持ち悪いほど着こなした男はつらつらと今日の予定を話す。耳は半分しか傾けず、走行する車の窓から外を眺めていた。


「夜は愛様とディナーです」
「…愛?誰や」

聞き慣れない名前に疑問を抱き、今日初めての返事を返した。男はコホンと咳払いをし、昨日のパーティーの主催者神宮様の娘様です、と淡々と答えた。ああ、昨日のあの人か。と頭に思い浮かべたが、何を話したかは全く覚えていない。面倒だな、と思いながら窓の外に目をやるともう大学は目の前に見えていた。

「ホテルに、お着替えを御用意していますのでそちらでお着替えをしていただくことになります。大学が終わりましたらまたお迎えに上がります。ではお気をつけていってらっしゃいませ」
「……おぉ」

高級車から降りたら、またあの俺に戻る。愛想を振り撒いて適当に笑う。それだけで、"優しい人"や"上品"などのレッテルを貼ってくれるのだから、簡単なものだ。

(しんど…)

心の中で深く溜め息を吐いた。毎日がこんな生活の繰り返しで溜め息さえも吐けない。完璧な白石蔵ノ介を演じるには、あってはならないことだから。


夜。
夜景の見える、最上階の高級ホテルで神宮の娘と食事をした。女性はオフホワイトのドレスを着て濃い朱色の口紅をつけていた。キツい香水の匂いが鼻をつついた。昨日とは、まるで印象が違って良く喋るし、たくさん質問をしてきた。
笑顔で受け答えをするが、どれもマニュアル通りの答えたばかりで、自分を自嘲した。

「蔵ノ介さんは彼女とかいらっしゃるの?」
「いえ、いませんよ」
「そうなの」

彼女は、薄く笑い濃い色をした唇を開いた。

「私もいないの」
「はぁ」
「私たちお似合いだとは思わない?」

彼女はテーブルクロスの下からすっと手を伸ばし、向い側にある俺の膝を擦った。誘っているのだ。

(やめろや…気持ち悪い)

なんて、心の中で思っていても口に出せるはずなどなく、にこりと笑い丁重にお断りした。



その後、用事があると嘘をつきディナーはお開きとなった。
一刻も早く、こんな所から居なくなりたかった。




「蔵ノ介様!!何をなさっているのですか?この後、用事など…」
「うるさい」
「しかし!」
「黙れって言っとんのが聞こえんのか」

地を這うような声で答えると、さすがに不機嫌だということを察したのか男は押し黙った。ホテルのクローゼットから今日大学に来ていっていた服を取りだし着替える。

「今日は家帰らんから」
「蔵ノ介様!?」
「どうせ、親もおらんし帰っとるか帰ってないかなんかわからんやろ」
「しかし御主人様に無断外泊がバレたりしたら」

ドンッ!と力いっぱいクローゼットのドアを閉めた。その音に、男は肩をビクリと跳ねらせた。その跳ねた肩を掴み、耳元で呟いた。

お前が言わへんかったら、バレんやろ?

ぶるりと男は震えた。ほな、と硬直した男の肩を叩き部屋を後にした。












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