最初のほう若干血表現あり



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 独特の臭いが鼻をつく。
嗅ぎ慣れた血と、硝煙の、臭い。

畳にに広がった無数の赤黒い染み。もう、取れないだろうか。

風間は足元に横たわるその染みの元凶を侮蔑の表情で見下ろす。
金色の目を見開き、腹から無様に臓物をはみ出させて息絶えている男。見た目は三十代といったところか。
今まで見てきた鬼の中でも美形の部類に入るだろうその顔立ちは苦痛の色を滲ませている。


 「俺を狙わなければ今頃もそれなりに美しい妻や家族と穏やかに過ごせていただろうに・・・哀れだな」


そんなことを言っているが、風間の声に憐憫の感情は一切含まれていない。むしろ「それなりに」という部分に悪意すら込められている。

このところ敵の襲撃が連日連夜続き、そういった者達に対する哀れみなど何処かへ行ってしまったのだ。

 襲撃の理由はごく単純。現在の風間家の頭領が風間千景であるという事実。
千景は本来ならばまだ親の保護下に置かれているであろうほどの小さな子供。
その子供がとある事情からとはいえ西の鬼を統べる風間家の頭領に就いたとなれば、それなりに力に自信のあるものたちは黙っていなかった。


 風間は男の周りをぐるぐると巡回しながら、ふと、昨日、夜襲を仕掛けてきた者の瞼を、天霧が閉じさせていたのを思い出す。
男の顔に手を近づけてみた。矢張り、触れるのは少し・・・抵抗があった。だが、決まりごとには従うべきだろう。

死んだ者の瞼は閉じさせるものだ、という間違ってはいないが場にそぐわないことを実行する。
それから別の亡骸へと近づき顔を観察してみた。先程の男と同様、目を見開いているが、額には穴が開いているのが印象的だ。

何処かで見たような気がしないでもないが・・・まあ、別によいか。

そう思いその男の瞼も閉じようとするが、それより先に横から無骨な手が伸びてきて風間の体を持ち上げた。

 
「おい、あんまり触んなよ。手ぇ汚れんだろ」


 呆れたように言うのは鬼の中では珍しく、ぴすとる、というものを使っている不知火だ。
何故か今現在、風間と行動を共にしている。


「ん?こいつ・・・」

不知火が足元の男を見下ろし眉を顰めた。

先程、何処かで見たことがあるような気がした男。もしかしたら不知火が知っているかもしれない。
そう思い先を促す。

「知っているのか?」


「ん?ああ、そういやこいつお前の義兄弟にあたるやつか」


風間を抱えたまましゃがみこみ、少し高揚感を滲ませて言う。おそらく思い出せたという達成感から。
対して風間はこれといった表情も浮かべずぼんやりとした口調で不知火の言葉を反芻する。


「ぎきょう、だい・・・・」


「ああ。確かお前の親父の――」


「不知火」


後ろから鋭い制止の声がかかった。鋭い、というよりもはや殺気に近いかもしれない。
それほどまでに、きつい声音。


「・・・わりぃ」

「?不知火、どういうことだ?」


「ほら、千景。この話はもう終わりです。帰りましょう」

「え・・・っおい、天霧?」


風間の体が不知火から天霧へと強引に移される。ほとんど奪い取る形だ。


「天・・・っ!」


文句を言おうとしたが声を出してすぐに止めた。

 何処か遠くを見て考え込んでいるような天霧の、顔が。今まで見たこともないくらいに硬く。そして、苦しそうで、悲しそうだったから。


何故、だろうか。


風間は不思議そうに首を傾げて不知火のほうを見る。
不知火は天霧の表情には気がついていないらしく、なにやらぶつくさと言っている。


「・・・天霧」


まあ、よく分からないが。とりあえず・・・


「何ですか・・・っ?!」


風間は天霧の頬にそっと口付けを落とす。

天霧は少し驚きそれからやわらかに微笑み問いかける。


「どうされたのですか?」


後から恥ずかしくなってきたのか、風間の頬はほんのりと赤く染まっている。
それを隠すように天霧の肩に顔を押し付け、そのせいで少しくぐもった声でしどろもどろに答える。


「と・・・父様に、教えてもらったのだ。元気、を出させる・・・方法、だと」


不知火は・・・蹲って震えている。おそらく、絶対、爆笑してる。後で殺す。
天霧は尚も変わらず微笑んでいる。



「ありがとうございます」


「・・・・っ!・・・ああ」



この笑顔が見れたから不知火も許し・・・いや、矢張り許さない。殺そう。









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 「・・・・いきなりそんな話をされて俺にどうしろと言うのだ?」

風間家の一室にて。風間は不機嫌そうな顔で方膝を立て頬杖をついている。そして天霧は穏やかに笑っている。

事の発端は十分前。
二人でくつろいでいた最中、天霧が急に「ああ、そういえば貴方が『元気のでる方法』だと言って私の頬に口付けをしてくれたことがあったんですよ」などと言い出したときまでさかのぼる。

そんなことがあるはずがない、と思いつつもいざ状況を聞いてみると当時の記憶が結構な鮮明さでよみがえり、焦った結果・・・開き直ることにした。確かな事実として存在した為だ。


「いえ、別に。あの頃の貴方は純粋でしたね・・・と、いう」

「成る程、今の俺は不純だと?そう言いたいわけだな、貴様は?」

「いえ。そうは言ってませんよ」


「いや、どう考えてもそういった意味にしか捉えられない」


ふいっと視線を窓の外へと移動させる。天霧を視界に入れることが不快だ。いや、不快ではないが、なんと言うか嫌だ。


「心配、していたんですよ」


ふいに低くなった声とまじめな顔。



「・・・何を?」

「貴方を」




「何故?」


顔だけは不機嫌を装ったままで。内心の動揺はすさまじい。


「あの年で、死体を見ても、義兄弟が殺されても・・・ほとんど無表情で。どうなるか心配だったんですよ?」


そう、だったのか。


風間はあのときの天霧の固い顔を思い出す。あの表情の原因をつくったのが自分だったのか、と思うと自然に苦々しい気持ちになってくる。



「ですが、余計な心配でしたね」


「全くだ」




「それで?今の貴方なら何処へ?」


唐突な質問に一瞬戸惑うが、意味を理解し微笑む。


「ふっ・・・無論」



吸い寄せられるように。


腕へ、頬へ、そして唇へ。



(今も昔も変わらずいとおしいあなたへ口付けを)









ヒヨ太さまに捧げます。有難うございました。