「鬼?」

傍らへと腰をおろす男がいかぶしげに呟くのを聞いて、風間は心中で思う。ああ、またか。

「お前が、鬼?」

「ああ」

風間はただ答えただけだ。お前は誰だという、その問いに。これまでも幾度かそういうことはあった。一方的にたずねてきて、風間が正直に答えると狂人を見るような目で見てくる。
風間が俯いているせいで見えないが、きっとこの男もそんな顔をしているのだろう。
もううんざりだ。
そんな風にみられても、もう腹を立てることはなくなった。けれど不快に感じることに変わりはない。

蝉の声が聞こえる。ひたすらに泣き続ける。
そろそろだろうか。
辺りを見わたす。誰も居ない。目の前の男以外。
風間は無益な殺生を好まない性質だ。だから、こういった輩に会ったときは、頃合を見計らって逃げるように立ち去るようにしている。
今夜もそうするつもりだった。
男が、今までと同じただのヒトだったならば。

「そっか、鬼か」

雲が、月を隠す。
風が吹いて、風間と男の髪を揺らした。
穏やかな声音で男は呟く。

「綺麗だな」

こちらをみて目を細める男。敵意を侮蔑を感じないその声に表情に戸惑い、後ずさる。
なんだ、こいつは。
そう思い眉をひそめると、男は唇をゆがめ、それからこらえ切れないと言うように笑い出す。

「そんなあからさまに警戒しないでくれないか」

男が笑みをこぼすたび、風間が後ずさる。
そのたびに男は笑って近づいてくる。それを繰り返しながら、男は喋りだした。

男の名は柊というらしい。
下の名は言わなかった。
年も言わなかったが、背格好から見るにおそらく二十代の後半といったところだろうが、浮かべる表情のせいで妙に幼く見えた。

柊は、どうでもいいことをだらだらと語った。
例えば、自分は猫より犬が好きだとか。身長が高いことが自慢だとか。蟲が怖いのだとか。

月が、すきなのだとか。

「だって綺麗だろ?」

光るさまをながめるのが楽しいと、彼は言う。
そうして空を眺めているうちに、風間を見つけたらしい。

「初めは月かと思った」

金色で綺麗だったから。
そういって柊は笑う。
俺は金色に光ってて綺麗なものはだいたい月に見えるんだ、と。

彼がそれだけ喋り終える頃には風間は彼から距離をとるのを止めていた。諦めていた。
木の下に並んで腰を下ろす。
見上げても、木々の隙間から月は見えなかった。
まだ雲に隠れているのだろうか。


***************


 あれから、彼と度々会うこととなった。どちらが決めたわけでもないが、何故か示し合わせたように月の夜に木の下で。
彼と喋るのが楽しくなかったと言えば嘘になる。人間の生活のことを知るのは楽しかったし、なにより、彼と喋るのが楽しいと、ただ純粋に感じた。

「千景」

柊の声はとても心地よく耳になじんだ。やわらかく優しく、それでいて媚びることのないその声音を風間はとても気に入った。

「・・・貴様は」

「なんだい?」

風間は彼の名前を呼ばなかった。憶えていないわけではなかった。ただ、呼んでしまうと、戻れない気がしたから。

「変わっているな」

「なにが?」

「いや、いい」

柊との会話は続かないことが多かった。話すのはもっぱら柊のほうで、風間はほとんどなにも喋らない。話しかけても大抵は途中で投げ出した。
けれど、柊は風間といるのが楽しいと笑って、風間もこんなのも悪くはないと思った。


***************


 その日も月の綺麗な夜だった。
一切欠けることのない美しい満月。
吸い寄せられるようにして外へと出かけた。蟲が、鳥が、様々な生き物がやけにざわめいていたのを憶えている。

「いないのか・・・」

少しはやく着いてしまい、空を見上げながら彼を待った。程なくするとかさりと音が聞こえて、彼が来たのかと、僅かに笑みをもらす。そこではたと気づいた。
伝わってきたのは血の臭い。
そして、その血臭をまとった気配は、かれのもの。
嫌な汗が背をつたう。振り向こうとして、手が震えた。ああ、そういえば今日は刀を持っていない。

「ちか、げ」

声がして、無理やりに振り向く。その声は平素と変わらないように聞こえて、けれど目に映った彼の姿は、いつもとはかけ離れたもので。

「貴様・・・」

腹を手で押さえてよろめきながらも必死で立つその姿が痛々しく、それ以上なにも言えずに傍へとかけよった。
途端、彼の身体が地へと崩れ落ち、間一髪で支える。

「ごめん、千景、俺・・・は、」

「黙れ」

血を止めようと自らの羽織を引き裂いて巻きつけてみた。けれど血は変わらずに溢れ続ける。
止血の方法など知らなかったから、他になにもできずに、彼の身体を支えたままその場にしゃがみこんだ。
それから、声が震えないよう懸命に言葉を搾り出す。

「貴様、俺を待たせるとはどういった了見だ」

「ごめん、ね」

「貴様、は」

「うん」

彼の身体から熱が消えていくのを感じながら、呟くように問いかけた。

「死ぬのか?」

彼は初めて会ったとき、綺麗だと言ったときと同じ笑顔で言った。

「うん、多分」


***************


 何故怪我をしていたのかとか、他にも沢山聞きたいことはあった。けれどそれを聞く前に彼はあっさりと死んでしまった。置いていけば、誰かが見つけるだろうと風間は其処を去った。

柊が死んだ後、どうなったのかを風間が知ったのはそれから数ヵ月後。
彼は身寄りがなく、山にこもって生活していたため、死んだ場所にそのまま埋められたらしい。
怪我をした理由は誰も知らなかった。
ついでに、それを教えてくれた子供に聞いてみたことだが、彼の名は柊ではないらしい。本当の名前も子供が教えてくれたが、憶えていない。
だから風間にとっての彼は柊のままだった。


***************


 そういえば、と。風間は歩きながらふと思う。
あのときの風間に対する彼等の問い、お前は誰だというのは、風間が人か否かを問うものではなく、ただたんに見知らぬ者に出会ったときのごく一般的な問いだったのではないのかと。
もしそうだったならば滑稽だ。
そんなことを不快に感じていた自分が。

「柊、か」

この名を呼ぶの初めてだ。
そう思いながら風間は僅かに唇を歪めた。

「風間?行きますよ」

「ああ」



それは、遠い日の記憶。
きっともう掘り起こされることのないであろう、遠い遠い日の。










風間さん綺麗だねって話。

モブ風・・・何処に、何処に需要があるんだろうね・・・。
なんか急に滾って書いたものの、消化不良感が否めない。

そういえば、この話の風間さんは見た目16ぐらいで。大人びた高校生ぐらいの感じで。まだ純粋なんです。だからデレデレなんです