美しいものは、いつしか潰える。
どんなに思っても、愛しても、きっといつかは消えるから。
離れるから。
だから、そんな一時の愛を囁くことは何の意味もないのだ。









 まだ日の昇りきっていない薄暗い朝。
何日も降り続けた雨がやんだ、そのことを少し寂しく思いながら庭をぐるぐると回る。
雨に濡れた地面に小さな足跡を残しながら、ぐるぐる回る。

 風間は特にあめが好きなわけではない。でも雨が降るのは嬉しい。雨が降れば外に出れないことの理由になるから。

 家のものは風間が外を出歩くのをあまりよく思わない。風間はそれが何故なのかを知っている。そしてできればそれに従いたいとも思う。
けれど、外に出るのは好きだから。
部屋の中でずっと勉強をしているだけではつまらない。

だけど、雨が降れば。
いいつけも守れて、自分の心を納得させることもできる。

 
 春告げ鳥のさえずりを聞きながら、山へと目を向けた。
あの山を越えて。また向こうの山を越えて。ずっと、ずっと奥まで行った先に、にんげんが住む場所があるのだと、父様が言っていた。
 行ってみたいと、思ったことはある。でも、行こうとは思わない。きっとあの人たちはそれを望まない。

 水溜りを覗き込む。
映っているのは、周りの大人たちとは違って、目が大きく手足が小さい、子供。自分。
風間はそれをみて眉を顰める。
 昨日、彼の父の部下が言っていた言葉を思い出す。
「貴方は子供なのですから、知らなくとも良いのです」
優しい声で囁くのは、丁寧な口調は風間が頭領の嫡男だから。
彼等が見ているのは、父様。
自分の後ろにいる、父様に他ならないのだ。

 風間は水溜りに乱暴に足を突っ込む。
水面がゆれ、彼の姿は輪郭をなくした。
 けれど次第にゆらゆら揺れて再び彼の姿を映しだす。眉を顰めた彼の姿を。
 着物の裾に、下駄に、白い足袋に、泥水が飛び散るのも構わずに何度もそれを繰り返す。

 ぴちゃぴちゃと水音をたてながら。


 それからいくらかの時間が経っただろうか。
辺りが明るくなり始める頃まで、風間はその仕草を繰り返していた。




***************
 





「千景」

朝食を食べ終え、自室で本を読んでいると、突然後ろから声を掛けられ、驚く。
低く、落ち着いた声音は風間のよく知るもので。そのことに安心して後ろを振り向く。


 「九・・・寿」

呼ぶと彼は薄く微笑み、風間のほうへと歩み寄ってくる。

 九寿は好きだ。と風間は思う。
父様の部下の奴らと違って、父様に媚を売るために自分をだしにしたりしないし、何より強い。
天霧の頭領の立場を数年前に継いだばかりの彼は、その立場に遜色ない強さを持っている。

 風間は力を持つ者が好きだ。
自分よりも強い者が。
だから、天霧も、もちろん父のことも好きだ。
けれど、彼らは。
父の部下である彼らには、力がない。
無論、純粋な腕力では子供の風間は彼らに構わないだろう。
だが、それだけだ。
単純な力だけが強さではない。
彼らはただ図体がでかいだけの、役立たず。
 風間の生まれ持った資質には到底及ばない。
だから、風間は彼らが嫌いだ。

 
 「失礼致します」

天霧は言ってから風間のとなりに腰を下ろす。
 独特の、香りがした。

父様の、匂い。
何処かに出かけた後に父様が纏っているものだ。

 風間は僅かに顔を顰め、天霧の顔を見上げる。
彼は何時もどおりの真面目な表情を崩すことなく、静かに座っている。


 「千景?」

風間のもの言いたげな視線に気がついたのか、こちらへ視線をよこす。風間はなんでもない、といって目を伏せる。


 「・・・・それで、今日はどうした?」

問いかけると天霧は困ったように笑う。

「用がなければ、会いに来てはいけませんか?」

「誰もそんなことは言っておらぬ」

答えると彼は優しげに微笑み、有難うございますと囁く。その笑顔は、あの人たちとも、父とも違っていて何故だかひどく安心した。

 きゅっ、と天霧の着物を掴み、鼻を近づける。

そこからは、矢張り父と同じ、あのにおいがした。
理由は、聞いても無駄だろう。
聞いても彼はまた、困ったように微笑むだけだろうから。それに、聞かなくてもわかる。

 また、にんげんの住処へ行ったのだろう。
父様と共に。だから、匂いがうつっている。

にんげんの、においが。

 彼らは徐々に此方へと住処を広げようとしてきていると聞いたから、それを確かめに行ったに違いない。

見つかるのも、時間の問題だ。
誰かがそう囁いていたのを思い出す。
 そうなる前に此処を出たほうがいいかもしれない、とも。
 

 きっと近いうちにまたどこかへ移り住むことになる。


けれど、彼らの目に付かないところなど、この国にはもうないのではないか。
何処へ行っても、彼らが追いかけてくるのではないか。


 そんな予感が、風間にはあった。


ぎゅうぎゅうと顔を押し付けたまま天霧の腰にしがみつく。
今は、顔を見られたくなかった。


胸の中の、醜い思いを知られたくなかった。
何かに、縋っていたかった。










こうだったらいいな、っていう妄想。
きっと軟禁されてたんだよ。無意識に。
だから頭領になってからはいろいろ動き回ってるんだよ。

あと天霧さんと父様以外のひとを見下してればいいよ。
それで人間には何気に怯えてればいい。


余談ですが、私の中の父様像は、悪いヒトです。頭はいいけど冷たいみたいな。そうです。私の趣味ですよ。