the cake is a Lie | ナノ
6. 安寧

竜崎は監視カメラに映った不可解な行動とフィアンセの失踪から、レイ・ペンバーが調査していた二つの家族の家に監視カメラと盗聴器を設置することを決めた。

ワタリの恐るべき手配の速さであっという間に各家庭の様子はこちらに筒抜けの状態になる。
盗撮盗聴をしておいて人権もへったくれもないが、やはり女性のプライバシーは可能な限り配慮したい。
そんな皆の意見で、唯一の女性捜査員の私が女性達の部屋やトイレ・脱衣所・風呂場を担当して監視することとなった。

さすがに眠らず何日も監視し続けるというのは無理で、監視対象が寝静まっているうちにモニターの前で仮眠をとるという毎日。
夜中誰か女性がトイレに起きたら交代中の松田さんに起こしてもらい、監視を代わり、済んだらまた松田さんに任せて仮眠を取る。

数日前なら夜神局長と相澤さんにまた「自室で寝ろ」と注意されてしまったかもしれないが、もはやそんなことを言っている場合ではないほど、過酷な監視作業となった。

複数のモニターから対象を監視、各々の行動をリストに記録しておき、竜崎に渡す。
竜崎は対象が寝静まっている夜中にも、渡したリストから気になる場面をピックアップし録画した監視映像を再度確認までしているようだ。

恐ろしいほどの体力と捜査にかける執念。
ただただひたすらに感服してしまう。
竜崎の事件解決に対する姿勢を側で感じながら、私も頑張らなくてはと監視に努めた。

北村家の人間はごく普通の毎日を送ってるし、夜神家も同様だ。
竜崎が特別気にしている夜神月という少年だって、ごく普通の生活を送る男子高校生のようにしか見えなかった。
竜崎のことを信用していないわけではないが、この中にキラがいて今も当たり前のように殺しを行っているというのは、あまりにも信じがたい。
いったいどんな超能力があれば、平穏な日常の中で息を吸うように人殺しができるのか。
そんな相手に私達は勝利することができるのだろうか。
あるいは──。

単調な監視作業を続けていると、ふとした瞬間にどうしても嫌なことを考えてしまいそうになる。
ネガティブな考えを追い出すように慌てて頭を振り、モニターの映像に意識を戻した。








五日間の監視を終え、竜崎はこの中に怪しいものはいないと皆に告げた。
監視作業を経て、私も含め皆げっそりとしていたが、二家族の容疑が晴れたというのは精神的に大きな救いであった。
自分の家族が疑われていることを知ってから数日感ずっと思いつめていた夜神局長。
そんな彼のほっとしたような表情を見て、私も静かに安堵した。

しかし、いよいよ捜査は行き詰まってしまう。
レイ・ペンバーの調べていた各家族が白ということで捜査は振り出しに戻り、そして新たなキラへつながる情報もない。

大晦日から二週間のあの睡眠も取れないほどの忙しさからは開放されたが、しかし捜査にほぼ進展がないことは皆に焦燥感をもたらした。

竜崎は未だ夜神月に固執しているようだったが、一度それを皆の前で話したところ、夜神局長が酷く困惑してしまった。
相澤さんが「まだ局長の家族を疑うのか」と怒り狂い、危うく喧嘩が始まるところだった。
私や模木さんが間に入りなんとかその場は収まったが、明らかにギスギスしたものになってしまった捜査本部の雰囲気。
それからというもの竜崎は、日本警察の皆に自分の疑念をあまり語らないようになった。
ただでさえ少ない人数で捜査に挑まなくてはならない中で、無駄な衝突はやはり避けたいのだろう。


夜神局長たちがいなくなった後、竜崎は私やワタリ相手に夜神月を追い続けることを語った。
日本警察の皆に知らせぬまま、密かに東応大学のセンター試験を受ける予定だと彼は言う。

「ゆくゆく夜神月と深く接触するためです」

なんてさらっと言うが、キラの可能性がある人物と直に接触だなんてあまりにも危険だ。
彼の命の行方を真面目に心配する私を他所に、試験当日竜崎は何食わぬ顔で出かけていき、何食わぬ顔で帰ってきた。

「香澄さん、疲れました」
「お疲れ様です」
「久しぶりに外に出たので緊張しました。人が多いところはやはり疲れますね」
「…そっちですか…」

あの日本一の大学の入学試験を受けて、更にキラ容疑者の前で顔を晒してきたとは思えないような呑気な物言い。
心配で堪らず悶々と帰りを待っていたので思わず拍子抜けするが、しかし竜崎が無事帰ってきてくれたことはとても嬉しかった。
ソファにひょいと飛び乗り、さっそく甘いクッキーを食べ始める竜崎。
ワタリの車で帰ってきたはずだが、そのまま別の用事を済ましに行ったのか部屋に帰ってきたのは一人だった。
日本警察の皆には、久しぶりに土曜日曜と二日まとめて休暇を出したので、常になんだかんだにぎやかだったこのスイートルームも今はとても静かである。

「試験って二日間でしたよね?明日も頑張ってくださいね」
「…またあの人混みの中に行くのは面倒ですが、がんばります」

キラと対面する緊張や試験に合格できるかどうかの不安など、やはりそういうものは竜崎の中に全く無いようである。
私はその呑気さに再び苦笑しながらも、労りの気持ちも込めて紅茶をいれた。

「香澄さん、昨日の心臓麻痺死亡者のリストは」
「ああ…はい、出来てます」

プリントしてノートパソコンの横にそのまま置いてあったものを急いで持ってくる。
竜崎がクッキーを食べるのを中断したタイミングを見計らって手渡せば、彼は摘むように掲げてリストを眺めた。

「ICPOからの報告分だけでも相変わらずの人数ですね。これ以外の情報は」
「非加盟国にもそれぞれ問い合わせましたが死亡者はいないとのことです。…あまり協力的でない国への捜査協力の要請も続けていますが返事はありません」
「わかりました。国際問題に発展してしまったら以後の捜査が難しくなるので、それらの国相手にはくれぐれも慎重にお願いします」

そうして私にリストを返して、竜崎はお菓子を再び食べ始めた。
お菓子のくずで汚れてしまう前に早くしまっておこう。
そう思い、毎日の心臓麻痺死亡者がまとめられた青のファイルを取りに窓際のデスクへ向かうと、突然「香澄さん」と名を呼ばれる。

「今回の事件に挑むにあたって、私の補佐はワタリ一人だけでは人手が足りない。そう思って香澄さんをスカウトしましたが正解でした。私の予想通り、香澄さんはよく働いてくれてます」

また何か「あのお菓子をもってきてください」とかくだらない雑用を任せられるのではないかと思っていたところに、突然お褒めの言葉がやってきて面食らってしまう。
私はファイルを抱えたまま、心臓がぴょんと跳ねる感覚に身体を固まらせた。

ただただ、震えるほどに嬉しい。
世界一の探偵である竜崎に頑張りを認めてもらえて、私の心は限りない喜びに満ち満ちた。
彼に再び会いたいがために勉学に励み、ICPOへ就職して日々経験を積んだ私の努力が今この瞬間報われたのだ。

あの竜崎にこうしてストレートに褒められる日が来るとは思わず、しどろもどろにはにかみながら「恐縮です」と返事をすると同時に──ガチャっと部屋の扉が開かれた。

「只今帰りました」

そうして毅然と部屋へ入ってきたワタリは、私が顔を赤らめながら立ち竦んでいたのを見て「はて」と小首をかしげた。

「どうしたのですか香澄さん。もしや…お邪魔してしまいましたかな」
「いえ!少し竜崎とお話してただけですっ」

竜崎に褒められてからずっと浮き立ってしまっている自分がなんだか小っ恥ずかしい。
私はワタリの質問も適当にかわして急いでリストをしまうと、大人しく自分のノートパソコンの前へと戻った。
竜崎はそれ以上私に何も言わない。
明日の予定を確認し始めた二人の邪魔にならぬようにと静かにパソコンと向かい合うが、しかし喜びから来る胸の高鳴りはしばらく止みそうになかった。









この日、竜崎に褒められたことを契機に、ようやく胸の内のつきものが落ちたような気がした。
十年間竜崎に再び会いたくて努力してきたことが報われ、ようやく恋する気持ちにケリがついたような気がしたのだ。

私の頑張りが実を結び、こうしてスカウトしてもらえて、竜崎と共に働くことが出来た。
恋として報われることはなかったが、それでも部下としては認めてもらうことが出来た。
もうこれで十分。
これ以上の贅沢を望んだって、ただつらい思いをするだけだ。

長すぎた初恋の終わりとしては、十分に幸せな結末を迎えることができたと思う。

一度つきものが落ちたのを自覚してしまえば、妙に清々しい気分である。
翌日もそのまた翌日も、毎日顔を合わせる中で、竜崎のしぐさや態度にいちいち一喜一憂しないようになったのは我ながら大きな成長だ。

そもそも今は過去に類を見ない凶悪犯罪の捜査をしている真っ最中なのだ。
皆が命をかけてキラ逮捕に向けて闘志を燃やしている中で、甘っちょろい初恋なんぞに振り回されている場合ではない。
少しでも多くこの偉大な探偵の力になれるよう、尚一層気を引き締めて捜査に臨もう。
私は晴れ晴れとした気分で日々の仕事と向かい合っていくのだった。










いつの間にか2月になってしまったカレンダーを見ながら、今日も捜査本部となっている部屋へ向かう。
エレベーターに乗り込み、渡されたカードキーを読み取り口にかざしてから竜崎たちがいるであろう上階のボタンを押した。
揺れるエレベーターの中でカードキーを大切にしまいながら、今日も頑張ろうとひとり気合を入れて、ようやく本部へたどり着く。

既に居た宇生田さんたちに一人一人挨拶をしていくなかで、私はあることに気づいた。

「あれ、竜崎は…」
「あー、なんか今日は用事があるってさっき出かけていきましたよ」

松田さんの返事に思い至る。
確か近々入学のための二次試験があると言っていた。今日だったのか。

竜崎は夜神月と同じ東応大学の入試を受けることを日本警察の皆には内緒にしていた。
夜神局長に余計な心労をかけさせないためだ。
彼らには適当に用事とごまかして、ワタリと共に入試へ出かけたらしい。
私にも知らされていないのは少々寂しいような気もするが、最近は常に日本警察のうちの誰かが捜査本部で控えていたので、私に伝える機会がなかったのだろう。

「今日の仕事、竜崎から何か指示ありました?」
「特に何も言われてねーんだよなあ。まあ、急ぎでやるような作業もないし…」

宇生田さんの台詞が終わると同時に夜神局長と模木さんがやってきた。
挨拶をすました後に今日は竜崎がいないことを説明すると、夜神局長は上着を脱ぎながら私へ口を開いた。

「香澄、竜崎から頼まれた仕事がないのなら竜崎の居ないうちは休んできたらどうだ?」
「え、お休み…ですか?」
「ああ。香澄は私達が休みをとった日にも竜崎と働いているだろう。こちらの仕事は今日は忙しくない。香澄は手伝わなくて構わないから、折角だし休んでくるといい」

「私が勝手に休みを出したら竜崎に怒られてしまうかな」と彼はいたずらっぽく笑いながらコーヒーサーバの元へと行ってしまった。

(休みかあ…)

言われてみれば確かに来日してからずっと働き詰めだ。
二ヶ月以上まともに休みを取っていないことになる。

しかし私は働き詰めでも別に苦ではなかった。
竜崎とワタリが休日どころか睡眠時間も削ってずっと何かしら作業しているのを知っていると休む気にならなかったし、頑張れば頑張るほど竜崎に働きを認めてもらえるのでやり甲斐があった。
なにより、休んでもやることがないのだ。
相澤さんたちのように一緒に過ごす家族がいるわけでもないし、ホテル暮らしをしているとできることもかなり限られてくる。
素性を隠してLという存在と共に仕事している以上、不必要に外出するのも憚られてしまう。
ホテルのベッドで惰眠を貪るくらいしかやることが思いつかないのである。

寝腐っているくらいなら働いたほうがマシなのでずっと仕事をしていたが、ついにこうして夜神局長に指摘されてしまった。
よく周りのことに気がつく人なので、私のことを心配しているのかもしれない。

ならばせっかくだし、久しぶりに自室でのんびりしようかなと考えを巡らせていると、突然ひらめいてしまった。
竜崎が前に「また私の作ったお菓子が食べたい」と言っていたではないか、と──。






大急ぎで材料を調達した後、自室に備え付けのキッチンで記憶を頼りに試行錯誤して出来あがったのは在り来りな普通のカスタードプディングだった。
オーブンもない簡易キッチンで、必要な器具も少なく、かつ比較的簡単に作れるものと言えばこれしか思いつかなかったのだが───。
まあ、竜崎もかつて好んでよく食べていたので問題ないだろう。

冷蔵庫で十分に冷やされ、ちゅるんと黄色に輝く塊の数々を眺めながら、私は安堵のため息をついた。
竜崎がいなくなってからはお菓子作りなんてほぼしなかったのでどうなるか心配だったが、大きな失敗もなく上手く作れてよかった。

時計を見ればまだ昼過ぎだったが、洗い物を済ませてしまったらいよいよやることもなくなってしまう。
本部に戻り冷蔵庫にしまっておいて、それから竜崎が帰ってくるまで日本警察の皆の手伝いでもしよう。
私は上手く作れた喜びにそわそわしながら、エプロンの紐を解いた。


ラップをかけたトレイを両手になんとか本部のロックを解除しドアを開けると、靴を脱いでいる竜崎とそれを見守るワタリが目の前にいた。

「わ、ちょうど今帰りだったんですね。おかえりなさい」
「おや香澄さん。どうしたんですかそれは」

さっそくワタリにトレイに乗せたものを見られてしまい、照れくさくて苦笑する。

「カスタードプディングですか」
「はい、急いでちゃちゃっと作ったものだから、味の保証はできませんけど」

ワタリと談笑しながらもチラッと竜崎を見てみると、プディングに視線を向けてはいるが口を閉じたままで何も話そうとしない様子だった。
いつもと何ら変わらない無愛想な表情に、僅かな不安がよぎる。

少しは喜んでくれると思ってたんだけど…。

そのまますたすたと部屋の奥へ行ってしまった竜崎の背を見つめて立ち竦んでいると、隣でワタリが何故か笑みを零していた。



「香澄さん、これからそれを皿に盛ってお茶の準備をするのでしょう。私も手伝いますから、先にキッチンへ行っていてください」

竜崎の様子に少しショックを受けつつも、ワタリに背中を押されてキッチンへたどり着いた。
松田さんなんかは目ざとく私が何か食べ物を作ってきたことに気づいて、しっぽを振る子犬のように向こうで待っている。

カスタードプディングを型から皿へ移しながらもぼんやり竜崎のことを考える。
彼が手作りお菓子をまた食べたいと言ったから作ったのに、素っ気ない態度。
あの台詞は竜崎の気まぐれで何となく言っただけであり、本気で期待してたわけではなかったとか?
美味しそうに見えなかったとか?
あるいは今日の試験で何かトラブルでもあったのだろうか?
夜神月に遅れを取ってしまい、お菓子どころではなくなってしまったとか?

次々に湧いてくるネガティブな考えに気を取られ、手を滑らせた。
金に縁取られた上質な皿の上で、見るも無残に崩れてしまった黄色い塊。

「崩れてしまいましたね。型を少し湯で温めると、綺麗に外れやすくなりますよ」

いつの間にかキッチンにやってきていたワタリは私の手元を覗きこんだ後、手早く新しいパットを準備しそこにポットの湯を注いだ。
迅速なワタリの行動に感謝の言葉を伝え、湯に型の底を沈めていく。

「美味しそうなカスタードプディングですね。どうして急に?」
「…竜崎がまた私の作ったお菓子が食べたいと以前言ってたのを思い出して、暇だったので…」
「ああ、もう湯からあげていいですよ」

そう言われて速やかに型を湯から出す。
綺麗なふきんもいつの間にか準備されており、ワタリは少しだけ温まった型の底を丁寧に拭きながら私へ視線を向けた。

「竜崎のワガママに付き合ってもらって申し訳ない。普段からよく働いてくれてるのに甘いものの準備もさせてしまって…。香澄さんが来てから私も君に頼りっぱなしだ。いつも助かっていますよ、ありがとう」
「そんな…!私は、あなたに感謝してもしきれないほどの恩があります。こんなの、ワタリが私に授けてくれたものと比べれば全然…」

両親を失い天涯孤独になってしまった私を、自分の経営する孤児院に引き取ってくれた。
温かい住まいと、清潔な衣服と、十分な食事。それに沢山のおもちゃと本、友達、勉学に励むのに最高の環境を提供してくれたワタリ。
いつか恩返しがしたいとは常々考えていた。
竜崎とともに姿を消してしまってどうにもならないと思っていたが、こうして再会することができたのだ。
竜崎からの強引なスカウトに文句も言わず従っていた理由には、ワタリへの感謝の気持ちも含まれている。
少しでもワタリの力になりたかったのである。

「だから、私にできることは何でも仰ってください。私、一生懸命がんばります」

彼の目をまっすぐに見つめ返しながらそう言うと、ワタリは穏やかに微笑んだ。
カウンターに置かれたプディングの型からコトン、と控えめな音が鳴る。

「ありがとう。その気持ちはとても嬉しい。しかし無理はしないでくださいよ。竜崎は、君には遠慮なくわがままをぶつけてしまいますからね」

そういうワタリは昔を回顧するかのような遠い目をしていて──。
私は孤児院にいたときのことを指摘されているのだとすぐさま気づいた。

ワタリは私と竜崎が仲良くしていたのを当然知っている。
竜崎に頼まれるままに日々お菓子を作り、学校行事など用事でお菓子を作れない日は大人気なくむくれる彼に慌てて詫びを入れる私の姿を側で見ていたはずだ。
こっそり大人の行為にふけっていたことは知らずとも、私が一方的に好意を抱いて竜崎に言われるがまま尽くしてきたことは気づいている。

ワタリはワタリなりに、竜崎に振り回され続ける私のことを不憫に思っているのかもしれない。
今回は過度に竜崎に入れ込まないようにと心配して、遠回しに忠告しているのだろうか。

「そうですね、まあ、負担にならない程度に、気をつけます」

竜崎や日本警察の皆がとなりの部屋にいることを考えるとはっきりとした物言いも出来ず、適当に言葉を濁しながらワタリの言葉に頷いた。

もう竜崎に恋心を抱くことはやめたのだ。
これからはただの上司と部下として、キラ事件に全力で挑むだけだ。
もうかつてのように竜崎に心乱されたりしない。

ワタリの忠告を今一度胸に刻みながらも、だいぶ外れやすくなったプディングを一つ一つ皿に移していく。
さすがワタリだなと紅茶の準備を始めた彼に今一度感謝を伝え、ぷるぷるの塊がカウンターに七つズラっと並んだ壮観さに苦笑いする。

「調子に乗って全部型から出しちゃいましたけど、食べきれるかな。竜崎と松田さんが今食べる分だけ出して、後は冷蔵庫にしまったままにしておけばよかったかも…」

竜崎と松田さんにはとりあえず振る舞うとして、他の人達は食べるかどうかわからない。
これでは明らかに多い。
ぼーっと考え事しながら準備するもんじゃないな、と己の迂闊さを恥じて肩を竦めていると、ワタリはフッと柔らかい笑みを零した。

「大丈夫ですよ。余ったら竜崎が全部食べます」
「え?…でも、竜崎興味なさげな様子でしたし、もしかしたらカスタードプディングって気分じゃないのかも…」

先刻の竜崎の態度を思い返して眉尻を下げながら話していると、ワタリは突然こちらに近づき、私の耳へと口を寄せ小声で囁いた。

「あなたの前では見栄を張っていましたが嬉しそうにしてましたよ。私にはわかります。きっと今もソファの上でソワソワして待ってます」

そうして耳打ちをやめてからいたずらっぽく目を細めたワタリは、トレーにプディングを乗せられるだけ乗せて、「さあ」と私へ持つように促した。


ワタリに強引にキッチンを追い出されてしまったので、釈然としないながらも竜崎の元へ向かう。
何か考え事でもしているのか、テーブルを見つめながら足の指をもじもじさせてソファに座っていた竜崎は、なんでもない風な顔でちらりと私を見た。

「わあああ、これ香澄さんが作ったの!?すごいね!プリン美味しそう!」
「松田さんのお口に合えば良いんですけど」
「…」

配膳を手伝ってくれる松田さんとお喋りしている間も、竜崎は何も言わない。
孤児院にいたころならば、私が手作りお菓子を持って部屋へ入れば目を釘付けにしていたというのに。
まあ、所詮素人がつくった普通のカスタードプディングだ。
孤児院暮らしの時とは違い、世界中の高級スイーツをいつでも好きなだけ食べれる今の竜崎には大したものではないのだろう。

しかし。
彼に喜んでもらえないことを少しさみしく思いながらも配膳を終えると、竜崎は早速スプーンを掴んだ。

「あ、今ワタリが紅茶もってきてくれるんですけど、」

と私が言うのも気かず、早々にパクッと一口食べてしまった。
味わうように口の中で転がした後ようやく飲みこみ、竜崎は無表情のまま私へ瞳を向けた。

「甘さが足りません」
「え?」
「そんなことないですよ竜崎ー!これくらい甘さ控えめのほうが食べやすくて僕好きですよ!」

竜崎に続いて一口食べた松田さんが慌てたようにフォローしてくれるが、私は呆気にとられて棒のように突っ立ったまま固まってしまう。

「きっと香澄さんは、竜崎の体のこと心配して甘さ控えめの大人向けの味にしてくれたんですよ!」

そういえば。
昔は竜崎が喜んでくれるのがただうれしくて、健康のことなんてこれっぽっちも考えずに大量に砂糖を入れてお菓子をつくっていた。
しかし大人になって糖分の大量摂取が体にもたらす悪影響を知ってしまうと、孤児院に居たときのように砂糖まみれのお菓子を作ることは憚られた。
一般的なレシピどおりの普通の甘さのものを作ったつもりだったが、竜崎にはそれが不満のようだった。

きっとかつての甘ったるいお菓子を期待してただろうに、何だか悪いことをしてしまったな。

そう合点がいき苦笑しながら口を開こうとすると、竜崎はさらにもう一口食べてぼそっと呟いた。


「でも美味しいです。ありがとうございます」


突然の感謝の言葉。
松田さんも私も唖然としているうちに、竜崎はあっという間に一つ目のそれを食べ終え、トレーに乗せられたままだった二個目に手を伸ばした。


結局竜崎は、私と松田さん、そして宇喜田さんとワタリの分を除いて三つのカスタードプディングを胃袋に収め、さらに私が型から外すのに失敗した崩れたものも綺麗に残さず完食したのだった。

「香澄さん、次は砂糖たっぷりでお願いします」

そう言って夜神局長の作業の様子を見に行ってしまった竜崎。
私はワタリと顔を見合わせて、喜びに顔を赤らめながら笑った。