the cake is a Lie | ナノ
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4. 包隠し

念願の再会の時を迎えた私だったが、涙が溢れるばかりでろくに彼の姿を見ることもできず、声を発することも出来きない。
そんなただ泣きじゃくるだけの私はワイミーに背を支えられ、別室のソファへと導かれた。

先程の部屋とは打って変わり、一通り応接に必要な家具が揃えられている部屋。
対面のソファにあの懐かしの変なポーズで座るLの姿にすら感動を覚えてしまい、性懲りも無くまた涙をあふれさせていると、Lは何の感慨深さもないような淡々とした口調でこういったのだ。

「早速ですが、時間がないので本題に入ります。最近世間を騒がせているキラ事件についてはご存知かと思います。先程私が仕掛けた放送の通り、犯人は日本にいます。そこで香乃子に協力を願いたく、ワタリにここへ連れてきてもらいました。突然ですみません。ロジャーもグルにして騙すような連れ方で申し訳ないですが、どこから情報が漏れるか分からなかったのでこの方法を取りました。日本人の香乃子は、日本で極秘捜査するのに最も目立たず溶け込める最適な人材です。且つあなたは女性で、ワタリには出来ない女性が行うべき活動を任せることもできますし…何より、私の正体を知る、信頼できる数少ない人間です。ご協力願います」

いつの間にか涙も引っ込み、ぽかんと呆気に取られながらLの長い話を聞いていたところ、ワイミーが手帳のようなものを乗せた革のトレイを私の前へと差し出していた。
わけの分からぬまま差し出された手帳を手に取り、中身を確認したところでわたしは驚愕する。

「日本の警視庁のとある偉い人にいくつか貸しがあるんです。その方に話を通しておきましたので、警視庁から派遣された捜査官ということでキラ事件捜索本部へ潜入してください。それから、その偽造警察手帳に記載してあるとおり、今回の事件で私の部下として働いている間は香澄と名乗るようお願いします。あ、ちなみにICPOのほうには香乃子を休職中にするように話を通しておきました。あなたの経歴が記された物の一切はワタリが既に破棄しています。重ね重ね突然で申し訳ないですが、本当に時間がありませんので、これから早速ワタリと共に先に日本へ渡ってください」

そうしてLは飄々と澄ましながら、目の前の紅茶を口にしたのだった。






それからは訳も分からぬままあれよあれよという間に偽造パスポートと飛行機のチケットを手渡され、早々にワイミー…ワタリと共にLを残して空港へ向かい、飛行機に乗り、気づいたら日本へと到着していた。

事情もいまいち理解しきれぬままいつの間にか日本の大地を踏みしめている自分が恐ろしい。
つい十数時間前までは、まさかLと再会し部下としてスカウトされ日本へ派遣されるとは夢にも思わなかったのに。
空港でひとまずワタリと別れ、指定されたホテルへとタクシーで向かう中、深夜の東京の夜景を眺めながら後部座席で途方に暮れる。

長年夢に見てきたエルとの再会だったというのに、思い描いていたような感動的でドラマティックな再会とは全く違うものになってしまった。
もっとこう、二人で再会を喜び合い、空白の十年を語り合いつつ涙を零すような…そういう感じのものを期待していたというのに。

いや、あのエルが情緒的に涙を流したりすることなんて絶対にないとは分かっている。
それでも十年ぶりの再会ともなれば彼も少しは感傷に浸ってくれるのではないかと期待していたのだ。
実際は二人語り合うどころか、一方的にキラ事件の捜査協力について説明され、それが終われば有無を言わさず早々に追い出されただけだった。

しかも再会の場は唐突だったというのに、ご丁寧にICPO本部に私のことを根回ししていたり、警視庁にもう話を通していたり偽造パスポートが既に存在していたりと、ありとあらゆるもの全てが入念に準備されていた。
私に拒否権なんてものはないも同然の状況。
あの昨日の放送の後に私をLの元へ連れていくことも、予め定められていたことなのだ。
こっちはそんなこと全く知らず、いつも通りLを思いながら仕事をして、放送後Lの安否を確かめる手段がないことを嘆き悶々としていたというのに。



一人タクシーに揺られて冷静にいろいろ考えてみると、酷く唐突で勝手、そして私の意思をまるっきり無視して掌の上で転がすようなLのやり方に怒りを覚える。
私がどんな思いでエルとの別れに打ちひしがれ、十年間嘆き続けたのかを、彼は全く考慮していない。
件の事件で忙しいとはいえ、何故こんな淡々と私の感情を無視して冷徹に物事を進められるのか。
その理由を怒りながらも思案し、そしてはたと思い至る。

──ああ、そうか。
エルにとっては私との再会なんて、キラ事件解決のためのただのいちイベントに過ぎないんだ。
日本での捜査に便利な駒を得るため、適任な昔の知り合いをスカウトした。
それだけなんだ。


救いのない結論にたどり着いてしまい、途端に冷めるように憤怒が体から消え去った。
やはりエルは私のことをなんとも思っていない──かつての別れの時と同様に突きつけられた現実の無情さに、私は後部座席で一人また泣いた。








ホテルに到着した後、時差ボケ対策のためにもすぐ眠り、翌日は陽の光をあびながら街に買い物へ出かけた。
何しろ急に仕事終わりにワタリに連れられてそのまま日本に来てしまったので、通勤カバンの中身以外に何も持ち物がない。
こんな少ない荷物で唐突に海外へ派遣されてしまった己の身の不憫さに笑えるが、笑っている場合ではない。
ホテルのスイートルームにしばらく滞在するとは言え、それでも必要なものは山ほどある。
カードをワタリから渡され、好きに使っていいと言われていたので、早速そうさせてもらおう。

学生時代、自分のルーツに触れていたくて長期休暇の度に日本を訪れていたので、どこでどう買い物すればいいかはある程度わかっていた。
颯爽と繰り出した東京の街で衣服や下着、化粧品など必要そうなものを手早く調達し、大荷物でホテルへ帰ったのだった。



部屋に戻ってからはワタリとパソコン越しにコンタクトを取り、明日以降の行動について詳細な指示を受け取る。
翌日12月8日、Lの部下となってからまだ3日目という恐るべき展開の速さで、私の潜入捜査は始まった。

そもそも私は、デスクワークやオペレーターなど現場に出る捜査員のサポートをする仕事を担当していた、ICPOのいち職員に過ぎない。
FBIやCIA、MI6の現場担当捜査員のように潜入調査や諜報任務なんて経験したことがないのである。
それが突然日本に派遣されて潜入捜査をしろとは無理難題もいいところだ。
しかし日本人であること、女性であること、そしてLの正体を昔から把握している素性の知れた人間であることを鑑みて、私は日本で起こるキラ事件を捜査するL直属の部下に指名された。
そう考えると私にしか出来ない責任重大な任務であるような気がして、どうしてもLとワタリの期待に応えたいと思ってしまう。
困難なことだろうが、頑張らなくては。

初日はそう強く意気込みながらも、初めてのスパイの真似事に内心冷や汗だらだらの初登庁となった。
しかし全てのことがあらかじめLとワタリによって入念にお膳立てされているようで、私は当たり前のように容易に香澄として警察庁のゲートを通過し、呆気なくキラ事件捜査本部へとたどり着いたのだった。




Lが私に頼んだのは、日本のキラ捜査本部の人間の身辺調査である。

今はまだ準備が整っていないが、Lも近いうちに来日しこちらで本格的に捜査に挑むことになっている。
かつてない大規模犯罪の犯人逮捕のために、Lと日本警察の人間はより緻密に連携をとらなければならない。

だからこうして私に捜査本部の一員として現地で皆と関わりをもたせ、経歴はもちろん捜査員一人ひとりがどんな性格なのか、素行に問題はないか、本当に信頼に足る人間なのかを調べさせたかったのだ。
こういったものは当然、警察庁のデータベースにハッキングして得られる類のものではない。
ワタリも私と同じように捜査本部に滞在しているが、Lの使者として仕事はとても多く常に多忙なようだった。
身内には晒せてもよそ者相手には見せない負の一面もあるだろう。
この身辺調査の仕事は私だけに任された重要な仕事だ。

私は命令されたとおりに積極的に他の捜査員たちと関わりをもってみたり、会議で目立った発言をするものに注意を払ってみたり、休憩中の喫煙所での他愛もない会話に聞き耳を立ててみたりしながら、日々少しずつ捜査員の人柄に関するデータをまとめていった。
本来は退勤後に尾行するなどより深く調査を行うべきなのだろうが、さすがのLも私一人でそこまでするのは不可能だと分かっているようで、勤務時間のみ注意を払えば良いとワタリから伝えられている。
私は自分ができる範囲の中で懸命に周りを観察し、文字に綴っていった。

やがてキラに殺されることを恐れて本部から去っていく者も現れ、残された捜査員のほとんどが以前ほど捜査に意欲的ではなくなってしまったことも、全て細かくLへとメールで報告する。
こちらはどうしても私情が絡みドキドキしながらメールの送信ボタンを押したというのに、Lからの返事は「ありがとうございます」「引き続き調査お願いします」などといつも機械的で当たり障りのないシンプルなものだった。

警察庁で一捜査員としての仕事を終えた後も、ホテルでパソコンと向かい合い黙々とLへの報告書を作成する毎日は中々に骨折りだ。
わけもわからないままLと再会し有無を言わさず協力を求められ、日本に派遣されて、日々淡々とデータをまとめる。
我ながら文句も言わずよくやっていると思う。
なんとも都合のいい駒だ。
本当は一つ二つLに恨み言でもぶつけてみたいと毎日思っている。
しかし今私たちが挑んでいるのは、過去に例を見ない最凶最悪の事件。
捜査本部の皆、ワタリ、そしてLも全員が神経をすり減らし苦悩していることは嫌というほど知っている。
私情を挟むなんて躊躇われ、私は釈然としない気持ちながらにも淡々とLの駒として働き続けた。




そんな潜入調査を続けるうちに二週間以上が経過し、クリスマスイブの日を迎えた。
世間は当たり前のように浮かれているが、依然として続く連続殺人に捜査本部の皆はクリスマスイブだろうと休みなく働く。
私も皆と同様に気を引き締めて今日も頑張ろう、とホテルの部屋を出ようとした辺りで、突然ワタリからの電話が来た。

「唐突で申し訳ないのですが、今からパリにLを迎えに行ってもらえませんか」

と──。





大慌てで本部に欠勤の連絡をし、時間に追われながらも何とか空港へ滑り込んで飛行機に乗り、昼過ぎの穏やかなパリへと到着した。
機内で仮眠は取ったが、ここ数週間の日本での激務とあまりにも突然だったワタリの頼みに大分気疲れしている。
クリスマスのためきらびやかに装飾された空港の中、とぼとぼと力ない足取りで指定されたラウンジへ向かい、そして二週間ぶりの彼を見つけた。

「ああ、香澄さん」

VIP向けの上質な雰囲気のラウンジの中、どう見ても浮いているLの姿。
いつもどおりの白シャツとジーンズ。
あの独特の座り方をするために脱いだ靴は踵の部分がつぶれてよれている。
足は素足のままだ。
あまりにも場違いな姿に困惑しつつも、孤児院で暮らしていた頃と全く変わらないそのセンスに懐かしさを感じて思わず胸が高鳴る。
十年経っても性懲りもなくときめいてしまったことを彼に悟られたくなくて、私は取ってつけたようにわざとらしく眉間にシワを寄せた。

「もっとマシな服装はなかったの…」
「この装いでないと思考力が鈍りますから」
「でも、すごく目立ってる」

ようやく十年ぶりにまともに会話する機会を与えられたというのに、なんて可愛げのない物言いをしてしまったのだろう。
内心で頭を抱えながらも彼がコーヒーを飲んでいる席に私も着けば、Lは遠慮なんて全く無い風にまじまじと私を凝視しだした。
この前会った時は完全に仕事モードで真面目な雰囲気を醸し出していた彼だったが、今は穏やかな、指を唇にあててどこか間の抜けた表情だ。
彼からしてみればただ何となく知り合いを観察しているだけだろうが、私としては初恋の相手にそんなまっすぐ見られてしまっては照れる。
肩を竦めて彼と視線を合わせられずにいると、Lは気が済んだのか私を観察することを辞め、ひょいと椅子から飛び降りた。
空いている椅子の上でクシャクシャになっていたカーキ色のコートが、しなやかな手で無造作に抱えられる。

「では行きましょうか」
「え、もう行くの」
「少し早いですが、向こうの準備は出来ているので」

私はせっかく座れたふかふかの椅子に名残惜しさを感じつつも、そそくさと行ってしまったLの背中を追いかける。
昔と全く変わっていないガニ股歩きで先を行く彼に何とか追いつき、そして少し悩んだ後、隣ではなく数歩後ろをついていった。



クリスマス休暇のためか空港は混雑していた。
人混みにのまれ時々Lを見失いそうになりながらも懸命に追いつく。
Lはたまに後ろを振り返り、ついてきているか確認はしているようだが、はぐれそうな私を立ち止まって待つなどと甘いことをする気はないようだった。

ふと周りを見てみると、久しぶりの再会だろうか、大きなスーツケースを傍らに泣き笑いで嬉しそうに抱きしめ合う男女を見つけた。
私もLとああいう風に感動的な再会をしてみたかったな、とぼんやり思っているうちに、私達はひとけの少ない場所へと辿りついた。

「ビジネスジェット専用ゲート」と書かれた入口を当たり前のように通ろうとしているLの姿に、思わず「嘘でしょ…」と顔を引きつらせながら呟いた。







人生初の自家用機での空の旅に、まったくもって気分は落ち着かない。
困惑した私に構わぬまま飛行機は離陸し、今は優雅に上空を飛んでいる。
専属のCAは飲み物と軽食を準備してくれた後早々に退室したので、私は目の前で黙々とケーキを食べているLと二人っきりになってしまった。

孤児院にいたころから投資で莫大な資産を得ていた彼だ。
世界的名探偵になった今、自家用機の一台や二台保有するのは当然のことだろう。
プライバシーやセキュリティの問題が解決するのは当然だが、必要な時に必要な場所まですぐ飛行機を飛ばせることは、「影のトップ」とまで言われる多忙なLにとって大きな利点のはずだ。
大きな空港なら先刻のように専用ゲートでさっさと審査を済ませることもできる。
彼ほどの財力と権力持つ人間ともなれば、間違いなく金よりも時間が惜しい。
自家用機なんて当たり前だ。

ワタリと共に日本へ飛ぶ時も、そして先刻パリに来る時も当たり前のようにファーストクラスのチケットが用意されていた。
日本では滞在中高級ホテルのスイートルームを提供され、好きに使えるカードも渡されている。
Lから提供される全てのことに、彼の財力の大きさが垣間見えた。

こうなってしまうと、Lはもはや違う世界の人間なのだと改めて強く感じてしまう。
こんな次元の違う人物に一人勝手に懸想していたことすら今では恥ずかしく感じた。
目の前のLは見た目こそ相変わらずの容姿で、振る舞いも甘いものばかり食べているのもよく知る昔のままだが、その背後に抱える財力も権力も責任も、十年前とは比べ物にならないほどに巨大だ。
こんな偉大な人物に恋し続けていた私は、なんて身の程知らずだったのだろう──。


「香澄さんは、本当に紅茶だけで良いんですか」

Lに突然声をかけられ、自己嫌悪から覚めてハッと顔を上げる。
いつの間にかCAに出されていたケーキを平らげていた彼は、ソファから降りて素足のまま冷蔵庫へと歩いていた。

「いろいろなケーキを用意させましたから、遠慮せずいくらでも食べてください。ケーキ以外にもいっぱいあります」

大きな冷蔵庫の中には、お店に陳列されるかのように色とりどりのケーキが並んでいた。
それを離れたところでぽかんと見ていると、Lが手招きをする。
気は進まなかったが無視する訳にもいかず立ち上がって近くへ寄ってみれば、「どれも美味しいですよ」とどこか上機嫌な声音が聞こえた。
こうして二人で色とりどりのケーキを眺めていると、まだ互いに小さかったころ、カラフルなお菓子が沢山書かれた絵本を肩を並べて仲良く一緒に読んでいたことを思い出してしまい、胸が苦しくなった。

断るわけにもいかず、適当にミルフィーユを一つ手に取りソファへと戻る。
自分用にレアチーズケーキとフルーツタルトをテーブルに置いたLは、またいつもの座り方でパクパクと食していく。
その呑気な姿をぼーっと眺めながら、私は沈黙に耐えきれず口を開いた。

「ちゃんと一人で空港までこれるし、出国手続きも済ませられるし、ケーキも持ってこれる…私が迎えに来る必要なかったじゃない」
「はい、そうですね。香澄さんに身の回りのことを手伝ってもらう体で呼び出しましたが、嘘です。本当はあなたとこうして二人で会話する時間が欲しかった」

「忙しくてフライト中しか時間を作れそうにないので」と付け足したLはいつもと変わらない無表情だったが、一方で私はその台詞に動揺を隠せずにいた。
困惑して声も出せずにいると、Lは綺麗な長い指についたクリームをぺろりと舐めた。

「色々言いたいことがあるでしょう、私に」

舐めて綺麗にしたばかりの指でタルトの上のマスカットを摘み口に放り込むと、彼はようやく私を見た。

「言いたいことって、それは確かにいっぱいあるけど…でも他人がいるのにそんな、」
「では、二人だけの秘密の日本語で」

孤児院での二人のコミュニケーションを思い出させるその方法を提案されて、心臓が跳ね上がる。
とっくにそんなこと忘れてしまっただろうと思っていたのに。
少し戯けた口ぶりながらも律儀にこうして提案し、こちらの様子を窺ってみたりして、彼はとにかく私から会話を引き出したいのだろう。
しかしその真意は全く不明で、私の困惑は増していくばかりだ。

「CAとパイロットらが日本語に明るくないことは採用テストの時に調査済みです。彼らには呼び出すまでこの部屋に入ってこないようにと言ってあります。まあそれでも念の為、私のことは竜崎と呼ぶようにしてください。日本での捜査時は常にこの名前を使うようにします」

久しぶりに聞いた流暢な彼の日本語はとても耳心地よく鼓膜をふるわせる。
L──いや竜崎の黒い瞳がとても真摯にこちら向けられているので、私は肩を竦めてそして悩んだ。

わざわざ二人っきりになれる場を用意して、しっかり向かい合い私の言葉を待っている竜崎。
確かに話したいことはいっぱいあるが、本当にそれをこの場でぶちまけてしまっても良いのか迷う。
一度口を開いてしまったら、胸の内の思いがとめどなく溢れてしまいそうで怖いのだ。
しかしケーキを食べる手すら止めて私を見つめるL。
その強引な厚意を無下にすることなんて、今の私にはできない。

持ってきたミルフィーユに全く手を付けないまましばらく思い悩み、そして意を決して言葉を紡いでいく。

「なんであの時、私を置いていったの」

日本語でぽつりと、呟くように溢れるように十年越しの疑問を伝えた。

失敗したと、すぐに思った。
いきなり核心に迫るようなことを聞いたりせず、もっと遠回りに当たり障りのないことから聞いてみれば良かった、なんて口に出してから後悔するも時既に遅し。
今更取り消すことなんてできない。

何年経っても私はあの別れに納得できずにいたのだから、一番言いたいことといえばそうではあった。
しかしいきなりぶつけるには重すぎる質問だ。
もっとどうでもいいような世間話から始めるべきだったと後悔しつつ不安げに視線をそらすと、竜崎はその薄い唇を開く。

「すいません。あなたを連れて行く必要性が感じられなかったから置いていきました」

ああ───。
分かってはいたが、必要とされていなかった事実を改めて竜崎から口にされてしまい、悲しみに目を伏せる。
予想通りのはずなのに、悲哀と惨めさに胸をかき乱されずにはいられない。
正直気がゆるめば涙がこぼれてしまいそうになるが、この瞬間泣いてしまったら竜崎を困らせることも分かっていた。
私は決して竜崎を困らせたいのではない、はっきりと納得できる答えがほしかったからこの質問をぶつけたのだ。

ある意味では、包み隠さずしっかりと答えてくれたことに清々しさすら感じる。
適当に耳障りの良い言葉でごまかされるよりも、十年間身の程知らずだった私にはありがたかった。

私は心の奥底に悲しみを隠し、今一度力強く竜崎へと向き直った。

「じゃあ何故、何も言わずに行ってしまったの?」
「目の前で泣かれてしまったら面倒だと思ったからです」

竜崎は言葉を濁すことなく、はっきりと私の目を見てそう答える。

確かに、孤児院を出ていくことを伝えられていたら私は間違いなくわんわんと泣きわめいただろう。
離れ離れになるのはいやだ、置いていかないで、連れて行ってと涙ながらに懇願するはずだ。
これから世界を背負う探偵として独立しようとしているところに、そういう存在がいたら面倒だと思うことは至極当然のこと。
ならば何も言わずに去ることが一番平和だ。
私だってエルの立場ならそうしたに違いない。

分かっている。分かってはいる、けれど──。
やはり私は竜崎にとって、エルにとってそれまでの存在だったんだ───その事実を認めてしまうと胸が張り裂けそうになるほど苦しい。

私はあんなにも竜崎を好きでいたのに、彼はそうではなかった。
全てはただの独りよがりだった。

竜崎の口から語られた答えによって導かれる現実に、虚しさを感じて眉を顰める。
辛い、苦しい、悲しい。
今すぐにでも胸を掻きむしってしまいたいほどの苦悶に苛まれ、しばらくは何も言葉を紡げずに唇をかみ続けるしかなかった。


二人の間に沈黙が流れる。
無機質なエンジン音だけがいやに頭の中で木霊していた。

竜崎の視線をまだ感じるが、彼は一体どんな気持ちでこの惨めな私を見ているのだろうか。
可哀想だなと哀れんでいるのかもしれない。
おやつの時間を共にしたりセックスの真似事をしてみたりできる都合のいい友人。
それ以上でもそれ以下でもない相手に、勝手に好意を寄せられ、勝手に十年間追いかけられ、勝手に恨まれる。
竜崎からしてみればさぞ迷惑で哀れな女に見えるだろうなと、そう思う。



──嫌だな。これから竜崎の部下として共に仕事をしていくのに、そんな風に見られてしまうのは、いや。



「十年来の疑問がすっきりした。包み隠さずはっきり答えてくれて、私やっと吹っ切れられそうな気がする。ありがとう」

私は顔を上げて彼と見つめ合い、そして屈託のない笑顔でそう言った。
今の私にはもう吹っ切れたかのように明るく振る舞うしか選択肢はなかった。

まだ竜崎に恋心を抱いているだなんて知られたくない。
哀れな女だと思われ続けるのは尚更辛い。

これから竜崎と共に行動する上で、物分りの良い大人の女性を演じているほうがきっと楽なのだ。
報われない恋にもがく少女のままの心は、何が何でもひた隠しにしなくては。
そうしないともう、あまりの苦しさに頭がおかしくなりそうで──。



私は安堵したような穏やかな笑みを顔を貼り付けたまま、そっと紅茶に口づける。
そして悲しみに揺れる胸のうちを悟られぬよう、丁寧にミルフィーユを一口分カットして食べ、「美味しい」と竜崎に今一度笑いかけた。

竜崎はそんな私の姿をしばらくじっと凝視していたが、やがて安心したのか、止めていた手を動かしやっとケーキを再び口にした。
これでいい。もうこんな辛い話は終わりだ。
私は平常心を装いながらも、何か話題を変えなくてはと思考を巡らせる。

「でも吃驚した。突然ワイミーが目の前に現れて、竜崎と再会して…今でもこうして二人でケーキ食べながらおしゃべりできるの、夢みたい」

不自然にならないよう、少しずつ話題を変えていこう。
そう策を練り、なんとか自然に二人の間の雰囲気を穏やかにしようと努める。

「なにもかも突然ですみませんでした。本当はあの時こうしてゆっくりお喋りできたら良かったんですが…フライトの時間が迫っていたのでろくに事情を説明も出来ず、再会を喜び合うこともできず…香澄さんにいつブチ切れられても可笑しくないとヒヤヒヤしてました」

大げさな言葉を使って少し戯けたふうに竜崎がそう話すので、私はうまくいったと内心胸をなでおろす。
もごもごとケーキを口に含みながらお行儀悪く話すその様はなんだか微笑ましい。
いつの間にかチーズケーキは跡形もなく消え去り、残るタルトも残り少ない。
忙しなく動く彼の手によって段々と消えていくタルトをぼんやり眺めていると、なぜだか無性に心が落ち着いた。

「釈然としなかったのは事実だけど…事情も分かってたし責めたりしないわ。それに竜崎みたいな偉大な人の役にたてるのなら光栄だし」
「光栄ですか」
「こうしてちゃんと二人っきりで語り合う場を設けてくれただけで充分。気遣ってくれてありがとう」
「いえ」

ようやく胸の内の荒波が収まっていき、平静を取り戻しつつある。
今度は作り笑いではなく、自然に微笑みつつ「ありがとう」と言えた自分に安堵した。
これ以上過去のことを掘り返してしまったら辛くなってしまう。
それなら仕事の話をしているほうが遥かに気は楽だ。
みぞおちの辺りでつっかえていたつきものが落ちたような感覚に一安心して目を伏せると、竜崎は突然「そういえば」と切り出した。

「例の放送時に、本部で香澄さんが私の日本語をその場で通訳したと聞きました。大活躍でしたね」

キラへの放送をICPO本部内で見ていた私が通訳した例の件──そういえばそんなこともあったな、とぼんやり思う。
もう二週間以上前の話だし、何よりその後に起きた竜崎との再会からの一連の出来事があまりにも衝撃的すぎて、そんなこと綺麗サッパリ頭の中から消えていた。
私はミルフィーユを食べていた手を止め、恥ずかしげに肩を竦めた。

「竜崎との秘密の日本語が、あんな風に役に立つとは思わなかったわ」
「何十人と人がいる場でとっさにマイクを入れるのは勇気がいたでしょう」
「…それを言うなら竜崎は何万人もの日本人が聞いてるなかであの演説をしたんでしょう。それに比べれば私なんて別に…」

あの放送で何度も何度も執拗に「殺してみろ」と連呼し犯人を煽っていたことを思い返す。
超能力を用いたとしか思えない前代未聞の殺人犯相手に喧嘩を売ることがどういうことかは、私だってわかる。
竜崎は数々の難事件を解決した偉大な探偵だが、その活動は主にパソコンと電話と資料を用いて安全な自室から指示を出すだけだったはずだ。
ああして自分の命をエサにするようなことをしたのは、私が知る限りでは存在しない。

何故だろう。突として芽生えてしまった新たな疑問。
これから竜崎と事件解決に向けて共に協力し合うのだ、このキラ事件に対する彼の思いを聞いてみたい。
尋ねてみるなら今しかないだろう。
私は掴んだままだったフォークをテーブルに置き、躊躇いなく真っ直ぐに竜崎の顔を見つめた。

「ねえ、何故あんな危険な演説をしたの」

ただただ真剣にそう尋ねる私の姿を竜崎はひと目だけ見て、そして残り少なくなったタルトにすぐ視線を戻した。
私の懸念する気持ちなんてまったく気にしないかのように、竜崎はいつも通りに残ったタルトを頬張る。

「今回の事件は、今まで私が解決してきた殺人事件と全く違う。完全に異次元の殺しのトリックが存在します。香澄さんも見たでしょう、キラはあの放送で直接手をくださず人を殺せました。神にも近い力を持っているとしか思えないような相手です。普通に捜査してたのでは、いつまでも証拠を掴むことはできない。」
「…」
「幸いキラは神やロボットではなく、煽られれば激昂してリンド・L・テイラーをも手をかけてしまうプライドの高い人間のようです。だから私は自分の命をエサに、キラをおびき寄せることにしました。こちらから喧嘩を売り、私を殺そうと躍起になった行動をとらせるのが一番ボロが出やすいんです。私の目論見通り、キラは受刑者の行動を操り私にメッセージを送ったり、確実にこちらの存在を意識しています。あの語りかけは成功でした」

もぐもぐとケーキを咀嚼しながら平然と話すそのさまは、自分の命がかかった事件の話をしているとは到底思えないような呑気なものだった。
感情を表に出すことなんてめったにない人柄だとは昔からよく知っているが、自分の命を危険に晒している今でも涼しい顔をしていられる意味が分からない。

「でも竜崎。結果として今竜崎は殺されていないから良かったようなものの、もしキラが人の発する声だけ聞いて殺しができるような存在だったら、あの時竜崎は死んでいた」
「そうですね。実はあの放送を終えた後もしばらくドキドキしていました。あえてタイミングをずらして殺しに来る可能性もゼロではないな、と。まあ、ラッキーでした」

私はあの放送を聞いて、今この瞬間竜崎が殺されてしまうのではないかと気が気ではなかったというのに。
そんな私の心情も露知らず、戯けたようにラッキーなんて軽々しい言葉を竜崎が口にしたものだから、思わず眉間にシワを寄せた。

「竜崎、この事件を解決させるためとは分かってる。でも、もっと命を大切にしてほしいの…。あんな危険な真似、見ていられない」
「私を心配してくれるんですか」

苦虫を噛み潰したような顔で苦言を呈してみれば、そう言い返される。
竜崎は今やタルトすら綺麗に平らげ、名残惜しそうにフォークを咥えたままその大きな瞳でまじまじと私を見つめていた。

「当然よ。竜崎ほど優秀で偉大な人間の命が失われてしまったら、世界中が困ってしまうもの」
「可愛げがないですね、あなた自身は心配してくれないんですか」
「…」
「…」
「…心配する…。大事な、昔からの…友人だから…」

私が個人的な感情で竜崎のことを心配していると悟られたくなくて、当たり障りなく逃げようとしてみても、結局はこうして言わされてしまうのだ。

小さいときから竜崎はいつでも言葉巧みで、私のどんな嘘でも見抜いてしまうことを思い出す。
おそらく大人になった今でもそうだ。
私は彼に嘘をつくことができないし、隠し事もできない。
しかし私の中に今なお眠るこの恋心だけは、なんとしてでも隠しておかなくては。
絶対に彼に悟られてはいけない。
悟られてしまったその暁には、もう竜崎と共に仕事することなんて不可能になってしまう。

「友人」と無難な言葉を竜崎に投げつけて、それっきり私は口を噤んだ。
これ以上話しているといつか胸の内が暴かれてしまいそうな気がして無性に怖かった。
しかしいつまでも意味ありげに顔を伏せているわけにもいかず、今一度フォークとナイフを手にとって素知らぬふりでミルフィーユを食べようとすると、竜崎はゆったりと一口コーヒーを飲んだ。

「ではどうか私が死なないように、力を貸してください。今回の事件の性質上、本当に信頼できる者にしか私の正体は明かせません。私から直接命令を下せる協力者はとても少ない。だから香澄さんの協力が重要なんです。日本に到着したら私はキラ逮捕のために全力を尽くします。命をかけて臨みますが、犬死するのは御免です。香澄さんが心配してくれるのならば尚更死ねません」

ああ、そうやって私の存在が必要だと訴えるのはずるいな。
愛しい人にそう言われてしまってはどうしたって舞い上がってしまい、NOとは言えない。
もしや竜崎は私の恋心に気づいているのだろうか。
私が彼に好意を抱き続けているのを見越して協力を得ようとしているのだろうか。
これも全て竜崎の計算の内なのだろうか。

「共に戦って、勝利しましょう」

そう言う竜崎の顔はいつもよりも楽しげで、口元には弧が描かれていた。
私は久しぶりに竜崎の楽しそうな顔を見たなと懐かしさを感じる一方で、性懲りもなく彼の一挙一動に反応してしまう己を嫌悪した。

竜崎のことは大切だ。
それは昔からの知り合いだからでもあるし、彼に恋しているからでもある。
彼に死んでほしくない。キラとの戦いに勝ってほしい。
そう思う気持ちは嘘じゃない。
私を再び見つけ出して、十年ぶりに再会の機会を作ってくれたことはとても嬉しいし、感謝もしている。

しかしもう、竜崎に振り回されるのは御免だ。
竜崎と関われば関わるほど、違う世界に住む人間なのだと理解してしまう。
やはり彼は私に対して好意など抱いていないと悟ってしまう。
竜崎に恋心を持ち続けていても何一つ幸せなことはなく、ただひたすらに苦しいだけだ。
これ以上身も心も苦悶に蝕まれるのはもう嫌だ。


だから幼い頃からずっと大切に抱いていた恋心はもう捨ててしまおう。
竜崎が私に好意を抱いていないことを改めて本人の口から聞かされた今こそ、この気持ちに終止符を打つ時だ。
十年間彼に再び会うためだけに必死で頑張ってきたが、こうしてちゃんと再会できたのだからそれだけで充分だ。
もうこの恋を諦めて、ただ竜崎の忠実な部下としてこのキラ事件に立ち向かう。
竜崎の命が失われることなどないように、後悔のないように全力をもって共に捜査に挑み、そして勝利したその時には穏やかな気持ちでさようならを伝え、もう彼のことなんて思い出さないように前を向いて生きていきたい。

私はその瞬間ひとり静かに決意を固めた。
目前の竜崎の楽しげな笑みに、何とか私も微笑みを返す。
ちゃんとうまく笑えているだろうか。

淡々と残ったミルフィーユを食べ、窓から透き通るような青い空を眺める。
恋の終わりとはもっと悲しみの深いものかと思っていたが、今この心は何故か妙に澄んでいた。