忍少年と隠忍自重 083

龍郎も、淡々と表情一つ変える事無く血印を回収する中、1人取り残された『シゲ』だけが、その場で立ちすくんだ。

「…」

この異常な現状に、この場で誰もそれに気づいていない。

それどころか、今はそれが『普通』になっている。

『シゲ』は真面目に考えるのを止めた。
でなければ、発狂まではいかないが…頭がおかしくなってしまいそうだった。
深々と息を吐き出した『シゲ』はそれで気合が入ったのか、睨むように前を見据えて、未だ『キング』と討論を続けている忍に声を掛けた。

「おい……」
「なんや?」

「―――俺も…手伝う」

忍は一度顔を上げて、目を丸くして『シゲ』を見た。
しかし、すぐに忍は快くそれに頷く。

「そら助かるなぁ。そんなら、扉付近におる5人ぐらい、頼みましたわ」

『キング』が龍郎から預かっていた小型のナイフを、忍は万遍の微笑みで『シゲ』に渡した。
それは若干血が付着していて、『シゲ』は一瞬の躊躇いの後、それを受け取る。

「合意書の紙も忘れんといてな」
「…」

押し付けるように渡され、『シゲ』は自分から言い出した事とはいえ、早まったんじゃないかと思った。
しかしこれは空<ソラ>の仇打ちに繋がる事…。それに、ここでプライドの高い連中に復讐も思いつかないほど、再起不能に叩きのめす必要性を分かっているつもりだ。

だが、だからと言って、進んで人の指を刃で切り裂く行為をしたいとは思えない。
相手を殴って血を浴びてきた『シゲ』だが、どうにも刃物を使って人を傷つける事には抵抗があるのだ。

忍に何か仕出かさないかと『シゲ』に目を光らせる『キング』を負けじと睨み返した後、1人目に近づいた『シゲ』は無意識の内にこくりと息を飲む。
屈みこみ、どこか血が付いていないか確認するが、白目を剥いて泡を吹いているものの、どこにもお目当てのモノは見つからなかった。
―――これは覚悟を決めて指先を裂くしかないか。

しかし、ふと脇目を見ると、地面に小石程度の大きさの血貯まりが出来あがっているのを見る。
掴んだ男の人差し指と、その血貯まりを見比べて、恐る恐るその人差し指を引っ張って漬けようとしたが―――

「他人の血はあかしまへんよ。今はDNAっちゅうもんもありますさかいに。念には念を、本人の血で血印作っといてな」
「…」

作業業務のように、視線を一度も反らさない忍はそう『シゲ』に注意する。
一体どこに目があるのだろうか。『シゲ』は小さくため息を零し、意を決してナイフの刃を指先の腹に当てた。

「…」

ぷっつりと浮かんだ血の塊―――それを紙に押し当てて、『シゲ』は一日中肉体労働をこなしたような疲労感に息を零した。
あとこれを、4人にやらなければいけないのだ。
それは思った以上に嫌悪感を抱かせ、若干の拒否反応も芽生えるものだった。

ふと、『シゲ』は作業に取り掛かる龍郎や黒ずくめの男達、忍を盗み見る。

龍郎は鼻歌さえ奏でて、「一枚、二枚…」と揚々とナイフで指先の腹を切っている。
忍は躊躇いない動作でナイフを無造作に使って指先を裂く。
『キング』は―――腹が立つので視線さえ向けたくないが、恐らく例外ではないはずだ。

―――誰一人として『シゲ』のような嫌悪感を覚えている人間はいなかった。

『シゲ』は無理やりその光景から視線を反らし、自身も作業に没頭する。

―――考えたら、負けだ…。

心の中で呪文のように何度も呟きながら…。
ふいに、再度忍より声が掛かった。

「―――手の甲の番号は1から。あんさんのイニシャルとって、『S』を頭につけといてな」
「…」

マジックペンを準備する―――きっとそんな発想もなかったのだろうと『シゲ』は考えながら、皮膚に血の番号「S1」と刻んだ。
自分は常識人ではないと思っていたが、上には上がいる…。
忍の知らない一面を見て、『シゲ』はそれを痛感した。

―――初めて会った時から思っていたが、やはり忍はただ者じゃなかった…。

◇◇◇


闇を駆け抜ける敗者が、醜い顔で闇を睨みつけた。

「…くそったれ…!!」

三人がかりで襲われ、勝てないと判断した藤堂である。
自棄になったように、目的も無く走り続けて―――否。逃げ続けていた。
まさか、自分より格下の後輩などに負けて背を向ける羽目になるだなんて…!!

怒りと恐怖。
羞恥と自己嫌悪。

あの工場内での屈辱を忘れない。この傷の痛みを、決して忘れたりしない。
復讐してやる。復讐してやる!!!
それを何度も心の中で呟く。

散々馬鹿にしてくれた仲間達、散々コケにしてくれた後輩達、だが一番切り刻んでやりたいのは、朝倉だった。
あの場所にいなかったあの男…全部あの男の責任だ。
ふと脳裏に、この計画の始まりが蘇った。



少年院に入っていた藤堂が出所した半年後に、突如現れたのは中学時代の旧友だった。

『―――あれ?…もしかして藤堂?そうだよね、久しぶり』

突然と行きつけのバーで親しげに話しかけられ、正直最初はこの馴れ馴れしい男は誰かとさえ思った。
しかし、過去の話をされ、そこでようやく、目の前の男が朝倉だと知ることができた。
だが朝倉と親しかった記憶は一切ない。
当時の朝倉は、とにかく自分と同じく見栄を大事する男だった。
そのために、自分より強い奴の下につき、あたかも自分もその一員のように振る舞って自分を大きく見せる、嫌な奴だった。

―――そう…あれは同類嫌悪に近い。

同じ人種の人間であったから、余計に嫌な所が目について鬱陶しかったのだ。
しかし、いつもなら直ぐに集団でボコボコにしてやる所だったが、幸運にも朝倉は藤堂を『強い分類』に定義していた。
藤堂の下について、まるでパシリのように使えた朝倉を…己の存在を認める朝倉の事を、鼻で笑って軽蔑する程度で気が済んだ。
そして、藤堂は朝倉をまるで馬鹿にするような態度で接していたから正直、朝倉自身も藤堂の事を快く思ってはいなかったはず…。
故に、二人の中は『仲間』や『友達』といった親しいモノではなかった。


『また君に会えて嬉しいよ』

しかし朝倉は、まるで旧友にでも再会したような喜びを露わに藤堂と会話を交わした。
性欲に飢えていると知ると、これまた極上で手ごろの良い女を紹介されたり、金が無いと知って驚くような大金を与えられたり―――昔を知っていれば考えられないような、人脈や金…性格を持った朝倉の存在は、藤堂にとって良い『餌』となった。
昔はどうでもいい。
とにかく自分の利益になる男…これを友人と呼ぶことにした。

しばらくそんな付き合いをしていたある日、『キング』を嵌めてやろうと行きつけのバーで朝倉は話を持ちかけてきた。
もちろん最初は鼻で笑った藤堂だ。

『キング』の最強不敗神話はここの地域では有名で、「喧嘩を売るのは丸越しで拳銃に立ち向かうようなものだ」という例えで頷かれるような強さを誇っているという話だ。
半信半疑の噂だったが、何度も似たような話を聞く度、次第に嘘でも大げさでもないと分かってくる。
実際に小規模ではあったが極道一派を、あの王様は完膚無きまでに叩きのめしていながら、未だ無傷だ。嫌でも真実味が増してくる。

そんな噂の王様に尊崇の念を抱く者もいるが、その逆に大層憎んでいる連中もいた。
中には奴の顔に一発でも入れられたら十万出すというトチ狂った者も、叩く度に埃のように出てくる。―――そういった連中を相手にひと儲けしないかという誘いだった。

―――しかし、少年院からやっと出て得た自由…これをまだ満喫したい藤堂だ。

朝倉を相手にしない藤堂に、朝倉は女を口説くときのような熱心さで説得し始めた。
立てている計画…。得た情報。集まった仲間の人数。―――いつの間にか、聞かぬふりをしていた藤堂も耳を傾けて、十分に勝算のある賭けだと思うようになっていた。

朝倉が、必ず『キング』を仕留められると断言するから、藤堂はそのバーで男達を前に一つの賭けをした。

『キング』に勝てるか、勝てないか―――

むろん他の連中も藤堂と同じように『キング』の不敗神話の噂を知っているから、当然と言わんばかりに『キング』が勝つ方を選んだ。
藤堂はこの時、自分の手元にいくらの金が入ってくるのか―――それしか考えられないほど今回の計画には自信があったのに…。

―――なのに…!!

今回の賭けで1人勝ちをする計画は、台無しだ。
それだけでなく、必ず『キング』を倒すと明言した藤堂の鼻っぱしは折れ、実際に骨折もした。
恐ろしい悪魔に命も狙われ、自分が見下していた餓鬼達にも一杯食わされた。

どこに発散すればいいか分からないこの怒りを、何かに…誰かにぶつけなければ気が済まない!!!



息を荒く吐きながら、藤堂は工場の敷地内を駆け回る中、目の前の闇に待ち伏せしてするように佇んでいる人影を見て、表情が自然と強張る。

「っひ…!?」

まさか、あの赤眼の悪魔か…。
もはや人間としての認知ではなくなっている忍の存在を、藤堂は何より恐怖した。
あの赤眼―――きっと今後も悪夢の象徴として出てきそうなほど、深く深く、藤堂の心に根付いている。

しかしぼんやりと浮かぶその後ろ姿を見て、それが先程まで殺してやりたいと本気で考えていた朝倉だと分かった。
必ずあの男をボコボコにしてやろうと思っていた藤堂だったが、仲間の後ろ姿を見て安堵した。
1人じゃない―――それがどれほど嬉しい事か。

「朝倉…!!朝倉…!!おめぇが無事で良かったぜ!!いやぁ〜マジで助かった!!」

しかし、声をかけても朝倉の背中は石のようにピクリとも動かない。

「…朝倉?」
「…」

まったく反応を示さない事に、藤堂は例えようのない不気味さを感じた。
ダラダラと、寒いのに何故か冷や汗が滝のように沸き、喉が渇いて唾を飲み込んだ。

「―――お、おい…?どうしたんだよ…?おいって…!!」

思いきって猛牛のように朝倉に突っ込み、藤堂はその肩を掴んだ。

「聞いてんのか!?」
「…」

朝倉を強引に自分の方へ振り返らせた時、藤堂はその顔を見て血相を変えた。

「お…。お前…っ」

赤くなった顔は青に変わり、唇を震わせる。
触れていた手は自然に剥がれ、全身の力が抜けたように腕がだらりと下がる。
ついでに一歩…後退しながら、首も左右に振った。

信じられない。信じない。―――そんな気持ちで埋め尽くされていく。

漆黒の髪と団子鼻に一重という、日本人にしては一般的な特徴。
髪の長さも清潔さを保って短く整い、髭も生えていない。装いは黒いコートとジーパンという、一見は普通のどこにでもいるような男に見える。
町の中で遭遇しても、気付かない。
視線が合っても、そらせば直ぐに忘れてしまいそうな普通の…ごく普通の容姿…。

―――そう、それはまさしく朝倉だった。

だが…。その眼の…


眼のは……!!!

闇に輝くその色から目が離せない藤堂に、朝倉は笑った。


にんまり、と…。
―――だがそんな笑い方を、藤堂の知る朝倉はしないという事に、ようやく気づいた。

「お…お前…っ。朝倉じゃ…ねぇ…!!一体、誰だよ……!!」

ふーふーと、興奮したように威嚇する藤堂に、朝倉は首を傾げた。


「―――はて?妙な事、聞きはりますなぁ?…おれは、『朝倉』やで?」


嘘だ。

ならば何故あの赤眼の悪魔と同じような口調を使う?


何故同じをしている?


金縛りにあったように、朝倉の目から視線が外れなかった藤堂は、銀色に輝くモノを目の前の男が握っていたと気づいた時には…全てが遅かった


―――to be continued...

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