FF6 | ナノ  人は水がなくては生きてはいけないように私は彼が居ないと生きていけないのです。

 水を口に含むと身体中に染み渡るように彼の言葉は私の心臓に響き、鼓動を開始する。
 それでようやく、私が私として生きた心地を見出せる事ができるのです。

 貴方は、私にとって大切な方。
 道標を与えてくれたただ一つの光。
 貴方の為ならば、私は――



「なぁ、ザードも泳ごうぜ?」
「マシアス様……何度も申し上げている通り、お誘いは嬉しいですがお断り致します」
手を差し伸べるマッシュに対してザードは浜辺に腰を下ろしたまま静かに首を振る。このやり取りは数えるのも面倒なくらい繰り返されていた。それでもマッシュは賢明に彼女を誘う事を止めない。

 他の仲間はというと頑ななザードの態度に諦めたのか既にそれぞれ、ひと時のバカンスを楽しんでいた。

 一行は急ぐ旅をしている。世界の破滅を止める為、浮上した魔大陸に乗り込む予定でいるのだ。しかし、それは彼らの翼でもある飛空挺ブラックジャックのメンテナンスが終ってからとなる。急いでるはずなのにを何を悠長にと思うだろうが、道中、帝国空軍が魔大陸付近に向かっているとの情報が入ったのだ。何事も無ければ問題はないだろうが空を舞う魔導アーマー相手に、武装していないに等しい飛空挺が無事に目的地へと辿り着ける可能性は、極めて低い。
 それに何より、飛空挺の持ち主であるセッツァーがギャンブルを嗜んでいるからと言って、おいそれと自慢の飛空挺を撃ち落されるような対策をしない筈が無かった。
 そんな訳でメンテナンス中は何も出来ない為か暇を持て余した面々は近場であるコーリンゲン海岸へと赴いていたのである。世界を救うことも大事だが、息抜きも必要なのだ。

「別に俺が王族だからとかそんなん気にしなくてもいいんだぜ?」
「気にするも何も、マシアス様は陛下の弟君でいらっしゃいます。そこはお諦めくださいまし。ほら、ガウが呼んでいらっしゃいますよ?」
「あのなぁ……」
ザードは普段フィガロの諜報員として働くエドガーの親衛隊だ。帝国の出撃情報を持ち運んできたのも彼女であり、今も護衛と称してエドガー達と共に行動している。本来であれば現国王であるエドガーの護衛をするべきではあるのだが、マッシュに息抜きも必要だと無理やり連れてこられてしまった。その際、軽くひと悶着あったのだがエドガーの「私に気にせず楽しんでおいで?」という笑顔の後押しには、ザードも従わざるを得ない。ザードにとって何より優先すべきはエドガーの言葉なのだ。
「……実は怒ってる?」
「怒ってなどおりません」
ザードは先程から表情を変えず、ただ事務的に言葉を繰り返す。兄とは違い、品のない冗談を交わせるくらいには気を許してくれていると思っているが、今日は何時に無く表情が硬い。
「何を憤る必要がありましょう? マシアス様のお心遣いに感謝こそすれ厭う気持ちなど微塵もありません」
唇が緩やかに弧を描くが、目は明らかに感情を頑なに見せようとしていなかった。寧ろ放っておいて欲しいと望んでいるようにも見える。エドガーやマッシュに対して基本彼女は嘘をつかない。先ほどから吐き出される言葉は限りなく彼女の本心なのだろう。
「私に構うことなくどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。周囲には魔物の気配はありませんが万が一のため、私は待機しております故」
「往生際が悪いなぁ……別に泳げない訳じゃないんだろ?」
梃子でも動こうとしないザードの態度にやれやれとマッシュはため息をついた。それと同時にほんの少し彼女の肩が揺れる。
 先程までひた隠しにしていた彼女の綻びに、気付かないマッシュではなかった。彼は豪快でおおらかな面が際立つおかげか、よく考えていないように見える事が多い。だが実の所、頭の回転は速い男なのだ。何故、海水浴に誘ったザードがずっと頑なだったのかようやく彼自身、納得出来る答えに辿り着けた。そして同時に面白いものを見つけたというように口の端を上げる。普段の人の好い顔はどこに行ったというような表情だ。
 意地の悪い顔だとザードはゆるく息を吐いた。やはり成長しても双子はどこまでも双子。己の主も同じような表情を過去にしてくれたことを思い出す。
 そんなザードの思いを知ってか知らずかようやく納得できた事が嬉しかったのかマッシュは豪快に笑った。
「なんだ、ザード。泳げないなら泳げないって素直に言えよ」
わははは、と笑いながらバシバシとザードの肩を叩いた。多少は加減をしているだろうが痛いものは痛い。更にマッシュが大声で暴露してくれたお陰でいつの間にやら暇を持て余した面々が二人の周囲に集まってきた。

「ザード、泳げないのか? 水、苦手? ガウ、濡れるの少し苦手」
ガウがザードの隣にしゃがみこみ首を傾げる。彼は先ほどから海には入らず寄せては引く波に苦戦していた。
「あ、いや苦手という訳では…」
「意外ね。貴女は平気なものだと思っていたのに」
苦笑するセリスの手には今回の戦利品が泳いでいた。おそらく暫くすると食卓に並ぶのだろう。セリスの言葉にどう答えていいものかと濁しているとロックがひょいとセリスの持つバケツをさらった。
「ありがとう、ロック」
「気にするなって。つか、ザードさ、よくそんなんでフィガロの諜報員が務まるもんだなー」
「……別に、泳げるのが必須って訳ではないし、船酔いするよりはマシでしょう?」
ザードの思わぬ反論にロックはう、と言葉に詰まる。二人は過去にエドガーの使いとして共に行動をした事があり、ロックが船酔いする事をザードは把握していた。彼は何かにつけて茶々を入れるきらいがあるようで、偶にこうしてからかってくるが殆ど言い負かされているのは蛇足である。

「なんでザードは泳げないの?」
純粋なティナの質問に今度はザードが言葉を詰まらせた。指先で頬をかき目線を彷徨わせ、恥かしいのかぼそぼそと理由を紡ぐ。
「……昔、師匠の特訓で、溺れて、それから」
大分昔の話だと答えたザードに黙って聞いていたマッシュがよし、と意気込むと彼女の肩を掴んだ。いやな予感がするとザードは構える。きっと想像通りの展開が待っているのだろうが出来れば当たって欲しく無かった。
「特訓だ! 折角だし泳げないのを何とかしようぜ!」
まさしくその通りでザードは片手で顔を覆う。相手が王弟、しかもマッシュでなければ勢いのまま張り倒して飛空挺に戻りたかった。
「ま、マシアス様。お言葉は大変嬉しいですが、私は今のままでも十分何とかなっていますから」
隙あらば逃げ出そうと思うにも一流の武人として成長したマッシュには勝てる訳がない。最早引け腰になってしまったザードに更にマッシュは畳み掛ける。
「ンなこと言うけどよ、ザード。もし、兄貴が溺れて助けを求めていた場合どうするんだ?」
「!?」
マッシュの唐突な切りかえしにザードは言葉を失った。自らの主であるエドガーが溺れるなど水に近くなければ起こる事ではないが、その可能性は無きにしも非ず。以前、リターナー本部からレテ川を抜けてナルシェに来たという話を思い出した。もしかしたらマッシュも体験したバレンの滝や蛇の道を通る事もあるかもしれない。彼の公務で船旅の護衛も今後の可能性としてあるのだ。

 そうなれば、自分はどう動く? 何が出来る?

 ぐるぐると巡る思考でザードが導き出した答えは――

「……浮きにロープを括り付けて陛下のもとへと投げ込み引き上げる」
「道具はないものとして」
「……そんな!? 溺れた者を助けるのは二次災害を防ぐべくあまり進んで飛び込むものでは」
「や、だから。流されてさ、今にも沈みそうな兄貴がだな」
別に自分が追い詰められた訳ではないはずなのに、エドガーの絶体絶命を想像したのかザードは青ざめて涙目だ。普段であればここで茶々を入れるはずのロックも、放っておいたほうが面白いと判断したのかニヤニヤと眺めている。ロックの態度にセリスは呆れた顔で一瞥して、ここには居ないエドガーが追い詰められるシチュエーションを語るマッシュと対策のために知恵を絞るザードの応酬を見守った。マッシュの難題におろおろするザードにティナとガウもつられて戸惑っている。

 なんだこの集まりはと内心セリスは呆れていた。

「だからさ、ついに兄貴の命の灯火が消えそうになってすぐに引き上げてやらないといけないわけ。気絶してるなら顎掴んで泳いで誘導できるからな?」

「何やら私が死に掛ける予定でもあるような言い方だが、マッシュ?」
穏やかじゃないな、と突然聞こえた実兄の声にマッシュとザードは大きく肩を揺らした。慌てて振り向けば不吉な話題に複雑な表情を浮かべたエドガーが立っている。共に来たカイエンもエドガーと同様、顔を顰めていた。
「あ、兄貴……」
「陛下っ?! いけません! 今すぐここからお戻りください。水場は危険です!!」
叫んだザードに耐え切れなくなったのかロックが遂に噴出して笑い転げた。突然のロックの行動に眉根を寄せたエドガーはいったい何事かと視線をセリスに向けると彼女は面倒くさそうに説明してくれた。
「エドガーが溺れた時、周囲にはザードしかいない、道具も何も無い時に備える為の特訓をしようとマッシュが」
その説明でエドガーは納得した。視線を弟と家臣に向けると二人はバツの悪そうな顔で縮こまる。無論、マッシュは悪意があって話していた訳ではないのは解るし、ザードがカナヅチであるのはエドガーは昔から知っていた。
「そうだね。いざという時、ザードが泳げなければ君自身を守ることも出来ないだろう。そうなれば私を護衛してくれる優秀なレディを失うことになってしまう。それはとても困ることだ」
「……申し訳、ございません」
俯くザードの肩に手を添えて、顔を上げなさいと言葉をかける。エドガーの声に素直に従い目線を合わせると美しい蒼が柔らかく細められた。
「謝ることはないよ。まぁ、いずれ君には克服して貰いたいと思っている。ただ、今は時間が限られているからね」
「イエス、マイロード」
「あ、そういや兄貴どうしたんだ?」
マッシュの言葉に何故エドガーとカイエンがこの場にいるのかそう言えばと他の面々も思い出した。
「あぁ、バカンスはお終いだよ。飛空挺のメンテナンスが終了したからね。セッツァーに皆を呼びに行くよう言われたんだ」
「ようやく、魔大陸に乗り込む時が来たのでござるよ」
カイエンの言葉に皆の表情が引き締まる。いよいよ、世界の命運を賭ける時が来たのだ。

「ザード!」
「はい、マシアス様?」
「あのさ……その、悪かったな」
飛空挺に戻る途中、殿を務めるザードに歩みを合わせてきたマッシュはきまりが悪そうに謝罪した。しかしザードは気にする訳でもなく静かに首を振る。
「いいえ、マシアス様のお気遣い感謝いたします。お二人の仰る通り、苦手を克服しないのは愚の骨頂。それでは誰がお二方をお守りできましょう?」
お時間が許されるのであれば特訓を是非にと微笑んだザードにマッシュはおう、と人好きする笑みを浮かべてくれた。


「ある意味、ザードのやる気の起爆剤にエドガーを出したのは正解だったんじゃねぇーの?」
手持ちの武器の最終チェックをしていたロックは唐突に切り出した。近くに居たマッシュとエドガーも一瞬手を止める。
「いや、ザードのエドガーへの忠誠心っての? これまで何度も見てきたけど殆ど鶴の一声で納得させたじゃん」
しみじみ頷くロックにエドガーは苦笑した。マッシュも思い当たることがあったのかあぁ、と納得の声をあげる。
「確かに。泳げない事を隠していたからとは言え、あれだけ俺が誘っても頑なだったザードを兄貴は二つ返事させるもんな」
「の割には結構心配性だよな。カイエンと一緒に迎えに来たのもザードに余計な心配かけない為だろ?」
お前結構強いのにな、と笑うロックにエドガーは浅くため息をついた。ロックのいう事もあながち外れではないからだ。

 彼女自身もエドガーが王でありながらも武人としての実力を兼ね備えている事も勿論知っている。だがそれはザードにとっては関係のないことなのだ。
 ザードは自分に仕えて長い。長い付き合いだからこそ、家臣としての忠誠心も護衛での戦闘や与えた任務に対しての実行力も、気心の知れる親衛隊の中でザードは最も信頼の置ける相手なのだ。だからこそなのか、その王の期待に応えるべくザードはエドガーを護ることに心血を注いでいると言っても過言ではない。特にエドガーが単独でに行動しようものなら極端な反応を示してくる。

「いつもの事だよ。レディの顔を曇らせるぐらいなら私だっていくらでも対処はするさ」
「まぁザードのことだから、きっとどんなことがあっても兄貴のもとへと駆けつけてくれるんじゃないのか?」
「違いない。ホント愛されてんな? 国王陛下?」
茶化すロックにエドガーはそうだね、と肯定する。思った反応とは大分異なるエドガーの態度にロックは虚を突かれた気分になった。
「あれ? あんまし嬉しそうじゃないな……」
「嬉しいよ? 素敵なレディに愛されて私は幸せさ」
「そーゆーのは嬉しそうな顔で言えっての。あ、それともエドガー個人として愛されていないのが不満?」
ロックの疑問にエドガーはさぁ? と曖昧に濁した。


「陛下ですか? 愛してますよ勿論。心から」
当たり前じゃないかとザードは臆面も無く答えてくれた。エドガーといい、ザードといいどうやら二人にとってはロックの疑問は愚問に等しかったようだ。
「え? じゃあなに? ゆくゆくはエドガーのお后にでもなるのか?」
「なりませんよ。冗談じゃない」
何を馬鹿な事を、とザードは吐き捨てる。手のひらを返したような態度の変わりようにロックは面食らった。
「え、だってお前……」
「……つくづく思うけど、ロック。貴方は変な所で馬鹿ですよね」
やれやれと肩をすくめたザードにロックはようやく自分が馬鹿にされたことに気がついて彼女に食ってかかる。
「テメっ……」
「必ずしも愛しているからと言って、陛下を恋愛対象として見ている訳ではないんですよ」
掴みかかろうとしたロックの手をやんわり受け流し、困ったようにザードは微笑んだ。その表情はどこか寂しそうな色を漂わせており、ロックは怒りのやり場を失う。
「私がフィガロで唯一忠誠を誓ったのは陛下のみ。あぁ、勿論マシアス様も家臣として敬愛してます」
あのお方の為ならば私は全てを捧げましょう、と語るザードの瞳はとても遠くを見ているように感じた。それは一種の諦めのようにも見えて、まさしくその通りだとロックは思う。何故なら恋人が記憶をなくしてしまい、彼女の幸せを願って離れた己の過去とザードは同じ表情をしていたからだ。
「……別に気にする必要もないと思うけどな、身分なんて」
「分相応は弁えてるつもりです。ずっとあの方の近くに居ましたから……あの方に甘えて、枷になるくらいなら死んだほうがマシです」
話は終わりだとザードは踵を返した。真っ直ぐな背中はそれ以上の言葉は拒絶するとでも言っているようで、ロックもそれ以上はザードに語りかけようとは思わない。
 これがエドガーの顔を曇らせる理由の一つか、とロックは納得した。彼女の忠誠心はある意味、己の心を殺してまでも病的に貫こうとしている。身分どうこうよりももっと、他に別の何かが二人を隔ててしまった要因があるのだろう。
 ザードとエドガーに何があったのかは知らないが、これ以上は首を突っ込まないのが賢明だとロックは思った。長年の友人、特に彼の逆鱗には触れたくは無かったから。


「好奇心は猫をも殺す、とはよく言ったものです」
ザードの呟きにエドガーの注意が反れた。彼女の思い出し笑いは珍しいものではないが、帝国空軍との戦闘の最中にするとは余程の事なのかもしれない。
 気になるところではあるがそれは後回しだとエドガーは即座に頭を切り替え、目の前の魔導アーマーと対峙する。標準は定まっており、後一撃、機体の繋ぎ目にオートボーガンを放てばケリがつくだろう。それが終れば苦戦している仲間の補助にと思考を巡らせ、エドガーは引き金に指をかけた。しかし残念ながら放たれた矢は風圧に押され、損傷はしたものの狙ってた所とは異なる場所に当たってしまう。
 想定外の出来事にエドガーは舌打ちをする。そして敵も逆転のチャンスと考えたのだろう。墜落間際の悪あがきのつもりか、魔導レーザーのエネルギーがチャージされていた。オートボーガンを撃つにも矢の補充が間に合うかどうか難しいところだ。勿論魔法も唱える暇もない。

 これはまずい、そう思った矢先にザードが駆け出しエドガーの前に立ちはだかる。

「陛下!!」

同時に聞こえた銃声。そして、目の前で弾けた、光。

「っ!? ザード!!」
エドガーには全てがスローモーションのように見えた。自分に向かって後ろに倒れるザードをエドガーは手を伸ばして抱きとめる。直ぐに容態を確かめると幸いにも腕を浅く焼かれた程度で深手という傷では無いことにエドガーは安堵した。ザードの放った銃弾のお陰で対峙していた魔導アーマーは視界から消えており、どうやらそれが最後の機体だったようだ。


 帝国空軍との戦いがある程度落ち着いたところでようやく一息ついた。しかしまだ終わりではない。帝国空軍がまた襲ってくる可能性もあり、魔大陸に向かったメンバーの事も気にかかる。疲弊した仲間は船内に引っ込んだが、ザードは銃弾の補充をしながら見張りのため、甲板で待機をしていた。
「ザード、怪我の手当てをするからおいで」
「応急処置をしたからもう平気です。それより陛下こそお休みください。帝国軍は一時撤退した模様ですが油断は出来ません」
ザードの右腕には包帯が巻かれた程度で確かに適切な処置ではあるが、少し心もとないようにも見えた。負傷したのは彼女の方なのに傷一つない自分の疲労回復を優先させようとするのを頑として譲らない。
 ザードの存在意義は確かに自分の盾である事をエドガーは理解している。だが、頑なにその事を貫こうとするのは何故か、今のエドガーの心をざわつかせる要因でしかなかった。

「私を煩わせるな。ザード、来なさい」

「……失礼致しました」
彼の気分を害したというのは彼女も気付いていた。その為、素直に謝罪を述べ、エドガーに従う。
「本当にもう大丈夫です。薬も塗りましたし、痛みも引いて陛下のお手を煩わせる訳には……っ!?」
ぐ、と強く掴めばザードは痛みに顔を顰めた。エドガーは更に眉間に深く皺を刻み、息を吐く。
「やせ我慢はやめなさい……それと、ありがとう。君が居てくれて助かった」
「……陛下がご無事で、何よりです」
エドガーは静かに癒しの魔法を唱えると、ザードの右腕に手をかざした。添えられた手の平から暖かい温もりを感じて魔法とは不思議な力だとザードは思う。恐ろしい力ではあるがこうして傷を癒す事もできるのだ。

「先ほど、何を思い出していたんだい?」
不意に聞こえたエドガーの呟きにザードは顔を上げた。訝しげな碧眼がザードを捉える。
「……先ほど、とは?」
「ほら、好奇心は猫をもと言ってたじゃないか」
エドガーの言葉にザードは思い出したのかあぁ、と声を上げるとまたくつくつと笑い出した。何がそんなに可笑しいのか解せないエドガーは訳を話すよう促す。
「いえ、ロックが私に陛下を愛しているのかと問われたんです。彼は察しはいいはずなのに、そのお節介がいつか身を滅ぼすのではないかと思いまして」
戦いの最中に思うことではありませんでしたが、とザードは自嘲するように笑った。
「あぁ、確かにロックならあり得そうだね。それで?」
「え?」
「君はなんと、ロックに答えたんだい?」
右腕の傷はもう綺麗さっぱりなくなっていた。だが、逃がさないというようにエドガーの左手はザードの右腕を掴んだままだ。その表情はとても気さくな王で通っている顔とは言い難い。どちらかというと拗ねた子供のようだと場違いながらもザードは思う。
「愚問ですわ。勿論、私は陛下をお慕いしておりますと伝えましたよ」
心から、と付け足した彼女にエドガーは眉を潜めた。まだ腕を放す気配はない。
「その言葉は、私の名前を呼んでから言って欲しいものだね」
「それは出来かねます。私にとって陛下は唯一無二のお方。おいそれとお呼びするにも参りません」
お諦めくださいまし、とふわりと微笑めばようやく彼は手を離してくれた。そして髪をかきあげ、置いていたオートボーガンを担ぎなおす。
「……何か、君には私の名前を呼べない呪いでもかかっているのかもしれないね?」
苦し紛れに出た軽口を叩くとザードはかもしれませんと穏やかに微笑んだ。



 彼の立場を考えればただの家臣である自分は相応しくない。ただ、陛下が望むのであれば汚れ事でも夜伽でもなんでもこなすつもりだ。命も身体も全て彼に捧げる事が忠義だと私は信じている。
 国のための駒でも、身を護るための盾でも構わない。それが私の生きる意味なのだ。

 彼と恋をするのはそれはそれで素敵な事だと思う。しかし、その事が陛下の行く道の妨げに、枷になるのであればいっそ、そんなものは捨ててしまった方が良い。陛下を理由にするのはずるい事だと思っているけれど、理由にするぐらい彼は私の中で大きく存在している。優先順位が元々違うのだ。

 そもそも、私は生まれてからずっと恋というものをした事が無い。陛下に対する気持ちはおそらく書物による恋物語とは違うものだ。それに何より、私は陛下に女として見てもらいたい訳ではない。

 ただの家臣として、仕えている事が、側に置いてもらえる事が、私にとっての最大の幸せなのだ。恋心というものを知ってしまう事で今の陛下との均衡が崩れてしまうのであればそんなものはいらない。

 彼無くしては生きてはいけなくなってしまった今、必要不可欠な水と等しい彼に尽くす事、それが私にとって大切な事。
 だからこそ、心の奥底で見つけたこの感情にはこの先もずっと、見ない振りを続けていくのだろう。
 陛下のお側に置いて頂ける限りは、私が現を抜かし揺らぐ事はきっと、ないはずだ。



 水は流れるが故に清らかにあり、留まれば濁ってしまうもの。ザードにも変化が見られたように、水と称したエドガーにも彼女への気持ちの変化が現れ始めていた。お互い切り出さなければこの関係は変わることはない。

 世界が崩壊した後、二人の間に保たれていた均衡は脆く崩れ去ってしまう事になる。そんな事実はこの時のザードにもエドガーにも知る術はなかった。

+++++
企画サイトに提出させていただいた内容です。
誤用していた場所あったのを今更気付きました。
(2015/01/31 初出)

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