16:知らない男
昨日ナナシに兄弟に思うような可愛いなのだと言われてからカタクリはずっともやもやしたままだった。最初に可愛いと言われた時はもやもやしなかったのに何故なのだろうかとカタクリは考えるが、その答えが出るわけもなく、そういう風に思ってもらえるのは良い事だと自分に改めて言い聞かせた。
そして昨日また帰りに、よかったらとナナシにもらったお菓子を食べながら仕事を始めた。
だが、仕事はあまり捗らない。でもお菓子は全て食べ終わってしまったので、カタクリは喫茶店に行こうと思い屋敷を出たのだった。
そして喫茶店に入った瞬間カタクリは固まった。
「あ、いらっしゃーい」
ナナシではなく知らない男に迎えられたからだ。カタクリはすぐに外に出て看板を見てみたが、ここはやっぱりナナシの喫茶店で間違いなかった。
従業員を雇ったのか?そんな風にカタクリが考えていたら、いつの間にか男は目の前までやって来ていた。
「ねェねェお兄さんってさー、もしかしてカタクリ様?」
「……そうだが」
馴れ馴れしい口調の男にカタクリは少しイラついた。
「やっぱりー!この島の大臣なんだってね。ほら、入って入ってー!」
そう言いながら男はカタクリを招き入れると、いつもの席に座っててよと言ってカウンターの中へと入っていった。
カタクリは席に座ると店内をキョロキョロと見回しナナシの姿を探すも見当たらず、いったいナナシさんはどこにと考えていると、水とお菓子を持って男がカタクリの前にやって来た。
「これサービスだから遠慮しないでどんどん食べてー」
「……ナナシさんは?」
「え?ああ、実はさっき僕がうっかり紅茶の茶葉を全部落としちゃってさ、買いに行ってくれてるんだー。そのうち戻ると思うから、ちょっと待っててー」
「……何故お前が行かない?」
「え?いやー僕お茶の事ぜーんぜんわからないからー」
アハハーと笑っている男に反省の色はない。カタクリは更にイラついた。そんなカタクリの様子に気付いているのかいないのか、男は話を続ける。
「カタクリ様の話は色々聞いてるよー。この店を贔屓にしてくれてるんだってねェ。僕のナナシに親切にしてくれてありがとう」
「ぼ、僕、の……?」
カタクリの声は震えていた。男はそうだよーと笑顔で答える。
「これからもよろしくね!じゃあ、ごゆっくり」
そう言うと男は軽く会釈してカタクリの前からいなくなった。
『僕のナナシ』という言葉はカタクリには刺激が強すぎたが、なんとか自分を落ち着かせて男を観察する。
男の口調とナナシに迷惑をかけたのに反省していない態度にカタクリはイラついたが、穏やかそうな雰囲気の接客は少し、ほんの少しだけ悪くないと思った。終始笑顔で他の客にも接している。水が少なくなっているのに気付くとすぐにおかわりはー?と声を掛けていて、気配りも良く出来ている。
そして何より見た目が良い。優男という言葉が似合いそうな男だ。ナナシと並ぶと絵になるだろう。
カタクリは、カッコ良く素敵な女性のナナシなのだから、きっと最高に良い男といつか結ばれるのだろうと思っていた。でもいざそんな相手が現れるとカタクリは心穏やかではいられなかった。
店内で前にナナシのファンだと言っていた女たちがその男にキャーキャー言っている事にも、こんな気持ちになっている自分にも腹が立って、カタクリは勢いよく立ち上がりわざとらしく足音をたてながら店を出ようとした。
店内にいる客たちは明らかに不機嫌なカタクリを見て黙ってしまう。少し怯えている者もいる。
でも男だけは、あれー?と間抜けな声を出した。
「カタクリ様お帰り?ナナシ帰ってくるまでいてあげてよ」
男は笑顔でカタクリに駆け寄ってきた。カタクリは何も言えず黙って店を出ていった。
「あらら……短気だなァ」
男は楽しそうに笑っていた。
カタクリのイライラは収まる事はなかった。メリエンダには大好きなドーナツを食べたが、それでもダメだった。もちろん仕事は何も進んでいない。
ずっとナナシと男の事を考えてしまう。
男は優しそうだった。だからナナシの事もきっと大切にするだろう。でもそれがなんだか嫌で、そう思ってしまう自分にカタクリは今度は落ち込んでいた。だってファンなんだから、推しが幸せならそれでいいはずだ。
「おれは最低だ」
カタクリが頭を抱えていると、部屋のドアが控え目にノックされた。
「カ、カタクリ様」
屋敷に帰ってきてからのカタクリはずっと機嫌が悪かったので、部下の声は少し怯えている。
カタクリは溜め息をつきながらなんだと返した。
「あ、あの、ナナシさんがいらしています!」
「っ!!」
カタクリは勢いよく立ち上がったが、すぐにハッとして座った。
「おれは忙しくて出れない。用件を聞いておいてくれ」
「え!?よ、よろしいのですか!?」
「……ああ。わざわざ来てもらったのに申し訳ないと伝えておいてくれ」
「わ、わかりました」
失礼しますと部下は去っていった。今のカタクリはどんな顔でナナシに会えばいいのかわからなかった。
しばらくするとまた部下がドアの前から声を掛けてきた。
「カ、カタクリ様!ノックもせず申し訳ありません!ナナシさんに大量のお菓子をいただき両手が塞がってしまい……」
それを聞いたカタクリは立ち上がりドアを開けた。目の前には本当に大量のお菓子を持った部下が立っていた。
「ナナシさんからの差し入れですよ!あと、言伝てを預かってきました!」
「言伝て?」
「は、はい!父がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした、と」
「そうか……………ん!?い、今なんて言った?」
「え?ち、父がご迷惑をと……」
「父…………あれは父親だったのか!!」
男の穏やかそうな雰囲気はよく考えるとナナシに似ていたし、僕のナナシと言ったのも子供だからだとわかると納得できた。
カタクリは部下にテーブルの上にお菓子を置くように命令すると部屋から飛び出した。
ナナシはまだそんなに遠くに行っておらず、屋敷から少し離れた所でカタクリは追い付いた。
ナナシはカタクリに気が付くとすぐに頭を下げた。
「父が申し訳ありませんでした!」
「え!?」
「突然帰られたと聞きました。あの人いい加減で、カタクリ様の気分を害するような事を何か……」
「ち、違う!そ、そんな事はなかった!問題ない!」
勝手に腹を立てて帰っただけなので、ナナシに頭を下げられカタクリは本当に申し訳ないと思った。
「き、急用を思い出して、だな……それで、あの、急いで帰っただけなんだ!」
「よ、よかったァ」
ナナシはホッとしたように笑った。
「と、ところで、喫茶店にいた男は、ち、父親だったんだな」
「あ、はい。そうなんです。昨日突然やって来てしばらく泊めて欲しいと……代わりに店を手伝うと言ってきたのですが、さっそく茶葉を全部落とされてしまい。散々です」
「そ、そうだったんだな。て、てっきりおれは、こ、恋人なのかと……」
「こ、恋人なんていませんよ!」
「そ、そうなのか!」
カタクリはナナシのこの言葉に嬉しくなった。
「ま、またお菓子をもらったが、あんなによかったのか?」
「え、ええ!是非召し上がってください!」
「わ、悪いな。あ、その、また明日改めて喫茶店に……」
「あ、すみませんカタクリ様!うちのお店賞味期限で、明日解体業者が……」
「あ、そう、なのか……残念だ」
「定休日と合わせて三日間お休みさせていただきます。またお店が出来上がったら是非来て下さい!」
ナナシは笑顔で会釈して帰ろうとしたのだが、それをカタクリが止めた。
「い、家まで、お、送る!」
「え?あ、ありがとうございます!」
頬を赤くして微笑むナナシを見てカタクリはドキドキした。そのドキドキはいつもとなんだが違うような気がしたが、嫌ではなかった。
「あ、おかえりー」
ナナシが家に帰ってくると男は、いや、父親は笑顔で迎えた。
「カタクリ様怒ってたー?」
「……怒ってなかったみたい」
「よかったァ。まあ、僕何もしてないから関係ないけど!」
「だって突然帰ったって聞いたから、絶対父さんが何かやらかしたと思うでしょ?」
「酷い!僕ちゃんとおもてなししたもん!プンプン!」
「気持ち悪い」
「酷いなァ。お父さんに向かって!」
「あんたの性格が悪いの知ってるんだよこっちは」
「悪くないもーん!」
「……そんなんだから、母さんに逃げられるんだ」
「ちょっ、それは言わないでよォ」
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お父さんでした。ちなみにカタクリ様より先にいたお客さんは父親だと聞いてました。