狼火

黄色いベストとネクタイを外し、まっさらなシャツの上から緑色のエプロンを羽織る。するり、腕を通して後ろで蝶々結びをすれば、洗いたてのエプロンがきゅっ、と良い音を立てた。
ロッカールームにまで漂ってくる香ばしい香りは、挽きたてのコーヒーの香りだ。備え付けの鏡で入念に前髪を直し、頬を叩いて「よし!」と自分に気合いを入れる。
鏡の中にはうっとりとするような金髪の美少年が立っている。俺だ。学校に行けば毎日のようにドヤされ、家にいれば毎日のように兄に殴られるしょぼくれた俺は、もう此処にはいない。

「おっはよーございまぁ〜す!!」

スキップしながらロッカールームを飛び出せば、そこには先に準備を済ませた炭治郎が怪訝な顔をして立っていた。るんるんと身体を揺らす俺を見て、親友はレジに立ったまま深いため息を吐く。

「善逸、毎回顔がだらしないぞ。お客さんの前なんだからもう少しちゃんと...」

「わかってらぃ!でもこれがニヤけずにいられるかってんだ!」

石鹸でよくよく手を洗いながら、俺は小声で炭治郎に声を飛ばす。いつもより多めに紙ナプキンを取り、丹念に拭いて消毒用アルコールをすり込んだ。
そう、ニヤけずにはいられない。だって此処、俺たちのアルバイト先であるスター○ックスは、俺にとって天国なのだから!

「確かに良いお店だと思うけど、そんなに浮き足立つ程か?さっき予定表見たけど、君毎日のようにシフト入れてるだろう」

「あったりまえだろー!かわいい飲み物を飲むかわいい女の子が見られるんだぞ!女の子から話しかけて貰えて、カップに可愛いイラストなんか描いてあげちゃったりして!ドリンクを渡す時にはさり気な〜くボディタッチも出来る!天国じゃん!!!」

「......」

炭治郎が軽蔑した視線をこちらに向けてくるが、そんな事は気にしない。何せ女の子の方から店員である俺に話しかけてくるのだ。やましいことは何もない。合法、合法。

「お客さんを困らせるような事だけは駄目だぞ。まさかLINEのID渡したりしてないだろうな?」

「ふ〜ふふ〜ん」

鼻歌交じりにうるさい炭治郎を押しのけ、今度は俺がレジに立つ。すると、俺の目が店のドアを押して入ってくる一人の女の子を捉えた。キラーン!と自分の目が一番星の如く煌めくのが分かる。

俺の憧れの女の子。別のクラスで話したこともないけれど、ずっとずっと片思いしている子。その名もみょうじなまえちゃん!!!

「いらっしゃいませ!スター○ックスへようこそ!ご注文お決まりでしたらお伺いします!」

思いっきりカッコつけてそう言えば、なまえちゃんは俺なんかには目もくれずにカウンターのメニューに視線を落とす。
あ〜睫毛長っ。かんわいい〜。一生見てられるよ〜!

「じゃあ、この大学芋フラペチーノください」

「かしこまりました。サイズはトールでよろしいですか?」

「はい。支払いはこれで」

そう言って、なまえちゃんは赤いお財布から1枚のカードを取り出す。チャージ式のプリペイドカードだ。さすがなまえちゃん。キャッシュレス化が進んでるね〜。今時の女の子だねぇ〜。

「では、こちらにタッチをお願いします」

「はい」

スっと彼女がリーダーにカードをかざす。しかし決済は行われず、レジ画面には赤い文字でエラーが表示される。

「ん!?ごめん、もう1回タッチしてもらってもいいかな?」

「あ、はい」

もう一度、彼女がリーダーにカードを近づける。しかしまたエラー。これは...。

「ごめん、残高不足みたいだ...」

結論を伝えると、彼女の大きな瞳にサッと絶望がよぎる。「えっ」慌てたようにカードを引っ込めた。

「うそっ、ごめんなさい、まだ足りると思ってた...」

「ぜーんぜん大丈夫だよ!よくあるんだこういうの!チャージする?それとも現金にする?」

「...実は、今日あんまりお金持ってきてなくて...」

なまえちゃんはしょんぼりと項垂れ「ごめんなさい、注文キャンセルで」と呟く。ぺこり、頭を下げカウンターから離れて行く背中に、俺は慌てて声を掛けた。

「ちょ、ちょっと待って!」

そう言って、俺はズボンのポケットから自分のプリペイドカードを抜く。そのままシュバ!っとリーダーにかざせば、ピッと正しく決済された音が聞こえた。「炭治郎!大学芋フラペチーノ一つ!」俺の言葉に、炭治郎が「お、おう!」とシェイカーに氷を入れる。シェイカーが唸る音に、彼女は目を丸くしていた。

「仕上げは俺がやるから」

そう言って、俺は出来上がったフラペチーノにホイップを乗せ金色のソースを掛ける。彼女の目の前で、まるで魔法をかけるように黒ごまを散らした。

「はい、大学芋フラペチーノ。お待たせしました」

「で、でもお金が...」

言い淀むなまえちゃんの手に、俺はゆっくりと出来たてのフラペチーノを渡す。

「気にしないで。俺がこうしたかっただけだから」

「でも...」

「君が飲んでくれないと、このドリンクこのまま捨てなきゃならないんだ。だから、良かったら飲んで欲しいな」

そう言えば、縮こまっていた指がおずおずとカップを掴む。丸い大きな瞳がきゅっと細まり、「ありがとう、我妻くん」となまえちゃんが言った。「いえいえ」そう返しながら、俺は目の前の女の子を見つめる。

ストローに口を着けた彼女の頬が窄まり、甘くて可愛い飲み物を吸い上げる。こくん、小さな喉が上下した。

「とっても美味しい」

やっと笑った彼女に、俺も微笑み返す。

なまえちゃんが店を出ていった後、残りのバイト時間を俺は夢心地で過ごした。話したこともないなまえちゃんに認知されていた事が、この上なく嬉しかった。
炭治郎は相変わらず汚物を見る目で俺の事を見ているが、まぁ好きにしたらいい。

なんてったって、今日俺は一人の女の子の笑顔を守ったんだからな!




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