湊さん


「ええええなまえちゃん何でここにいんのぉ!?」

ちょっとした用事でお館様の屋敷に足を踏み入れた時、俺は信じられないものを目にしてしまった。
昔知り合いだった、泣き虫で小動物のように愛らしいなまえちゃんが当たり前のように隊服を着て、おまけに腰には刀を引っ提げて俺の前にひょっこり現れたからだ。

「最終戦別に合格したからだけど…」
「いやいやそういうことじゃなくって!!俺が聞きたいのはそれ以前の問題であって…」

なまえちゃんとは古い付き合いになる。俺がちっちゃい頃、近所の高そうな呉服屋の前を通ると店の奥でいつも本を読んだり、黙々と文字の練習をしていたのがなまえちゃんで、雰囲気だけでもなんとなく自分とは住む世界の違う子なんだってのがわかった。実際、身に着けている着物もハイカラできちんと仕立てられているものだったし。だからこれから先もずっとずっと関わったりすることがないと思っていた。

「か、返してよ…!」

でも、その日はいきなりやって来る。家の近くで糸のように細く、頼りない声を耳にした俺は慌てて外に飛び出した。なんとなく予感はしていたけど、声の主は呉服屋の女の子。想像通り可愛らしい声だ、なんて浮ついたことを考える余韻もなく、目に入ったのは俺が最も苦手とする光景だった。年上のガキ大将が女の子の髪飾りを奪い、それはもう悪い笑みを浮かべながらその手を高い場所でヒラヒラと靡かせていたのだ。

「へへっ、返してほしかったら自分で取れよ」

ああ嫌だ、こういう場面って本当無理。だって俺弱いし、力だって全然無いし……。それにこのガキ大将って先月のこども相撲大会で優勝した奴じゃない?ねえ?もうさ、弱い者いじめとかやめて相撲に専念した方がいいと思うんだけどなあ……。
一瞬の内に色んなことをぐるぐる考えていると、これまで動きがなかった二人に変化があった。
手を伸ばしたり、跳ねたりして髪飾りを取り戻そうと必死になっていた女の子がとうとう「うっ…」と声をあげて泣き出してしまったのだ。

「あはは!こんなんで泣くとか馬鹿じゃねえの」
「…馬鹿はお前だ」
「…は?」
「聞こえなかったのか?何回でも言ってやるよこの大馬鹿野郎が…!!」

怒りという感情を認識したのはこれが初めてだったかも。全身が燃えるように熱くて、自分の心音以外は何も耳に入ってこない。当然、相手が誰とかも今は関係なかった。唸りながら目の前に立ってる大馬鹿者に突っ込んでいったところで記憶は途切れ、気付いた時には女の子が顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら俺を見下ろしていた。

「……ねえ、なんで私のことを守ってくれたの?」

守った、のかどうかはわからないけど。女の子の髪には髪飾りが戻っているし、全身が殴られたように痛いってことは少しは力になれたってことなのかも。

「へ、へへへへへ……」
「えっなんで笑ってるの…?」
「へへ、ごめん。なんか嬉しくなっちゃって…へへへへ」

不審そうな目で俺を見つめていた女の子の表情が少しずつ解れていって、涙の代わりに笑顔が零れた。可憐で、か弱いなまえちゃん。俺の中でその印象は何年も塗り替えられることのないまま時だけが過ぎ、やがて俺はじいちゃんに拾われて遠くに行ったため、なまえちゃんとはそれから数年間は会うこともなかった。……それなのにさあ!!ねえねえなんで鬼殺隊なんかに入っちゃってんの!??

「私ね、善逸くんみたく強くなりたかったの。それが鬼殺隊に入った一番の理由」
「……強いぃ?誰が??」
「善逸くんだよ。私の中ではずっと善逸くんが一番なの」
「!いち、ばん…」

つい頬をぽっと染めてしまったけど、今はそうじゃなくって!!

「あのさぁなまえちゃん、鬼殺隊って何をするところかわかってる…んだよねえ?」
「うん、勿論」
「……悪いことは言わないからやめといたほうがいいと思うよ?死ぬほどこわーい鬼もうじゃうじゃ出るし、痛い思いだってたくさん……」

矢を射るような凛とした目で見つめられると、後ろ向きな言葉はそれ以上出てこなかった。俺だって薄々わかってたよ、最終戦別を突破するってことはそう簡単じゃないってことも、なまえちゃんはもうあの時のなまえちゃんとは違うってことも。

「心配してくれてありがとう。でも私、いっぱい修業も頑張ったし、多分善逸くんに守ってもらわなくてももう大丈夫だから」
「……でも」
「あ、半人前が何言ってるんだって顔してる」
「えええ!?そんなこと思ってな……」
「いいもん、私もっともっと修業して強くなるから。で、今度は私が善逸くんのことを守るからねーだ!」

じゃあねー!と走り去るのはやっぱり俺の知らないなまえちゃんの姿だったし、長年心の中に仕舞いっ放しだった淡い気持ちと記憶がこんな形で再び浮き出てくるなんてちょっと不本意だけど、それでも俺はこうも思ってしまったのだ。

強気で勝気ななまえちゃんも悪くないな、って。




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