湊さん

「よォ、久しぶりだな」

その声を聴くのは実に半年ぶりのことだった。鎹鴉が私の元に飛んで来なくなったのがそれぐらいの頃で、自ずと悪い想像ばかりが頭の中を支配してしまっていて。しかし、鬼殺隊でもなんでもない只の一般人の私が彼の安否を知ることができるのはやはり鎹鴉を通じてのこと。だから私は勝手に最悪の結末を思い描いていたのだった。

「…本当に、実弥さん?」
「お前はいつから俺に似た男と知り合いになったんだァ?」

片方の口角だけ上げて冗談を吐くその姿を見て、不覚にも涙が零れ落ちそうになる。実弥さん。私が生涯で初めて恋をして、口付けを捧げ、そして将来を誓い合った人。そんな彼との出会いは浪漫的なものとは程遠く、私が鬼と呼ばれる化け物に襲われそうになったところを実弥さんが救ってくれたのだ。本当に一瞬のことで何が起きたのか私にはその時わからなかった。ただ、風が強く吹いたと思えば鬼の断末魔が聞こえてきた、それだけは今でも記憶にべったりと貼りついている。そして鬼が消滅した後も激しく全身を震わせる私を見て、「怪我はねえか、お嬢さん」と口角をあげて振り向いたその様も、同じく。

「ごめんなさい…」
「…は?お前マジで誰か他の奴と親しくなったんじゃねえだろうな」
「違います、そういう意味のごめんなさいじゃなくって!」

相変わらず話の筋が見えないと、実弥さんから両方の頬を軽く抓られる。痛い。でもこれは間違いなく幸せな痛みだ。

「私、さっきまで悪いことばかり考えていました」
「んだよ悪いことって」
「…実弥さんが、命を落としてしまったんじゃないかとか」
「勝手に人を殺すなァ」
「あとは誰かを庇って鬼にやられてしまったとか」
「…どっちにしろ死んでんじゃねえか」
「もう!正直に言ったんだからいい加減抓るのやめてくださいってば!」

ようやく頬が解放され、穏やかな風が吹くたびにぴりっとした痛みが走る。私が実弥さんの身体の異変に気が付いたのは、たまたま包帯で覆われた彼の指先に目を向けた時だった。

「実弥さん、その手…」

言わんとすることを察して、実弥さんは何でもないような素振りをしながら手を後ろに隠す。

「ちょっと、隠すの無しです」
「…別に何でもねえよ」
「何でもないなら見せてくれたっていいでしょう」

私が頑固だということは、付き合いの長い彼ならよく知っていること。黙って視線を合わせ続けていると、軽い舌打ちとともに両手が前に差し向けられる。そこには鬼と戦い、そして打ち勝った証である欠落の跡があった。

「痛かった、ですよね」

多分、そんな次元の問題じゃないことぐらい自分でもわかっていた。でも、鬼殺隊の剣士でもなんでもない自分が労いの言葉など掛けてはいけないこともまたわかっていた。たまに実弥さんが話してくれた修業の内容はその一部だけ切り取っても重々過酷なもので、更に実弥さんは柱という鬼殺隊の中でも最も強い九名の一人。彼に会えることは勿論嬉しい。けれど、毎日が血の滲むような努力の積み重ねで構成されている人にはどんな言葉を掛けるのが最善なのか。何の肩書もない私はいつもそんなことばかり考えてしまうのだ。

「今はもう痛くねえから大丈夫。…それより、お前に一個だけ話しておかなきゃなんねえことがあるんだけどいいかァ?」
「…?なんですか」
「半年前、鬼は一匹残らず消し去った。だからこの世界はもう平和そのものだし、鬼殺隊だって解散した」

心音が急に速くなっていく。脳裏に浮かんだのは、去年実弥さんとした一つの約束だった。

『もしこの世がいつか鬼のいない世界に変わったらよ、俺と一緒になってくれねえか』

当時、私は驚きと嬉しさが入り混じって彼の顔をまともに見ることができないほど大泣きしてしまった。その約束が今、果たされようとしている。ああどうしよう、また涙が出てきそう。

「…だから、俺と別れてくれ」

時間が、一瞬止まった気がした。浮かれていた頭にこの言葉が浸透してきたのはそれから数秒後。

「どういうことですか」
「どういうこともクソもねえよ。お前はもう俺に守ってもらわなくてもちゃんと生きていける。だから勝手に好きな奴でも作ってお前のいいように生きろ」
「な……待って!」

多くは語ろうとせず、この場を立ち去ろうと試みる彼の背中に勢いよく飛びついた。

「実弥さん、何か隠してるでしょう」
「…はあ?」
「だっておかしいじゃないですか、半年ぶりに帰って来たかと思えば急に突き放すようなことばっかり言うなんて」
「……」
「お願いです。このまま別れるなんて、私絶対に嫌ですから」

しゃくりを上げながら懇願する私の頭に、ぽんと大きな手が置かれる。規則的に後頭部を摩りながら、実弥さんは困ったように笑って見せる。

「……俺は多分、あと数年しか生きられない。これはもう決まりきったことだから他に方法なんてねえんだ」

だから、私と別れようと思ったの?そう心の中で強く叫ぶが、実際は頷くことしかできず。

「俺はお前には幸せになってほしい。弟の分も、家族の分も」
「…私は!実弥さんといることが一番幸せなんです。あと数年しか生きられない?だったら最期まで一緒にいますよ。それでいいじゃないですか…!」

この上なく服を強く引っ張ると、実弥さんはいよいよ何も言葉が出ないようだった。

「…後悔しても知らねえよ」
「はい、上等です」

そして、私は一番言いたかった台詞を言っていなかったことに気付く。

「おかえり、実弥さん」




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