ねおさん


「エッ、あっ」
「………」
「…………」
「………おかえり」

それは私の口から出た言葉であったけれど、『おかえり』というのはおかしい。だってここは私の屋敷だ。わたしだけの。証拠に、この家の中には私以外のしぶつは存在しない。だってほら、庭に干されたふとんは一組だし、玄関には一足の草履しかなかった。勿論、任務帰りの自分が脱いだものだ。それに洗面台には歯ブラシが一本…「あれ、」二本に増えている。沈黙を貫いたままでいる彼、不死川君は、いまも堂々としたふるまいで私の居間の真ん中に座り込んでいるが、いったいどういう事なのだろう。私が押入れの一番奥に隠しておいた彼お気に入りの座布団は、引っ張りだされて彼の胡坐のしたに落ち着いている。おまけに勝手でお茶まで淹れて寛いでいるのだから、もうこれはすごい。そうして今不死川君のくちが触れたそれは、私が近所の工房で作った手製の湯飲みである。勝手に使うな。

「………」
「………」
「…あのそれ、先週私が作ったんだよね」
「通りで、不細工な作りしてる訳だァ」
「………」
「………」

室内にそぐわない、髪の毛先だけが攫われるくらいのやさしい風を感じた。微風は外から入り込んできている。たぶん、春だから、たんぽぽやさくらの木を撫でて私のところにやってきた風だ。そうでないと、私がこの状況にのんびりとした心持ちで参加できている理由が見つからない。空の色は結構青い。雲はけっこう、しろいふうだ。

「不死川君」

彼は庭から入ってきたのだろうか。まったく、変わっていないのだなと思う。いつから居るのか疑問だ。そういえば一昨日は、任務要請が下って急いで家を出た形になったせいで、私は庭に布団など干していない。

「あァ?」

呼んだせいでやっと顔を向けてくれた。前回会った時より髪がのびている。傷も増えているのかもしれない。分からない。……いや、それは嘘だ。傷の数はわかる。

「ふとんを干してくれてありがとう」
「お前、馬鹿じゃねェの」
「なんで」
「他に言う事あんだろうが」
「無いよ」
「なんでお萩なんか買って帰ってきてんだ」
「私が食べるからだよ」
「ああそうかィ」
「そうだよ」

不死川君はこわい顔をみせるふうにして私を睨んでいるが、とくべつ怖いという事は無い。私が怯まないとわかると、肩を落としながらの大きなため息をついて、彼は湯飲みの中のみどりの沼を覗き込んだ。ちょっと空気が不穏になった。それでも私はしばらく黙って、不死川君と手製の湯飲みを一場面として眺めていた。不死川君はあんなふうに言ったけれど、湯飲みは結構良く作れていたと思うし、なにより深い緑色をしたそれは随分と良い感じに、彼の風景を飾っているのだった。「…お前、甘いもの嫌いだったろうが」あったかい風は、不死川君のところにもちゃんと平等に届いているだろうか。

「んじゃ、不死川君が食べれば」

近付いて、胡坐をかいた太腿の上に小包を下ろした。ついでに半分残っている湯飲みを奪う。その場で全て飲んだ。苦過ぎたけれど懐かしくも思った。お茶を新しく淹れてきてやろうとおもう。彼は淹れたての、舌が火傷しそうなくらいのそれが好みなのだ。「ふとん、不死川君のぶん捨てちゃったから一組しかないよ」おまけにとっても濃く淹れたそれが。

「一組で充分じゃねェか」
「ふうん」
「ンだよ」
「べつに」

足首をおもいきり掴まれている。握った強さに優しさが乗っている。なんだかなあ、と思う。なんだかなあ。

もうちょっと可愛い家出のやめかたを、彼はしらないのだろうか。




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