うつつさん

「はあぁぁ、かっこいい……!」

 なまえが職員室の扉の前にたどり着くより少し早く、その扉はガラガラと音を立てて開いた。中から出てきた凛々しい横顔のその人を目にするなり、なまえは感嘆の溜め息を漏らす。
 わざとらしいほど大きな声で発せられた彼女の言葉は、すぐにその人の耳に届いたようで、彼はぴくりと肩を揺らすと、廊下に出てすぐのところで足を止めた。そして、「よく聞き覚えのある声だ」とでも言いたげな様子で眉を顰めると、徐に彼女のほうへと顔を向ける。

「煉獄先生っ! 好きです!」
「……みょうじ。また君か」

 キラキラと星屑のような光を瞳に散りばめさせながら、自分のことを見つめるなまえに、その男――煉獄杏寿郎はやれやれと首を振った。
 そんな杏寿郎の様子にも怯むことなく、小走りでこちらに駆け寄ってくるなまえの顔には、嬉々とした表情が浮かべられている。彼女の歩行にあわせて跳ねるように制服の裾が揺れ、静かな廊下には軽やかな足音が鳴り響いた。

「みょうじ。教師に対してそういった発言をするのはやめなさいと、何度も言っているだろう」
「え? えへへ、そんなこと言ってましたっけ?」
「……もう何十回と伝えた気がするが」
「良いじゃないですか。人を好きになるのに、立場や歳の差なんて関係ないんですよっ」

 杏寿郎のすぐ側まで駆け寄ってきたなまえが、嬉々とした表情で言った。
 彼女が言っていることは間違いではないし、本来なら尊重すべき考えである、とも思う。しかし、問題はそこではないのだと、杏寿郎は頭の中で独りごつ。問題なのは、この学校の生徒である彼女が、こうして人目も憚らず教師である自分に告白してくることが、今回が初めてではないということだ。
 学校内、それも職員室の目の前であるにもかかわらず、溌剌とした語調で躊躇なく教師に向かって告白をしてくるその猛進っぷりは、さすが若者と評するべきか。それとも若さ故の危うさと捉えるべきか。教師としてどのように受け止めてやるのが正しい行いになるのだろうと、杏寿郎は小さく首を傾げる。
 いや、でも、どのような言葉で導くにしろ、まずは“学校内で教師に告白する”という行為自体を止めさせることが先決だろう。この子のためにも、至る所から誤解を受けてしまうことを防がねば。杏寿郎は暫し思考を巡らせ、そのような結論に至ると、なまえの目を見据えたまま唇を開いた。

「みょうじ、俺は」
「ねぇ先生、それ何?」
「む」

 説諭を口にしかけたところで、不意に言葉を遮られる。彼女が指を差した先に視線を落とすと、自分が脇に挟んで持っていた教科書数冊と、小さなぬいぐるみが目に映る。

「可愛いね!」
「ああ、これか」
「恐竜……? の、ぬいぐるみ? マスコット? どうしたの、これ?」
「先日取り寄せた教材の付録だったらしくてな。今日、教材と一緒に届いたんだ」

 脇からぬいぐるみだけを抜き取り、杏寿郎はその形状をしげしげと見つめる。
 自身が担当する歴史の教材を通販で注文したところ、教材を取り扱うメーカーのマスコットキャラクターと思われるこの恐竜のぬいぐるみが同梱された状態で、学校へ届いた。何の恐竜かよく分からないデザインではあるが、何だかそこが愛らしくも思えるような気がして、ついつい手に持って職員室を出てきてしまったようだ。

「それ、持って行ってどうするの?」
「そうだな。せっかくだし、どこかに飾ろうかと考えていたところだ」
「え! それなら、私にちょうだい!」

 なまえはそう言うと、再び瞳を輝かせた。
 杏寿郎は持っていたぬいぐるみと彼女の顔を交互に見遣り、ふう、と静かに溜め息をつく。彼女は別にこのぬいぐるみ自体が好きで欲しいと言っているわけではなく、『杏寿郎の所有物』を欲しがっているということは明白だった。

「……何故これが欲しいんだ?」
「そんなの決まっているじゃないですか。好きな人がくれるって言うなら、女子は何だって欲しくなっちゃいますよ」
「なら、これはあげられないな」
「なんで!」
「その理由がいけない」
「あっ、じゃあ、先生がそれくれたら、次の歴史のテストで80点以上取ります……!」
「そこは嘘でも100点と言うところだろう」

 取って付けたような『交換条件』に、杏寿郎は思わず薄く笑みを浮かべる。ここで100点を取ると言わないところが、正直者の彼女らしいと思った。
 相変わらずキラキラと眩しいくらいの光を宿した瞳を向けられると、どうしても問答無用に拒絶することができなくなってしまう。なまえと接してきたこれまでの時間の中で、自分はいつの間にか彼女の押しに弱くなってきているのかもしれないと、自嘲した。

「わかった、他の生徒には内緒だぞ」
「えっ、良いんですか?!」

「……男が女性にぬいぐるみを渡す意味を知っているか?」
「え?」

「えっと……多分、知らないです」
「そうか」
「何か意味があるんですか?」
「……」

「あとで調べてみると良い」

 その意味を知った時の彼女の顔を想像しながら、杏寿郎はニヤリとほくそ笑んだ。


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