人は皆、私の事を優等生だと言う。

成績は良くも悪くもなく、運動も得意でも不得意でもない。人を惹きつけるような特技や容姿、リーダーシップも無く、どちらかと言えばクラスでも大人しい方の部類に入る。
なのに、何故か学級委員に推薦されたり、先生達に厄介事を頼まれたりする。断りたくても断りきれず、引き受けてしまったからには投げ出すわけにもいかない。
スカートは膝丈。髪は肩にかからないくらいの黒髪。学校指定のバッグとローファーは、入学当初からずっと同じ物を使い続けている。
校則を破った事は、これまでに一度もない。


「で?」

拙い言葉でそう吐露すれば、艶々と光る美しい唇に一刀両断される。机に片肘を突き気怠げに脚を組んだ梅ちゃんは、それだけで惚れ惚れするほど絵になる女の子だった。
美しい友人に「ん?」と聞き返せば、彼女はチッと舌打ちをする。長い髪をくるくると指に巻き付けながら、噛み付くように言った。

「いや、だから。で?アンタはあたしになんのアドバイスを欲してるわけ?“私の人生、イイコちゃんなこのままでいいのかなぁ”ってこと?」
「うん...、まぁそんな感じ、かな」

そう返せばすぐさま「そんなんあたしが知るわけないじゃん」とごもっともな意見が返ってくる。梅ちゃんらしいはっきりとした物言いに、私は思わず苦笑いを零した。
学級日誌に今日の授業内容を書き込みながら、「ごめんね、もうちょっとだから」と小さい子に言い聞かせるように謝る。ふん、と彼女は鼻を鳴らし、わざとらしくそっぽを向いた。そんな子供じみた振る舞いさえ可愛らしく思えるのは、やっぱり彼女が美人だからだろう。


放課後の教室には、梅ちゃんと私の二人しかいない。今日は一緒にクレープを食べに行く約束していたのに、私のせいでもう二十分以上待たせてしまっている。貴重な放課後を潰され、ただでさえ短気な彼女が苛立つのも無理はない。

そもそも何故、こんなに対極の私達がここまで仲良くなったのか。私は今でもわからない。学園三大美女の一人である彼女が「あたし、アンタのこと結構気に入ってるんだ」と笑ったその日から、私のヒエラルキーは「地味な優等生」から「三大美女の親友」まで一気にレベルアップした。

綺麗に手入れされた指先が、「早くしろ」と言わんばかりにカツカツと机を叩く。彼女は思ったことをはっきり言うし、不機嫌であることを隠さない。梅ちゃんが私の何を気に入ったのかは今でもさっぱりわからないけれど、私は梅ちゃんのそういう所を密かに尊敬している。

「日誌だって本当は日直の仕事でしょ?なんで名前がやってんのよ。あのブス何処いったの?」
「ブスとか言わないの。体調悪くて早退しちゃったんだって。代わりにやってくれないかって冨岡先生が言うから...」
「アイツか名前に雑用押し付けたのは!あー腹立つ〜!」

冨岡先生の名前を出した途端、梅ちゃんがガルガルと吠える。先日の所持品検査でブランド物の香水を没収されて以降、梅ちゃんは冨岡先生を目の敵にしているのだ。「いつか絶対ぶっ飛ばしてやる」と不穏な事を言いつつ、ガチャガチャと私の筆箱を弄りだす。

「...優等生扱いが嫌ならその場で言えばいいじゃん。「ウザイから面倒事頼んでくんな」って。なんで言わないわけ?」
「んー、なんでだろうね...」
「ほんっと、アンタって子はこれだから...」

でもそーゆーとこ好き、と唐突に言われ、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。「そーゆーとこってどこ?」と聞きながら、私は書き終えた学級日誌を閉じた。私の問いには答えず、梅ちゃんがニヤリと笑う。

「アンタみたいなイイコちゃんが、結構ぶっ飛んだ事したりすんのよね」
「人を犯罪者予備軍みたいに言わないでよ...」

私の言葉に梅ちゃんがケラケラと笑う。待たせた罰としてクレープ奢ってよね、なんて言いながら、梅ちゃんは筆箱のチャックを閉めた。





事が起こったのは、次の日の一限だった。
始業のチャイムが鳴ると同時に、教室前方のドアから煉獄先生が入ってくる。日直の号令で全員が礼をすると、「今日から大正時代を勉強するぞ!」と先生が声を張り上げた。

「教科書の93ページだ!明治時代と比べ大正時代は...−」

先生の話に耳を傾けながら、筆箱のチャックを開ける。お気に入りのシャーペンと消しゴムを取り出すと、筆箱の底に見覚えのない物が入っている事に気付いた。
正方形の薄っぺらい包みは、お菓子の包み紙のようにも見える。きっと昨日、暇を持て余した梅ちゃんが悪戯でもしたのだろう。軽い気持ちで摘み上げてみた。

結論から言えば、出したことをものすごく後悔した。
それがお菓子の包み紙ではなく、コンドームだったからだ。

チョコレートの香り付き、と書かれたソレを手に、一瞬思考が停止する。えっ、えっ、ちょっと待って。え、なに、これは。ギシギシと軋む首で後ろを振り向けば、声を出さずに爆笑している梅ちゃんが見えた。やっぱり梅ちゃんの仕業か...とげんなりする。

そしてハッとする。今が授業中だということを思い出し、恐る恐る顔を元の位置に戻した。教壇に立ち、教科書を読み上げている煉獄先生がこっちを見ている。ぞわり。猛烈な寒気を感じ、身体が悲鳴をあげた。

煉獄先生の目は、鷹とか梟とか、とにかく猛禽類のそれに似ている。どんな獲物も見逃さないその視線が指先のソレに移った瞬間、私は捕食される野鼠にでもなったような気がした。
心臓が早鐘をうち、身体中から汗が吹き出す。すぐさまソレを筆箱に戻し、顔を伏せた。

見られた。見られた。見られた。
頭が真っ白になり、手が震える。ゴム持ってる所、見られた。煉獄先生に。どうしよう。どうしよう。
身体中が燃えるように熱くなり、恥ずかしくてこの場から消えたくなる。

しかし、私の動揺をよそに、煉獄先生の音読が止まることはなかった。澱みなく教科書を読み終えた先生は、板書をしながら要点をまとめていく。合間合間に息抜きの小話まで入れ、授業はいつも通り進んでいった。

終業のチャイムが鳴り、日直が号令をかける。息さえまともに出来ない五十分が終わり、煉獄先生は数人の生徒に囲まれて教室を出ていった。
先生の姿が見えなくなった瞬間、どっと机に突っ伏す。後ろから駆けてきた梅ちゃんがバシリとその背を叩いた。

「名前ーっ!びっくりした?びっくりした!?」
「びっくりしたなんてもんじゃないんですけど...」

やつれた顔の私を指さし、梅ちゃんが「マジめっちゃウケた」と笑う。あまりに無垢なその笑顔に、視界がぐにゃりと歪んだ。

「...先生に、見られちゃった」
「えっ?...ってか名前泣いてんの?えっ」

私の突然の涙に、梅ちゃんが狼狽える。ポロポロと溢れ出る涙は、自分の意思ではなかなか止められなかった。教室のど真ん中で泣くのはさすがに不味いと思い、女子トイレに逃げ込む。すぐに梅ちゃんが後を追いかけてきた。

「ごめん!泣かないでよ名前、あたしがやりすぎたよっ...!」

梅ちゃんはごめん、ごめんね、と何度も繰り返しながら私の背中を撫でる。それでも泣きやめない私に、梅ちゃんの手がはたと止まった。
長い睫毛に縁取られた瞳が、信じられないというように私の顔を覗き込む。

「...もしかして名前、レンゴクのこと好きなの?」


図星だった。
一目惚れだった。中高一貫のこの学園に入学して以来だから、かれこれ五年の片思いである。
恋人になりたいとは思わなかった。先生と生徒という関係上、告白しても迷惑にしかならないと思ったからだ。地味は地味らしく、先生の笑顔を眺めていられればいいと思っていた。
なのに...。

「ゴム持ってるとこ、見られちゃったんだ...」
「梅ちゃんのせいだよ...。絶対軽い子って思われた...」
「あんな暑苦しいのの何処がいいのよ!」
「煉獄先生は暑苦しくないもん!」

えー、あたし絶対無理!と言いつつ、梅ちゃんは優しい手付きで私の頭を撫でる。彼女なりに反省し、慰めているらしい。華奢な腕がぎゅっと私を抱き、「ほんと、名前ごめんね」と謝る。

「悪かったよ...。名前がクレープ食べたくなったらあたしに言いな。一生奢るから」
「それでチャラのつもり?!」

梅ちゃんの言葉に、思わず涙も引っ込む。初恋の価値がクレープ一生分と思うとなんだか面白くて、私は泣きながら笑った。
これからの人生、クレープには困らなくて済みそうだ。



勿論、話はそれで終わりではなかった。
帰りのHRが終わった後、見知らぬ男の子が私を尋ねて来たのだ。「苗字名前さんはいますか?」と言う彼の言葉に、ドア近くにいたクラスメイトが大声で私を呼んだ。
赤髪に花札のようなピアスを着けた男の子がこちらを向き、微笑みながら会釈する。廊下に出ると「俺、竈門炭治郎っていいます」と自己紹介してくれた。

「煉獄先生に言われて来ました」
「煉獄先生に...?」
「はい。放課後、社会科準備室に一人で来て欲しいそうです。話したいことがあると言っていました」
「...そっか、ありがとう竈門くん」
「炭治郎って呼んでください。皆そう呼ぶから」
「うん、ありがとう炭治郎くん」

人懐っこい笑顔に、こちらも笑顔で返す。じゃあ、妹が待ってるので俺はこれで、と炭治郎くんは手を振って去っていった。大きなリュックを担いだ背中が見えなくなるまで見送り、はぁ...と溜息を吐く。やはり生徒指導は免れないようだ。

煉獄先生に呼び出された事を伝えると、梅ちゃんは「私も行く!」と言い張った。

「だって、元はと言えばあたしのせいだもん!名前だけ怒られるなんておかしいでしょ!?あたしも一緒に行く!」
「でも、一人で来いって。授業中に出しちゃった私も悪いし、今日の所は一人で怒られてくるよ」

初恋の清算もしたいしね。そう言うと梅ちゃんは口を噤み、「じゃあ教室で待ってる...」と渋々言った。

「名前を泣かすヤツは、あたしが許さないんだから...」
「それ、どの口が言うの...」

私の言葉に、梅ちゃんはべーっと舌を出す。もう少し反省して欲しいが、立ち直りの早い所も梅ちゃんの良い所だ。





社会科準備室は、東棟二階の一番奥にある。
底冷えする廊下をとぼとぼと歩き、白塗りのドアの前に立つ。磨りガラスの向こうから盛れる明かりを見つめ、静かに深呼吸した。
「失礼します」の一言を言うのに、こんなに緊張した事があっただろうか。立ち尽くしたまま、時間だけが刻々と過ぎていく。足の指が冷え、感覚が無くなってきた時だった。

ガラリと目の前の引き戸が開いて、中から煉獄先生が出てきた。「おぉ!来たか苗字!」と言う先生の声に怒りが滲んでいない事にホッとする。「遅くなってすみません」と小さな声で謝ると、「大丈夫だ!」と煉獄先生は言った。

「竈門少年にメッセンジャーを頼んだのだが、行き違いになっていたら困ると思ってな!君を探しに行こうと思っていた所だ!」

手間が省けたな!と言いながら、煉獄先生について準備室に入る。パイプ椅子に腰を下ろすと、煉獄先生が「コーヒーは飲めるか?」と聞いてきた。

「俺は甘いコーヒーが好きなんだが、苗字はどうだ?」
「あ、はい。飲めます。私も甘いのが好きです...」
「そうか!じゃあミルクも砂糖も入れるぞ」

そう言った先生は、小さいスプーンでクリープを山盛り二杯入れた。ちょっと多いのでは...、と言いたいのを我慢したところに、砂糖も同じように山盛り二杯入れる。鼻歌まじりにカップをかき混ぜる先生に、意外な一面を見た気がした。どうやら先生は料理はあんまり上手じゃないみたいだ。


「さて、」

激甘コーヒーを受け取り、煉獄先生もパイプ椅子に腰を下ろす。ついにその時が来た。身体を固くして、先生の言葉を待つ。

「何故呼び出しを受けたかは、君自身わかっているかと思うが」
「...はい」

こういう時は自分から出してしまった方がいいと思い、バッグから筆箱を取り出す。正方形の薄っぺらい包みを掴み、そっと机の上に置いた。
チョコレートの香り付き、と書かれたピンク色のコンドーム。いたたまれなくてそっと視線を逸らす。

「...学校に不要物を持ってきてしまい、申し訳ありませんでした」
「これで全部か?」
「はい」
「...ふむ」

コンドームを手に取り考え込む煉獄先生に、色んな感情が入り交じってドキドキする。

こういう指導は普通、同性の教師が担当するものではないのだろうか?男子生徒なら男性教師、女子生徒なら女性教師。煉獄先生に見つかったとはいえ、男の人、しかも初恋相手がコンドームを持ってる姿は、嫌でも変な事を想像してしまう。

「でも、君が持ってきた物ではないのだろう?」
「えっ」
「違うのか?てっきり謝花妹に押し付けられたのかと思っていたのだが」

先生は笑いながら、コンドームを私からは見えない位置に置いた。動揺しつつもこくりと頷けば、「やはりそうか」と煉獄先生も頷く。

「優等生の君がこんな物を持ち歩いているとは考えられなくてな!授業中も謝花妹の方を振り返っていたから、もしやと思ったのだ!」
「え、じゃあなんで私の方を呼んだんですか?」
「ただの事実確認だ!謝花妹は以前も不要物を持ってきていたからな!今頃冨岡先生がこってり絞っている所だろう」

なんだ、怒るために呼んだんじゃないのか。
全身の力が抜け、私はずるりと椅子に沈みこんだ。顔を覆い、はー...と長く息を吐き出す。
よかった。煉獄先生に軽い子と思われていなかった事に、心の底から安心した。

頭が良い訳でもないのに、優等生扱いをされるのが嫌だった。でも良く考えれば、この学園の生徒は個性的な子達ばかりだ。あんなに礼儀正しい炭治郎くんでさえ、校則違反のピアスを着けている。学校生活を普通にこなす普通の生徒=優等生と呼びたくなるのも、今なら頷ける。

「わざわざ呼び出してすまなかったな」
「いえ、大丈夫です...」
「謝花妹はもう少し時間がかかるだろう。待たずに帰りなさい」
「はい...」

コーヒーに口をつければ、思ったほど不味いとは感じなかった。気が抜けたせいもあるのだろう。甘くて暖かい飲み物に、強ばっていた身体が解けていく。「ご馳走様でした」とカップを置けば、煉獄先生が「おぉ!」と驚いた顔をした。

「俺の入れたコーヒーを全部飲みきったのは君が初めてだ!」
「そんなに不味くないですよ?」
「そうか!宇髄先生には「泥水のほうがマシ」と言われたが、苗字がそう言うなら安心だな!」

他愛のない話をしながら、煉獄先生は下駄箱まで送ってくれた。さようなら、と軽く頭を下げると「あぁ、また明日な!」と元気に手を振ってくれる。

「気をつけて帰るように。春になると変質者も多くなるからな!」
「はぁい」

暗くなり始めた通学路を歩きながら、見つかったのが煉獄先生でよかったと思った。他の人に見つかっていたら、話はもっと拗れていただろう。叶わないと諦めかけた初恋も、まだ諦めなくて済みそうだ。




スカートを翻して去っていく背を見送り、振っていた手を下ろす。窮屈なネクタイを緩めポケットに手を差し込めば、そこには彼女が置いていった正方形の包みが入っていた。一見お菓子のようなそれを指先で弄びながら、男はくすりと笑う。

「...チョコレートありがとう、苗字」

低い声は誰にも聞こえないまま、暗い廊下に溶けて消えていった。


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