古ぼけた行間に夢のような独占欲を

「どうして呼び出されたか分かっているか?」

先生からの問い掛けに、私は事務机の横に立ったままこくりと頷いた。夕陽に染まった社会科準備室にいるのは、煉獄先生と私の二人だけだ。少しだけ開いた窓から秋の冷たい風が入ってきて、そよそよとスカートの裾を撫でる。剥き出しの膝が肌寒くてヒリヒリした。
今すぐ窓を閉めてしまいたかったが、仮にもこちらは呼び出されている身だ。同じ部屋にいる煉獄先生が寒がる様子もない。普段から鍛えている事も関係があるのだろう、そもそも先生は暑がりな人なのだ。
現に、私達生徒が衣替えを迎えた今も、先生は毎日のようにシャツを腕まくりしている。盛り上がった前腕の筋肉がなんともいやらしい。その腕が自分の身体に回されるのを想像して(勿論、そんな事は現実にはありえないのだけれど)私はごくりと唾を飲む。

そんな私の心の内を知ってか知らずか、先生は小さくため息を零し、事務机の引き出しからクリップのついた紙の束を取り出した。「そこに座って、消しゴムを出しなさい」。先生の言う通りに近くの事務椅子に腰を下ろし、私は通学鞄から筆箱を取り出す。白いゴムの塊をつまみ出して事務机に置くと、先生は紙束のクリップを外し、その中からペラリと一枚藁半紙を抜き出した。目の前に差し出された紙を、私は静かに覗き込む。

【二学期中間考査 2年〇組〇番 みょうじなまえ】

それは、私が先日受けたばかりの中間テストだった。既に採点済みのようで、答案全てに赤丸がついている。名前の下に書かれた点数に、私は心の中で小さくでガッツポーズをした。100点。まぁ、当然の結果である。
煉獄先生が担当になって以降、私は社会のテストで満点以外を取ったことがない。煉獄先生の事が好きで好きで大好きで。好きすぎてこっそり授業を録音しては、家でもずっと繰り返し聞いているのだ。大好きな声を聞きながら眠って、夢の中で授業を受けた事もある。それぐらい先生の授業に、テストに、命を掛けているのだ。
でも、今問題なのはそこじゃない。

「消しなさい」

煉獄先生の骨ばった人差し指が、とん、と答案用紙の端を指し示す。試験監督中、窓からグラウンドを眺める煉獄先生の横顔。テストの余り時間で描いた、私の最高傑作だ。

「せっかく上手に描けたのに...」

上目遣いで情けを乞うてみたが、煉獄先生は「駄目に決まっているだろう」と首を横に振る。

「君はテストをなんだと思っているんだ。その時その時の自分を振り返る大切な物だぞ。時間が余ったなら見直しをしなさい」

「しましたよ、三回もしました」

「何度でもするんだ。百回でも、二百回でも」

渋々消しゴムを擦り付ける私に、煉獄先生が腕組みをして言う。

「せっかく満点を取っても、落書きなんて言語道断だぞ。本当なら0点でもいいくらいだ」

「...宇髄先生は落書きにも加点してくれたのに」

「むっ?」

私の言葉に煉獄先生の太い眉がぴくりと動く。

中間考査と違い、期末考査には実技系の授業もテスト科目になることがある。前回は宇髄先生が担当する美術もテスト科目に入っていた。色の三原色と光の三原色の違い、モナ・リザの作者は誰かなどの問題をこなした後、やっぱり時間が余った私は空いたスペースに宇髄先生の顔を落書きした。
返ってきたテストは50点満点中52点。はみ出した2点は、なんと私が描いた落書きへのプラス点だった。(しかも「派手に上手いじゃねぇか!」とお褒めの言葉付き)

「...君は誰にでもそういう事をするのか」

頭を抱えた煉獄先生に、私は慌てて否定する。

「誰でもってわけじゃないですよ。不死川先生のテストには絶対しないです」

「でも、宇髄にはするんだな」

「え?まぁ、宇髄先生とは割と仲良しですから...あっ」

複雑な表情を浮かべた煉獄先生は、あっという間に私の腕の中から答案用紙を取り上げる。「もういい」答案用紙を再びクリップで止めながら、こちらに背を向けてしまった。なんだかまずい雰囲気だ。しかし、何がまずかったのかは分からない。

「暗くなる。寄り道せずに帰りなさい」

そう言った先生の声が、どこか拗ねたふうに聞こえるのは気のせいだろうか。消しゴムをしまい「先生さようなら」と言った私に、先生は腕組みしたまま「あぁ」と返しただけだった。





時間割りに社会の授業がある日は、私にとってなによりのハッピーデーだ。何せ授業が行われる50分間、ずっと煉獄先生を眺めていられる。
先日はちょっと気まずい雰囲気になったが、どうやら私の気のせいだったらしい。今朝廊下ですれ違った先生はいつも通り元気で、私はほっと胸を撫で下ろした。

次の授業は待ちに待った社会だ。休み時間が終わる直前、机の下でポチポチと携帯を弄る。録音アプリを起動し、ONの状態で通学鞄のサイドポケットにしまった。これで授業終了後には、またひとつ私のコレクションが増えるという寸法だ。

教室の前扉から煉獄先生が入ってくる。「号令を頼む!」先生の溌剌とした声に、日直の生徒が「きりーつ」と気の抜けた声で号令を掛けた。「れぇ」ガタガタと着席した生徒達を見渡し、煉獄先生は声を張り上げる。

「今日は皆が楽しみにしているテスト返しをするぞ!名前を呼ぶから前に取りにくるように!」

出席番号順に名前を呼ばれ、呼ばれた生徒が次々に席を立つ。教室の至る所から「何点だった?」「教えるわけねーじゃん!」と互いの点数を確認する声が聞こえてきた。
そんな中、私は余裕の表情を浮かべて自分が呼ばれるのを待っている。何せ私は既に自分の点数を知っているのだ。点数は100点満点。それ以外にはありえない。

「みょうじ!」と煉獄先生が私を呼ぶ。弾かれるように席を立ち、私は教卓の前に立つ煉獄先生に駆け寄った。にっこりと微笑む煉獄先生に、私もにこにこと笑みを返す。両手を真っ直ぐに伸ばして、まるで賞状を授与される時のように答案用紙を受け取った。
しかし、次の瞬間には千里の谷に突き落とされる事になる。

「......きゅうじゅうはち?」

先日見た時は100点だったはずの点数が、二重線で消されて98点になっていた。訳が分からず顔を上げれば、煉獄先生は相も変わらず優しく微笑んだままだ。きゅっと細まった瞳の奥、爛々とした光に射抜かれる。どくんと心臓が大きな音を立てた。

「大変心苦しいが、テストの大切さを分かってもらうためにも、今回は厳しく対処する事にした」

諭すような先生の言葉に、私はパクパクと口を開く。

「そっ...んな、落書きは消したじゃないですか...!答えだって全部あってるのに...」

絞り出した声は自分で思っていた以上にぶるぶると震えていた。喘ぐような私の言葉に、煉獄先生は静かに首を振る。

「自発的に消したわけじゃないだろう。言ったはずだ。“テストはその時その時を振り返る大切な物だ”と」

「うっ」

「ここでただ満点のテストを返しては、君の為にならない。自分でもそう思わないか、みょうじ」

煉獄先生の言葉に、私は目の前が真っ暗になるのを感じた。全問正解なのに減点。そんな事ってあるのだろうか。あるのだろう。事実、私は前回行われた美術で満点より高い点数を取っている。加点があれば減点もある。普通の学校では有り得ない事も、この学園では当たり前の事だ。
満点を取る事に命を掛けてきた。確かに落書きはした。落書きは悪いことだ。でも、あれは煉獄先生への愛そのものであって、時間潰しで描いた宇髄先生とは違う。どうしたらその事を分かってもらえるのだろうか。この、私の愛を!
ぐぬぬ...、と歯を食いしばる私に、煉獄先生がこっそりと耳打ちする。

「なんだったら、今すぐ持ち物検査をしてもいいんだぞ」

「!」

煉獄先生の言葉に、私の背中を冷たい汗が伝う。校内での携帯電話の使用は原則として禁止。見つかったら即没収だ。

「これに懲りたらテストに落書きは辞めるように。さぁ、話はこれで終わりだな!」

ぽん、と肩を叩かれて、私はフラフラと自分の席に戻る。

終わった、と思った。
テストは減点、携帯もバレてる。没収こそされなかったものの、きっと何をしているかも薄々バレているだろう。恥ずかしくて生きていけない。

崩れ落ちるように椅子に腰を下ろすと、隣の席の錆兎が「なまえ何点だった?」と私のテストを覗き込んでくる。無性にイライラして、私は錆兎の頭をバシバシとはたいた。

「痛っ!なんだよ!?いつもは自分から自慢してくるだろう?」

「うっさい!今日はそういう気分じゃないの!錆兎のばかばかばーか!」

ぎゃんぎゃんと騒がしい教室に、煉獄先生の「答え合わせをするぞ!全員着席!」という声が響く。私も渋々身体を前に向けたが、98点のショックからはなかなか立ち直れそうになかった。

先生はゆっくりとした足取りで教室を歩きながら、テストの問題を一つ一つ解説していく。だらりと机に突っ伏した私を、煉獄先生の拳がコツンと小突いていった。と同時に、机の端に小さく付箋が貼られているのに気が付く。手に取って見てみれば、それは煉獄先生の字だった。

次は答案用紙以外に描いて貰えないか?

なんだかんだと言いつつも、あの落書きを気に入ってくれていたらしい。もしかして自分にだけ描いて欲しかったのかな、なんて都合のいい事まで考えてしまう。

「...ふふっ」

付箋を見つめて思わず笑みを零すと、錆兎が「情緒不安定か...?」と呟くのが聞こえる。机からルーズリーフを取り出し、カチカチとシャーペンをノックする。腕が動き始めた。
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