結婚資金は任せておけ

ある時、煉獄杏寿郎は幼稚園に通う五才の子供だった。

水色のスモックに紺色のハーフパンツ。チューリップ型の赤い名札には、書道教室を営む母によって美しい字で“れんごく きょうじゅろう”と書かれている。
身支度をして朝食のコーンフレークをこれでもかと頬張っていると、ぴょんぴょんと飛び跳ねた髪を母が後ろから優しく梳いた。すい、すい、と何度も櫛で撫でつけ、頭の高い位置でちょんと結い上げる。杏寿郎のお気に入りの髪型だ。
「忘れ物はないですか?」という母の言葉に、杏寿郎は「はい!」と大きく頷いて見せる。

今日は牛乳パックを使って貯金箱を作る日だ。この日のために捨てずに取っておいたそれは、既に母お手製の手提げバッグに入れて玄関に準備してある。「いい子ですね」と頭を撫でる手をくすぐったく思いながら、杏寿郎は皿の底に残った牛乳をごくごくと飲み干した。
リビングの時計は7時45分を示している。もうそろそろ通園バスが迎えに来る時間だ。黄色いエナメルのバッグに腕を通すと、玄関に膝をついた母が杏寿郎に向かって大きく腕を広げた。
いってらっしゃいのハグ。遠い昔は出来なかったそれも、母が健在な今世だからこそ出来る。細い首にゆっくりと腕を回せば、ふわりと優しく抱き締められた。

「行ってらっしゃい、杏寿郎。気をつけてね」

「はい!母上も今日一日、お元気でお過ごしください!」

手提げバッグをしっかりと掴んで玄関のドアを開ける。すると、ちょうど良いタイミングでSLを模した登園バスが家の前に停まった。指定の座席に腰を下ろすと、こちらに手を振る母の姿が見える。
手を振り返していると、なんと家の隣の道場から、朝稽古を終えた父が顔を出した。バスに乗った息子と目が合うと、難しい顔のまま小さく手を挙げる。

「父上!母上!行ってきます!」

大好きな両親にぶんぶんと手を振る杏寿郎を乗せ、バスはゆっくりと動き出す。二人の姿が見えなくなるまで、杏寿郎は手を振り続けた。


木製のロッカーに荷物をしまうと、杏寿郎はいつも通り園内の巡回を始めた。年少クラスから順々に部屋を覗いていき、お遊戯室でやっとお目当ての人を見つける。

「なまえおはよう!!!」

大きな声で挨拶をすると、こちらに背を向けていた人物がびくりと飛び上がった。困り顔で振り向いたその人に、杏寿郎は満面の笑みを浮かべる。

「なぁんだ、きょう君かぁ〜。急に話しかけられて先生びっくりしちゃったよ」

そう言いながら彼女ーなまえは、手に持っていた画鋲をプラスチックの箱にしまう。ぱちん、しっかりと蓋を閉め、赤いチェックのエプロンにそれをしまった。その足元にはスイカやかき氷といった夏用の掲示物が置かれている。部屋の模様替えをしていたのだろう、近くの机にはどんぐりや薩摩芋と言った秋用の掲示物が用意されていた。

パタパタと上履きを鳴らして杏寿郎が近づけば、なまえは膝を折って目線を合わせてくれる。八の字の眉の下、黒い大きな瞳が今日も優しげだった。
コツン、となまえの手が杏寿郎のおでこを小突く。

「さっきまた先生のこと呼び捨てにしたでしょう。駄目だよ、年上の人にはちゃんとご挨拶しなきゃ」

その白い手の人差し指に、昨日は無かった絆創膏が巻かれているのに気付く。どうしたのだろうと杏寿郎がそれを目で追っていると「きょう君、聞いてるの?」となまえがわざとらしく顔を顰めた。

「「おはようございます、なまえ先生」は?」

「おはようございます、なまえセンセイ」

「はい、おはようございます」

杏寿郎がぺこりと頭を下げれば、なまえもそれに応じて頭を下げる。杏寿郎が入園して以降、ほぼ毎日繰り返されるやりとりだったが、なまえが本気で怒ることはなかった。

何故なら、杏寿郎は年長組の中でも飛び抜けてなんでも出来る子供だったからだ。友達と喧嘩をすることもなく、自分より年下の子の面倒もよく見た。自宅が道場と書道教室というのもあるのだろう。礼儀正しく、よく食べ、よく遊ぶ。模範的な幼稚園児だった。
そんな杏寿郎が、何故か副担任のみょうじなまえにだけは甘えた態度を取る。そんな二人を見た大人達は「よっぽどなまえ先生の事が好きなのね」とクスクスと笑うのだった。

「なまえセンセイ、その手はどうしたんだ?」

「ん?手?」

「指、怪我をしたのか?」

杏寿郎が絆創膏を指させば、なまえは「あぁ、これ」となんでもないように言う。

「みんなに配るお便りを準備してたらちょっと切っちゃっただけだよ。ピッてしただけ」

「でも、痛かったのではないか?」

「ぜーんぜん平気!先生強いから」

そう言って力こぶを作るなまえを、杏寿郎は心配そうに見つめる。昔から怪我の多い子だった、と遠い昔を一人思い出して切なくなった。
「きょう君は優しいねぇ」絆創膏をした手に頭を撫でられ、杏寿郎はもじもじと俯く。頭を撫でられるという行為は同じなのに、母と目の前の女性では大きな差があった。
それはきっと前世から引き継いだ感情。恋とか愛とか、そういうものの類いなのだろう。杏寿郎の口から、つい本音がこぼれ落ちる。

「...早くなまえと結婚したい」

「なまえ先生、でしょ」

「むぅ...」

「ふふ、きょう君がもう少し大人になったら迎えにきてね」

ほら、お庭で遊んでおいで!と、なまえがぽんと杏寿郎の背を押す。もっと一緒に居たかったが、センセイの言う事には逆らえない。杏寿郎は渋々と園庭へ向かった。





「今日も駄目だったのか」

「あぁ、今日も駄目だった」

小さなバケツにぎゅうぎゅうと砂を押し込みながら、杏寿郎は男の言葉に答える。ひょい。ひっくり返したバケツをそろそろと持ち上げると、そこにはバケツの形を保ったままの砂の塊が残った。
何度も同じように砂を型抜きしながら、幼稚園児にしては大掛かりな砂の城を作っていく。「毎日飽きもせずよくやるよな」と笑った男を、杏寿郎はその大きな瞳でじろりと睨んだ。
宝石のついたヘアバンドはそのままに、黒のエプロンを着けた男が「そー睨むなって」と歯を見せて笑う。年長組の担任、宇髄天元だった。

「毎朝毎朝、園内中探しちゃあ記憶が戻ってるかチェック。健気だねぇ」

「うるさい。他にやりようがないのだ」

自身の身長程もある塔を作りながら、杏寿郎はイライラと歯噛みする。昔からガタイの良い男だと思っていたが、自分が子供になってしまった今、目の前の宇髄がより大きく感じられた。
鬼殺隊の柱として同じ時代を過ごしたはずなのに、何故自分だけ子供に転生してしまったのか。杏寿郎にはワケがわからなかった。

もっとわからないのはなまえとの関係だ。自身の継子であったはずのなまえが、何故か今世では自分のセンセイになっている。これが高校生と教師だったらまだどうにかなったのかもしれないが、何せ今の自分は幼稚園の年長さんだ。納得がいかないにも程がある。

傍らのスコップを手に取り、砂の城にトンネルを作る。ざっくざっくと八つ当たりのように手を動かした。
せっかく鬼のいない平和な世に生まれ変わったと言うのに、こんな仕打ちはあんまりではないか。

「神様ってのは意地悪なもんだよなぁ。あんなに強かった煉獄が、今世では幼稚園児だなんてよ」

「もう言わないでくれ、流石の俺でも気が滅入る」

「悪かったって。どうにか出来ないか俺も嫁も色々調べてっからよ、あんま考えすぎんなよ。な?」

そう言って、宇髄は杏寿郎の小さな肩にぽんと手を置く。見た目は子供、中身は大人。今の杏寿郎はまさにそれであった。そして悲しきかな、その漫画の主人公がもう随分長い間子供のままなのを杏寿郎はテレビで観て知っている。
泣きたい気分だった。

「チューリップ組の子は手を洗ってー!この後はお部屋で工作だよー!」

なまえの声に、年長の子供たちが「はーい!」と返事をする。杏寿郎はぐいと袖で目元を拭い、完成したサグラダ・ファミリアを呆気なく元の更地へと戻した。バケツとスコップを片付け、スモックについた砂を叩いて払う。「工作って、牛乳パックで貯金箱だっけ?」宇髄の言葉に杏寿郎は「あぁ」と頷いた。自分の受け持つクラスの時間割りくらい、ちゃんと把握しておいて欲しい。

「まぁ、精々派手にデカい貯金箱でも作るんだな。なまえが記憶を取り戻すまで、今から結婚資金でも貯めとけや」

「言われなくてもそうするさ。あと宇髄!なまえが指に怪我をしていたぞ!俺の代わりに彼女を守ってくれと何度も頼んだろう!」

「無茶言うな!そんな地味な怪我、いくら俺でも気付かねぇわ!」

ぎゃいぎゃいと騒ぐ宇髄と杏寿郎に、なまえが「宇髄先生、きょう君はやくー!」と叫ぶ。「今行く!」大きな声で返事をして、杏寿郎は園庭を駆け抜けた。


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