「なまえちゃんって、どうして鬼殺隊に入ったの?」

甘露寺さんの言葉に、私は「ふぇっ」と気の抜けた声を発しながら机から顔を上げた。此処は甘露寺邸。美しい庭に置かれた白いテーブルセットでお茶とお菓子を頂きながら、最早恒例となりつつある女子会を開いていた最中での事だった。

まるでお月様のように真ん丸なスポンジの上には、美しい六角形を残した巣蜜がとろりとその金色を広げている。どうやらパンケーキというらしいその菓子はお料理上手な甘露寺さんの手作りで、上に乗った巣蜜まで御自宅で採れたものを使っているのだという。煉獄さんにも食べさせてあげたいな。そう思った矢先の問い掛けだったので、つい変な声を上げてしまった。穴があったら入りたい。
そんな私を気にも止めず、甘露寺さんはニコニコと笑って話を続ける。

「ほら、なまえちゃんって元は藤の家紋の家の出身でしょう?これからは女の子だって働く時代だし、家業を継いだりは考えなかったのかなって」
「...そう言えば、甘露寺さんにはきちんとお話していなかったですね」

すみません、と小さく頭を下げれば、甘露寺さんは「やだやだ、謝らないでよぅ!」と慌てたように手を振る。

「本当はこんな事聞いちゃいけないって分かってるの...!私みたいなヘラヘラした理由で入隊する方が可笑しいんだって。皆はもっと真剣な気持ちで入隊してるんだって。でも、なまえちゃんみたいな素敵な子がどうして鬼殺隊に?ってどうしても気になっちゃって...」

そんな自分を情けないと思っているのだろう。ぐずぐずと机に突っ伏す甘露寺さんに思わず口元が緩んでしまう。どうしようもなく素直で可愛い人だ。もし私が男だったら、甘露寺さんのような人を好きになるのかもしれない。

「甘露寺さんの入隊理由だって別に可笑しくないですよ」
「うん...。でも、言うと皆びっくりするから...」
「...「添い遂げる殿方を見つけるため」。もしかしたら私もそうなのかもしれません」
「えぇ!?そうなの!?」

急に立ち上がった甘露寺さんに、机上にあった花柄のカップが大きく揺れる。あらあらと零れた紅茶を布巾で押さえながら、私は此処に来る前の事を思い返していた。
まだ一年も経っていないはずなのに、もう随分と遠い昔に感じる。

「あれは...、そう、私が女学校を卒業してすぐの事でした」

私の言葉に、甘露寺さんはごくりと唾を飲み込んだ。





自分の家が他所の家と違う事に気付いたのはのは、果たしていつの事だっただろう。少なくとも、物心が着いた時にはもう既に感じていたような気がする。

「もし鬼狩りを名乗る人が家を訪ねてきたら、出来る限り優しくしてあげなさい」
「お腹が空いていると言えばお食事を、疲れていると言えばお布団を用意してあげなさい。もしお怪我をしているようなら手当し、治るまでいつまででも休ませてあげなさい」

小さい頃からそう言われて育った私にとって、家に家族以外の人が居るのはごく普通の事だった。玄関で一人ままごとをしている時、道の向こうに黒い詰襟を着た人影が見えるとすぐに「鬼狩り様が来たよー!」と家中に響く声で叫んだ。そうすると、両親をはじめ祖母やお手伝いの女中、さらにはうちで休んでいた鬼狩り様まで一斉に窓から顔を出すものだから、子供ながらに「これが我が家のしきたりか」と何度も感心した。

我が家のしきたりはもう一つあった。それは、藤の花の香り袋を肌身離さず身に着ける事だ。
しかし、先のしきたりに比べ、こちらはあまり守られていない決まりだった。我が家の庭の藤棚は何故か一年中花を咲かせており、「この木がある限り鬼が我が家に入ってくることは無いから」というのが両親の主張だった。

「お父さんもお母さんも持っていないなら、私だって持っていなくてもいいよね?」

首から下げた香り袋を摘み上げてそう言った私に、祖母だけが首を横に振った。

「お前は大事な跡取り娘なのだから、持っていなくてはいけないよ」
「でも、皆持ってないのに...」
「ばぁばはホレ、今もちゃぁんと持っとる。ばぁばとお揃いは嫌かぃ?」

そんな風に言われてしまっては、それ以上反抗する事も出来なくなってしまう。仕方なく、私は首の香り袋を元通り胸元にしまい込んだのだった。


私が女学校を卒業してすぐの頃だ。私は祖母から庭の奥の離れへと呼び出された。その離れは庭の藤棚が一番綺麗に見える場所で、思うように身体の動かなくなった祖母は日がな一日そこで庭を眺めるようになっていた。
月明かりが照らす渡り廊下は、まるで藤の海を渡る架け橋のようだ。紫色の海を渡り離れへと辿り着くと、障子の向こうから「お入り」と祖母のしわがれた声が聞こえた。

「此処にお座り」祖母の言葉に素直に従い、私は家紋の入った座布団に腰を下ろす。最早皮と骨になった小さな手が私の手を包み込んだ。

「...突然の事で驚くだろうが、私はもう永くない」

祖母の言葉に、私は我が耳を疑う。確かに最近は耳も遠く、背も縮んでいく一方だったが、それでもいつまでも元気でいてくれるものだと心の何処かで思っていた。
「そんな...」言葉が出ない私に、祖母は一冊の手記を手渡す。“藤波記”。ボロボロになった表紙にはそう書かれていた。

「それは藤波記。先祖代々鬼狩り様を支えてきた我らみょうじ家の記録。これからはお前が書きなさい」

「どういう事?どうして父上でなく私に渡すの?」

私の問いに祖母は答えなかった。代わりにぎゅっと私の手を握り「香り袋は持っているかぃ?」と問う。その細腕の何処にそんな力が残っているのかと驚く程の力だった。
こくこくと私が頷けば、祖母はホッとしたように身体から力を抜く。「絶対に捨ててはいけないよ。眠る時も、外を歩く時も、絶対に肌身離さず持ち歩くんだ」その言葉にまた頷いて見せれば、祖母も深く顎を引いた。穏やかな笑顔を浮かべ「良かった...」と安心したように呟く。そしてそれっきり動かなくなった。


祖母の忌明けを待つことなく、私たち家族は日常を取り戻した。どんなに悲しい時でも鬼狩り様はやってくる。食事や寝床の用意などやる事は毎日山積みで、悲しむ暇がないのが逆に有難かった。

その日は二人の鬼狩り様が我が家に滞在していた。一人はまるで炎のような髪色をした青年。もう一人はざんばら頭の目つきの悪い男だった。
青年が何度快活に声を掛けても、ざんばら頭は口をきかなかった。背中に滅の字が刺繍された揃いの服を着ているものの、人を避け、食事にも手を付けないその様は何処か異様に見えた。


「その食事はどうするんだ?」

男の部屋から引き上げた夕飯を厨で片付けていると、湯浴みを終えた青年が通りがかりに声を掛けてきた。「よもや、捨ててしまうのか?」今まさに捨てようとしていた食事を、梟のように大きな瞳でじいっと見つめる。

「もう御一方の鬼狩り様が残したものです。全く手を付けていないようですが、いらないのか廊下に出してあって...」
「なら俺が食おう!」
「えっ」

そう言うが早いが、青年は私の手から優しい手付きで膳を取り上げる。「いただきますっ!」と大きな声で手を合わせたかと思うと、冷めて乾いた料理を次々と平らげていった。
あっという間に綺麗になった椀に、私はぽかんと口を開けて青年を見つめる。通い女中のハツが「あの若い鬼狩り様良く食べるわぁ。五合の米が一瞬よ!」と零すだけあった。「ご馳走様でした!」再び手を合わせた青年に、私はハッと意識を取り戻す。

「藤の家紋の家には何ヶ所かお世話になっているが、此処の味噌汁が一等美味い!」
「ありがとうございます。今日のお味噌汁は私が作ったんです」
「そうか!君を妻に迎えられる男は幸せだな!−挨拶が遅れた!俺は煉獄杏寿郎。君の名前は?」
「私は、」

青年に名を告げようとした、まさにその時だった。


キャー!という悲鳴と共に、ドタバタと何か大きな物が倒れる音が聞こえた。ぞわり。身体中を怖気が駆け巡り、嫌な予感に汗が吹き出す。
庭の方から聞こえた先程の悲鳴は、私の母のものだった。何が起こったのだろう。行かなければならないのに、足が竦んで動かない。

刹那、ドン!という爆音が響いたかと思うと、目の前に居たはずの青年が忽然と姿を消していた。どうやら先程の爆音は青年が庭の方へと駈けて行く音だったらしい。
私も、私も早く行かなければ。もつれる脚でやっと庭へと向かえば、そこには目を覆いたくなるような光景が広がっていた。

斬り付けられた藤棚。支えを失い、至る所で折れてしまった枝。千切られ、踏まれ、黒く変色した花たち。
そしてその中央に力無く倒れる、血に濡れた父。

「あなた!あなた!」と母が必死に父の身体を揺さぶる。しかし、遠目に見ても既に父が事切れているのが分かった。混乱しながら辺りを見回せば、離れへと続く渡り廊下にざんばら頭と青年を見つける。一体どう言う事なのか。

「...これは君の仕業か?」

青年は感情の読めない声でざんばら頭に問う。ざんばら頭はというと、刃こぼれの酷い刀をくるくると指先で弄びながら「あぁ、そうだ」とあっさり自身の関与を認めた。

「さぁ、これで邪魔な物は消えた!」

そう男が叫ぶと共に、辺りに嫌な霧が立ち込める。暗闇の中に目を凝らすと、ギラギラと光る醜悪な瞳と目が合った。鬼だ。この男は鬼殺隊士になりすまし、我が家に鬼を招き入れた...!

ずるり。汚泥に牙を生やしたような鬼が、塀を乗り越えて私の前へと立ちはだかる。初めての鬼との対峙に、私は恐慄く事しか出来なかった。藤の花の香り袋は今日も持っている。けれど、実際に鬼にどのくらいの効果があるのかは分からない。
汚泥の鬼はあんぐりと口を開き、その鋭い牙で私の身体を今にも貫こうとしている。あぁ、もう駄目だ。思わず目を瞑った、まさにその時だった。

ドン!と強い力で押された私は、無様な格好で庭に倒れ込んだ。何が起こったのかと急いで顔を上げれば、そこには私の代わりに鬼の牙を受けた母が立っている。ぶしゅり。嫌な音を立てながら母の薄い身体が血を噴き出し、飛び散った血が私の頬を濡らした。視界が真っ赤に染まる。

「あっ...、あぁ...、あぁぁあー...!」

これまで出したことのない声に喉が裂けそうになる。
意識を手放す瞬間、青年の叫ぶ声を聞いた気がした。





目を覚ますと、そこには見慣れぬ天井が広がっていた。
此処は何処なのだろう。嫌な夢を見たせいで、身体中にじっとりと汗をかいていた。早く両親の待つ家に帰りたい。そう思って上体を起こせば、布団の横には私の作った味噌汁をうまいうまいと飲んだあの青年がいる。

ぎゅっと布団を握り締めれば、手のひらに鈍い痛みが走る。どうやら庭に倒れ込んだ際、砂利の角で擦りむいたらしかった。そう、母が私を押すから。だから私は転んで...。
そこまで思い出した瞬間、私の視界が再び赤く染まる。

「......−現実なのですか...?」

震える声でそう問いかければ、青年の眉がぴくりと動く。ぎゅっと引き結ばれた唇が薄く開き「...あぁ、現実だ」と小さな声でそう言った。「君のご両親は、亡くなった」それを聞いた瞬間、私の両目からぼろぼろと涙が零れる。
夢であって欲しかった。


青年が部屋を出ていくと、入れ違うように鬼殺隊の当主を名乗る男性が部屋に入ってきた。病に冒されているのだろう、顔の上半分が爛れたその人からは酷く懐かしい香りが漂ってくる。藤の花の香りだ。
後にお館様と慕う事になるその人は、未だ涙の止まらない私に全てを話してくれた。

この世には鬼を崇拝する人々がいて、ざんばら頭はそのうちの一人であったこと。
両親の遺体は産屋敷家の管理する墓地に丁重に弔われたこと。
そして、一人生き残った私のこれからのこと。

「私の古い知り合いが浅草で呉服店を営んでいてね。ちょうど事故で娘さんを亡くしたばかりなんだ。貴女さえ良ければ、暫くはそこに身を寄せて...」

「いいえ。どうか此処に置いては頂けませんか」
「しかし...」
「両親が死んだのは私のせいです。跡取り娘として、私がもっとちゃんとしていれば、こんな事は起こらなかった。鬼に付け入る隙を与えたこちらの失態です」

私の言葉に御当主は殆ど表情を変えぬまま「うーん...」と首を傾げる。祖母から受け継いだ手記には、鬼殺隊と藤の家紋の家の繋がりが事細かに記されていた。本来ならこちらが支えなければならない立場だと言うのに、こんな形でご迷惑を掛けてしまった事を申し訳なく思う。御当主は暫く考え「では、こういうのはどうだろう」と顔を上げた。

「杏寿郎の事は知っているね。さっきまで此処にいた炎のような髪の男子だ」
「...はい。お屋敷でもお食事や身の回りのお世話しました。先程も...、泣いている私を黙って慰めてくださって...」
「そう、杏寿郎はとても優しい子なんだよ。鬼を斬り、下手人を捕らえた後もずっと君の事を心配していてね。休めと言っても傍を離れないんだ」
「......」
「ただ一つ欠点を挙げるとすれば、あの子は料理が壊滅的に出来なくてね」
「......え?」
「父と折り合いが悪く、今はこの屋敷の近くに一人で暮らしている。...どうだろう、君もそこで暮らすというのは」
「そ、それは...」

如何なものだろう。しかし、困惑するこちらをよそに、御当主はのんびりとした口調で話を続ける。

「貴方は藤の家紋の家の大切な娘さんだ。そんな貴女をご両親と切り離すような事は私としても出来ればしたくない。杏寿郎の屋敷ならご両親の墓ともそう遠くないから、墓参りもしやすいだろう」
「...しかし、私が良くても当の煉獄様は、」
「杏寿郎」

お館様の言葉に、襖の向こうから「はい」と青年の声が聞こえて驚く。これまでの会話を全て聞いていたのだろう。「そういう事に決まった。くれぐれも彼女...なまえをよろしく頼むよ」「御意」そんな短い会話で、私の身の振り方は決まってしまう。

「なまえも、杏寿郎をよろしく頼むよ」

そう言って微笑む御当主に、私は何とか頭を下げた。





「そんなわけで、私は鬼殺隊に入り、煉獄さんのお世話をするようになりました。家に帰れなくなったのは残念ですが、鬼を斬り、犯人を捕まえてくださった煉獄さんには感謝しています」

もしあの場に煉獄さんが居なかったら、自分は今頃どうなっていただろうと時々考える。藤の花の香り袋を持っていたから一人だけ助かったか?そんな風には到底思えないのだ。
香り袋はあくまで鬼避けだ。たとえあの鬼が私を食べなくても、人間であるざんばら頭に捕まっていたら私だって殺されていた。煉獄さんは私の命の恩人なのだ。
そして先日、私はその命の恩人から想いを告げられている。

「素敵!じゃあ、二人はもうすぐ結婚するのね!」
「もうすぐかどうかは...。煉獄さんのお家は名門ですし、私みたいな女とのお付き合い自体、ご家族がどう思うか...」
「そんなの!なまえちゃんが気にする必要全っ然ないわよ!」

甘露寺さんが勢い良く立ち上がったせいで、机上のカップが再び大きく揺れる。

「確かに師範のお父様は元柱でちょっと怖いけど...、甘露寺蜜璃は師範となまえちゃんの恋を応援します!だってお友達だもの!」
「ふふ、ありがとうございます」
「そうだ!祝言を上げる時は絶対声かけてね!西洋では“ブライズメイド”っていうのがあるんですって!花嫁の身の回りのお世話をする役の事なの。それでね...、」

甘露寺さんの話に耳を傾けながら、私は真ん丸のスポンジにナイフとフォークを入れる。ふわふわの生地をとろりと覆う蜂蜜は、口に入れると甘い藤の花の香りがした。

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