一二三さん

ふらりと立ち寄った店の陳列棚に懐かしい物を見つけ、思わず手を伸ばすと自分のものより一回り大きな手とぶつかった。
反射的に謝罪の言葉が飛び出す。それはぶつかった相手も同じだった。本棚に一冊しか並んでいない本。そのまま取るにはバツが悪い気がして、その場から立ち去ろうとした時だった。

「名前君か?」

背中に私の名前を呼ばれた。驚いて振り向くと、声の持ち主も驚いた顔をしていた。その顔を私は知っていた。

「煉獄、先生?」
「久しぶりだな」

それは間違いなく、中学時代の家庭教師である煉獄先生だった。こんな偶然あるのだろうか。私は目の前の現実を確かめるように数回瞬きをした。何度瞬きしても目の前にいる煉獄先生は消えないし、むしろハッキリとしていくのだ。ここでようやく、これはとても凄い確率の、運命的な再会なのだと気が付いた。あまり人の居ない本屋で助かった。本棚に挟まれた狭い空間で、私たちは再会を喜ぶようにして会話を続けた。

「元気だったか?」
「見ての通り元気です!先生は?もう社会人?」
「ああ。君は何年になる?」
「高三。あの頃と同じ受験生なんだよ」
「もうそんなに経つんだな」

彼のいうそんなには、三年の月日の事だ。私を教えてくれていた頃。煉獄先生は私が中学三年生の時の家庭教師だった。高校受験の為の一年間だけの先生。塾に通っても長続きしない私に、母が探してきたのが煉獄先生だった。

「どうしてここに?」
「会社が近いんだ」
「ふうん」
「君こそどうしてここに?高校は別の駅だろう」
「バイト先の最寄り駅」
「バイトしてるのか」
「うん。ちょっとだけね」
「そうか」
「あんまり興味ないでしょ」
「そういう訳ではないが」
「ないが?」
「久しぶりで、なんだか緊張しているようだ」
「先生でも緊張する事ってあるんだね」
「君は人をなんだと思っている」

まるで中学生のあの時に戻ったかのような感覚だった。ぽんぽんと話したい言葉が浮かんでくる。思えば家庭教師をしてくれている時も、勉強をしながらよく話をしていた。それは他愛もない今日のお昼ご飯の話から始まり、ニュースの話題や、学校の事。時には家族の話を聞いたこともあった。その中でもよく話題にあがったのが、小説だった。

「先生。よく小説の話をしたの、覚えてる?」
「もちろん覚えているさ」
「じゃあ、この本は?」

さっきまで手を伸ばしていた本を取った。それは三年前に文学賞を受賞した本だ。作者は当時最年少でその名誉に輝いた高校生で、しばらくその話題ばかりだったのを覚えている。

「覚えているが、」
「読んだ?」
「……いいや」
「私も」

顔を見合わせどちらからともなく噴き出した。それには訳がある。私達は話題になった本を読まない、という共通点があったからだ。文学賞を取っただとか、本屋大賞を受賞しただとか、そういう話題のある本をあえて避けてしまうところがあった。この本もその一つだった。けれど、この本があまりにも話題になるものだから、読まず嫌いはよくないという話になった。そうして互いにこの本を読んで感想を言い合う事を約束していたのだった。だけどその約束は果たされることのないまま家庭教師期間の一年は過ぎてしまった。私と煉獄先生はそれっきり会っていない。連絡先を聞きたいと思ったことは何度かあった。けれど、教師と生徒の間ではタブーとされていて、私はそれを破れるほど度胸のある子供ではなかった。

「今日、この作者の新作が出たってニュースでやっていたから」
「俺も同じニュースを見て、」
「やっぱり!」

いつもは見ない朝のニュースを見ていて良かった。心の底から思っていた。ニュースを見て煉獄先生を思い出さなかった訳じゃない。だから、こうやって本屋に来ているんだ。会えることはもうないと思っていたのに。中学生の淡い思い出の一つとして、私は本屋にやってきただけだったのに。

「読んだら貸すから、先生の連絡先おしえてくれる?」

煉獄先生は胸の内ポケットからつやつやとしたケースを取り出す。そこから一枚名刺を取り出して、さらさらと何かを書き加えた。

「電話、待っているからな」

綺麗で大きな数字が並ぶ。それは間違いなく煉獄先生の電話番号だ。名刺を渡された時に触れた指先が、じわりじわりと子供だった私を侵食していく。



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