※現パロ/煉獄さんにモブ彼女がいますふらりと立ち寄った店の陳列棚に懐かしい物を見つけ、思わず手を伸ばすと自分のものより一回り大きな手とぶつかった。
骨張った指に形の整えられた爪。そんな手の持ち主へと目線が行き着くまでが、まるでスローモーションのように見えた。
金色の髪に赤い毛先を揺らす男性は、きょとんとした顔でこちらを見下ろしている。
「
煉獄くん」
すると煉獄くんはわずかに眉根を寄せたので、私は慌てて言葉を続ける。
「あ、えっと、覚えてるかな。同じ学部だった苗字です」
「ああ、苗字さんか!」
思い出したというふうに目を見開いた煉獄くんは、
「すぐに気づかず申し訳ない。見違えてしまった。学生時代よりも随分、魅力的な女性になって」
と、口角をきゅっと上げた。
そういうことを、さらりと言える人。けれどその言葉にそれ以上の思いはない。もちろんそれ以下も。だから言われたこちらが妙に勘繰ったり、はたまた期待したりして。そうやって、いつしか煉獄杏寿郎という存在に、とらわれていく。
「苗字さんもこれを目当てに?」
うつむく私に、煉獄くんは訊いた。
その陳列棚には、ペアカップが一セット置かれている。糸電話をしているウサギ、もう片方はクマの絵柄。二つ並べると糸電話がつながって見える、そんなカップだった。
「……目当てというか、ただ懐かしいなあ、って」
それは、もう何年も前に、友人カップルへ贈ったものだった。まだ取り扱っている店があったんだと頭の片隅でそんなこと思いながらも、心の中では、閉まっていた箱が開かれていく、そんな感覚に襲われていた。
ああ、願わくば。煉獄くんも「懐かしくて」と言ってくれたらいいな。彼にとってもこのペアカップが、過去の思い出になっていたらいい。
けれどそんな淡い期待も、彼の一言でさあっと蹴散らされてしまう。
「俺は割ってしまってな」
ペアカップを見ながらうっすらと笑みを浮かべたその横顔に、私は唇を噛んだ。
「彼女が大事にしているカップで、ペアじゃないと意味がないと泣くものだから」
前にこの雑貨屋で売られているのを見たから、まだあるんじゃないかと思って買いに来たんだ。そう言って、彼はまた笑った。
「在庫はあるのだろうか。苗字さんもこれを買いに来たんじゃないのか? ちょっと店員さんに
」
「や、私は本当に見てただけ!」
レジに立つ店員の方へと腕を上げかけた煉獄くん。その腕を咄嗟に掴み、引き下ろす。あ、まずい。そう我に返り、すぐに手を引っ込めた。
触ってしまった。ずっとずっと、遠くから見てるだけだった人に。「きれいな声をしているんだな」と、たった一言かけられたその言葉とともに、思い出として胸に仕舞っておこうと思っていた人に。
がたがたと音を出しはじめた箱を押さえつけるかのように、私は拳を握りながら声を振り絞った。
「なので、大丈夫。ペアカップ買っても、一緒に使う人、いないし……」
「そうか」
「うん、そう。だからさ煉獄くん、買って来なよ」
平気だよ、と伝えるための声色ってどんなだっけ。そんなことを思いながら、声をつくった。平気、全然、平気。
拳を握ったり開いたりさせていると、煉獄くんは顎に手をあて、うーん、と唸った。
「だが、どうしたものか」
「何か問題でも?」
「ウサギの方は家にあるんだ。今必要なのはクマだけなのだが、これはセットでしか売ってもらえないのだろうか? ちょっと店員さんに
」
再びレジの方へ向かって腕を上げた煉獄くん。その腕に飛びかかるように、
「セットでしか買えないと思うよ!」
と、また彼に触れてしまった。
私はすぐに手を離し、カップの裏を見せる。
「ほら値札、セットでの価格になってるから」
「よもや」
「いいんじゃないかな、予備としてウサギがもう一つあっても」
また割れちゃうかもしれないし、という言葉は、煉獄くんのポケットから鳴った通知音で遮られた。
煉獄くんはスマホを取り出し画面を確認すると、再びポケットへと仕舞う。そうしてペアカップを手に持ち、すたすたとレジへ歩いて行ってしまった。
なんとなく、店の外へ出て彼を待ってみた。煉獄くんは店内を見渡したのち、外の私を見つけると「買えた」というような笑顔を見せながら出てきた。
「苗字さん、この後の予定は?」
「……映画に、行く予定で」
「そうか。それは時間を取らせて悪かった。都合が良ければ家へ来ないかと思ったんだが」
「家に?」
「ああ。彼女も、久しぶりに同級生に会えるのは嬉しいだろうから」
良かった。なんとなくそんな話になるだろうと思って、うそでも「映画に」と答えておいて。
「そっか、ごめんね。お誘いありがと。あの子にも伝えておいて。また今度、クラス会でって」
残念だな、と伝える声色って、どんなだっけ。精一杯の演出で「残念そう」な声を出すと、煉獄くんはふっと笑って、
「やっぱり苗字さんの声はきれいだな」
今の声の、どこが。
そんな思いを心の中でめぐらせながらも、私は笑って、「平気そう」な声色で言う。
「ねえ知ってた? そのペアカップって、煉獄くんたちが付き合い始めた頃に、私があの子にプレゼントしたんだよね」
糸電話でつながれたウサギとクマ。二つ並べてやっと絵が完成する、ペアカップ。
同じクラスで仲の良かったあの子が「煉獄くんと付き合うことになった」と言った時に感じた、いろんな感情。この世にある全ての感情の名前を一つずつ挙げてもらえば、該当するものは両手の指ではおさまらないと思う。
そんな感情を一つずつ殺しながら、買ったのだ。そして贈った。「ありがとう、嬉しい」とあの子は笑ってた。
煉獄くんは道の端に寄ると、今し方買ったばかりの紙袋から、箱を出した。そうして包装紙を破り、中からウサギの絵が入ったカップを持つと、私の方へと差し出す。
「糸電話は一対一だ。家にあっても、相手がいないこのウサギは仲間外れのようでかわいそうだろう。君が使ってやってくれ。その方がウサギも喜ぶ」
相手がいないウサギ。仲間外れのウサギ。
「……そ、っか。そうだよね、うん」
言葉がうまく出てこない私に、煉獄くんは曇り一つない笑顔で言うのだった。
「素敵な贈り物をありがとう! これからも大切にする」
去っていく彼から伸びる影は、あの頃と同じく、一つも私と重ならなかった。
「……残酷な、ひと」
手にしたカップを落とした。アスファルトの地面の上で、ぱりんと割れた。私の心の中のあの箱も、ぱっかりと割れた。
あれほど溢れんばかりに暴れまわっていたあれは、なんだったんだろう。何一つの痕跡も残さず、姿を消したようだ。箱の中にはもう、なんにも入っていなかった。
(2021.09.10)