世界が染まる放課後にて


私がその軽トラックを視界の端に見つけたのは、もうそろそろ今日の部活も終わろうかという時分だった。“石焼き芋”と書かれた赤提灯を思わず目で追っていると、間髪入れずに鋭いメンが飛んでくる。

「いったぁ!何すんの!?」
「それはこっちの台詞だ」

竹刀を正面に構え直した杏寿郎が、荒い息遣いのまま私を睨む。

「稽古中、ましてや俺との手合わせ中によそ見をするだなんて。女子剣道部主将は随分余裕だな?」
「だって焼き芋屋さんだよ?焼き芋屋さんを見かけたら買いに行かないわけにはいかないじゃない!」
「そういう事は稽古が終わってからやってくれ」

さぁ、集中!と杏寿郎が再び竹刀を振り上げると同時に、タイムキーパーである一年生がドン!と太鼓を叩く。そのままの格好でぴたりと動きを止めた幼馴染に、私はめんがねの奥からにんまりと笑いかけた。武道場の古びたスピーカーから、下校を促すメロディが流れ始める。

「早く片付けて、一緒にお芋買いに行こうよ」
「……」

物凄く不服そうな顔をして、杏寿郎は竹刀を納める。稽古の時は稽古の事だけ考えろとか、下校中の買い食いは校則違反だとか、言いたいことはきっと山程あるのだろう。
それでも何も言わない所を見ると、やはりこの男も大好物の誘惑には勝てないらしい。可愛いところあるじゃん、と笑いながら私も竹刀を納める。

「…自分の分はちゃんと自分で払うんだろうな」
「勿論ですよ!」
「どうだか」

へへへ、と笑った私の頭を、杏寿郎が小手をしたままの腕で小突く。「整列!」の掛け声に急いでその横に並んだ。





秋の終わり。紫とオレンジが美しいグラデーションを描く空には、数え切れない程の赤トンボが忙しなく行き交っている。

「お芋、お芋、お、い、も〜♪」
「…おい」
「お芋、お芋、ホックホク〜♪」
「おい、やめろ」
「お芋、お芋、お、い、−」
「こらっ!なまえっ!」

大声で名前を呼ばれ、私はやっと後ろを歩く幼馴染を振り返る。

「なぁに?杏寿郎」
「「なぁに?」じゃないだろう。恥ずかしいからその変な歌をやめてくれ」
「別に恥ずかしくないけど」
「一緒に歩いている俺は恥ずかしい」
「じゃあもっと離れて歩けば良いじゃん」
「……」

私の言葉に、杏寿郎の眉間の皺がより一層深くなる。あ、またムッとした、と私はお芋の歌を(ほんの少しだけ声量を落としながら)続けた。

文武両道・成績優秀である杏寿郎は、学校では常に笑顔で誰にでも優しい事で有名だ。さっきのあれは幼馴染である私しか見ることの出来ないレアな表情。写真に撮ってファンに売り付けたらきっと大金持ちになれるだろう。杏寿郎にはぶっ飛ばされるかもしれないけれど。

そんな事を考えている間に、辺りに甘く香ばしい匂いが漂ってくる。嗅覚をフル稼働してその香りを追いかければ、お目当ての車はすぐに見つかった。
小さい頃は毎日のように杏寿郎と遊んだ公園。その横道にちょこんと赤い提灯を掲げたトラックが停車している。
「みーつけた!」未だ渋い顔をしている杏寿郎を置いて、私は釜と煙突を乗せたトラックへと駆け寄る。

「こんにちは!焼き芋1つくださーい!」
「はいよ、お嬢ちゃん。そっちのお兄さんはいくついる?」

おじさんからの問いかけに、私はくるりと幼馴染を振り返る。稽古終わりとは言え、今は夕飯前。それでも大食漢の杏寿郎なら3本ぐらいいくかな〜と思っていたら「俺は6本」という言葉が返ってきて目を剥いた。

「ろっ、6本?!」
「お前、俺が一人で全部食べると思っているだろう」
「えっ、違うの?!」
「3本は自分用、もう3本は家族の分だ」
「わぁ〜びっくりしたぁ。相変わらず家族仲良しだねぇ」
「それで?なまえは本当に1本でいいのか?」
「うん。だって晩御飯前だし」
「じゃあ、全部で7本だな」

7本お願いします、という杏寿郎の言葉に、おじさんが「はいよ〜」と煤だらけの軍手を手に取る。茶色い紙袋に次々に芋を詰め込むと「これはオマケね」と最後にもう1本追加して袋の口を閉じた。
「わぁ!おじさん大好き!」感動しながら袋を受け取れば、財布を手にした杏寿郎の手がぴたりと止まる。

「? どうしたの?」
「…なんでもない」
「あ、お金ありがとう!後でちゃんと返すから覚えといてね!」
「そういうのは自分で覚えておくものだろう」

うさぎのように温かな紙袋を胸に抱いて言えば、杏寿郎は呆れ顔で代金を支払ってくれる。「また来てね〜」と笑うおじさんに手を振り、私たちはすぐ横の公園へと移動した。二人並んでベンチに腰掛け、紙袋を開く。

袋の中にはこんがりと焼かれたさつまいもが8本、ぎゅうぎゅう詰めになって入っている。先程まで釜の中にあったからまだ熱々だ。火傷しそうになりながら一番小さな芋を取り出せば、杏寿郎は意外そうな顔をして私を見つめた。

「一番小さいので良いのか?」
「全然いいよ!むしろこれでも大きいくらい」
「そうか」
「え、なに?」
「いや、なまえの事だから、てっきり一番大きいのを選ぶのかと思ってな」
「ちょっと、いつの話してんの?」

私の言葉に、杏寿郎はハハハッと歯を見せて笑う。
確かに、昔の私なら「一番おっきいのがいい!」と我先に紙袋へと手を伸ばしただろう。しかし、それももう十年以上も昔。この公園で杏寿郎と二人、おままごとやらかくれんぼやらして遊んでいた頃の話だ。

「なら、オマケの1本はなまえが持って帰るといい。きっとあのおじさんもなまえのためにくれたんだろう」
「私はいいよ。だって杏寿郎、家に帰ってからも素振りするでしょ?お夜食にしなよ」

しかし、と納得のいかない顔をする杏寿郎を差し置いて、私はぱかりと芋を二つに割る。最近はねっとりと柔らかな焼き芋が多い中、ここのは昔ながらのほくほくタイプだ。
「いっただっきまーす!」と黄色い中身にかぶりつけば、途端に口の中が幸せでいっぱいになる。

「おいひー!ほら、杏寿郎も冷める前に食べちゃいなよ!」

私の言葉に、杏寿郎は黙ったまま芋を割る。湯気の立つさつま芋にばくり!音がしそうなほど大きな口でかぶりついたかと思うと、熱かったのかハフハフと天を仰いだ。「−美味い!」大好物を食べて笑顔になる幼馴染に、こちらも自然と笑顔になる。
ひんやりと冷たい秋風を感じながら、公園のベンチに座って食べる焼き芋。なんと美味しい事だろう。

「いや〜、人のお金で食べる焼き芋は格別ですな〜」
「こら、誰が奢るといった」
「え〜?だって私が「焼き芋買いに行こ」って言わなかったら杏寿郎はお芋食べられなかったんだよ?そこは考慮してくれてもよくない?」

私の言葉に、杏寿郎はまた一口芋を齧りながら首を横に振る。

「よくない。この間観た映画だって、結局は俺持ちだったろう。しかもポップコーンとジュースまでつけて」
「だってあの日はカップルデーだったんだもん!せっかく杏寿郎の顔を立ててあげたのに!」
「行ったのはカップルデーでも観たのはアニメじゃないか。しかも幼稚園児が観るような戦隊モノ」
「あの映画の良さがわからないなんて、杏寿郎くんもまだまだですな」
「映画の出来はともかくとして、俺じゃなかったら相手は帰ってるぞ」
「あぁもう、うるさいなぁ。払えば良いんでしょう?いくらだった?お芋」
「…全部で2100円だったから、2100÷8で262円だな」
「細かっ」
「これはオマケを入れた分だ。なまえがその気なら2100÷7にしてピッタリ300円。ついでにこの間の映画代も払ってくれていいんだぞ?」
「是非262円でお願いします」

慌てて通学鞄を手に取れば、杏寿郎がフッと鼻で笑う。えぇ、えぇ、どうせ私は貧乏ですよ。1円でも安い方がいいですよと思いながら財布を開けば、そこには百円玉1枚と十円玉が3枚、一円玉が6枚しか入っていなかった。合わせて136円。映画代どころか、今食べている焼き芋代にさえ届かない。

諸々想定済みだったのだろう。小銭片手に真っ青になっている私を、杏寿郎が物知り顔で見つめる。

「よくその金額で焼き芋を買おうと言えたな」
「……スミマセン」
「なまえの事だ。まぁ最初から予想はついていたがな」
「ち、違うんだよ!これはお昼に学食に行ったからで!それまでは1000円、いや、700円くらいは…!」

入ってたもん!という言葉は続けられなかった。杏寿郎の端正な顔が、ふいに私の顔に近付いてきたからだ。

骨張った指が私の顎を掬い、ふに、となにやら柔らかな物が頬に触れる。すぐに離れていった杏寿郎の唇に、小さな黄色い欠片が見えた。

「……本当に小さい頃から変わらないな、俺の幼馴染は」

ぱくり。小さな欠片を飲み込んだ杏寿郎が笑いながら立ち上がる。動けなくなった私にフッと眉を下げると、「ほら、もう帰るぞ」と十年前と同じ台詞で私の手を引いた。

「焼き芋代はさっきので勘弁してやろう」
「……この間の映画代は?」
「さぁ?それは今後、なまえが何をさせてくれるかによるな」

シュッ!と私が繰り出したパンチを、杏寿郎は軽々と避けて笑う。
ほっぺにちゅーが300円だなんてとんでもない。これはまた映画を奢ってもらわないといけないな、と思いながら、私はそのあたたかな手を握り返すのだった。

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