異国の歌をうたって


煉獄家に新しく生まれた男子おのこの名付け親になったのは、その祖父に当たる煉獄槇寿郎だった。


「父親には、是非産まれてくる子どもの名付け親になって頂きたいのです」

そう言って頭を下げる息子夫婦に、槇寿郎は露骨に難色を示した。妻である瑠火が亡くなってからというもの、槇寿郎は息子...…−特に長男である杏寿郎には辛く当たってばかりだったからだ。
刀の代わりに酒瓶を携え、日がな一日自室に引きこもって過ごした。自身の代わりに炎柱を襲名した杏寿郎に「鬼殺隊を辞めろ」「辞めるまでうちの敷居を跨ぐな」と、酔いに任せて物を投げつけた事もある。

杏寿郎が鬼との戦いで危篤となった時でさえ、槇寿郎は見舞いに行かなかった。行けるわけもなかった。無限列車に乗る前日、出立前の挨拶に訪れた息子を、槇寿郎はいつも以上の悪態で追い返していたのだ。
「鬼狩りなどしていては、いつか無様に死ぬだけだ」と。

もし、あの悪態が息子に掛ける最後の言葉になってしまったら。
そう考えると本を持つ手が震え、それを止めるために益々酒が増えた。いつだって笑顔を絶やさなかったあの息子が、棺の中で沢山の花と共に眠る妻に重なりそうで怖かったのだ。

恨まれても仕方が無い。いくら謝っても謝り足りない。
全ての戦いを終え、杏寿郎が妻となるなまえを連れて帰ってきてからもなお、槇寿郎の胸には暗い想いが燻ったままだった。


で、あるからして。そんな息子から子の名付けを任されるなど、槇寿郎にとってはまさに青天の霹靂だった。
「その辺の寺にでも頼んだ方が...」と槇寿郎は唸りながら無精髭をさすったが、杏寿郎は頑なに譲らない。

「どうしても父上にお願いしたいのです」
「何故そこまで俺に拘る必要がある?俺は何も成し遂げていない。己の責務に背を向け、酔いに任せてお前と千寿郎をなじっていただけだ」
「そうは思いません」
「いや、そうだ。自分でもよく分かっている。柱という大役を放棄し、ただただ家で酒を飲んでいただけの穀潰しだ。そんな俺に名付けの資格などないだろう」
「……それがなんだと言うのでしょう」

杏寿郎の言葉に、槇寿郎は「あ゛ぁ?!」とその切れ長の瞳を吊り上げる。しかし、そんな父親に怯む様子も無く、良く似た顔の息子は口を開いた。

「父上は母上の死を悲しんでいただけです。確かに酔いに任せて俺や千寿郎をそしる事もありましたが...。だからと言って楽しかったあの日々が消える事はありません」

生まれたばかりの千寿郎を父、母、兄の三人で覗き込んだあの日。縁側に座る母に見守られながら男三人庭で木刀を振るったあの時を、杏寿郎はいつも心の支えにしてきた。

「それに、父上は母上の命日と月命日だけは一滴も酒を飲まなかったと、」
「……千寿郎から聞いたのか」

苦々しく顔を背ける槇寿郎に、杏寿郎は「はい」とその太い眉を下げて笑う。丸い瞳が真っ直ぐに父を、そしてその後ろに下がった風鈴を見つめていた。

「愛する人を失うのは辛い。俺だって、此処にいるなまえを失ったらどうなるか分かりません。しかし、失うだけが人生ではないのです。新しく与えられる物もあるのだと、最近つくづく思います」

そう言って、杏寿郎は隣に座る妻の腹に目をやる。時折ぽこんと腹を蹴るようになったそれは、若い夫婦にとって確かな喜びであり、未来だった。

「時代は刻一刻と変化しています。世間には西洋の物が溢れ、これまで家にいた女性達がどんどん外に出て働いている。そんな時、誰が産まれてくる子のおしめを替えましょう」
「名付けだけでなく、俺に子守りまでせよと言うのか?」
「隠居の“じぃじ”にはうってつけかと思いますが」

じぃじ、という言葉を、杏寿郎は敢えて強調する。見た目こそ槇寿郎に似ているものの、杏寿郎のこの意志の強さは紛うことなく母親似だった。

瑠火は身体こそ弱かったが、心...−その意志は当時柱であった槇寿郎より余程強く、真っ直ぐであった。
「いつかこの子達にも家族が出来るのでしょうか」「そうしたら私達も、じいじとばぁばですね」と、まだ首も座らぬうちから子供たちの未来を想っていた。その未来に己がいない事など、自分でもとっくにわかっていたはずなのに。

……−柱という責務、更には自分の子供ですら途中で投げ出した俺に、“じぃじ”なんて大役が務まるのだろうか。

そんな自問自答にうつむけば、梁に下げられた風鈴がちりんと涼し気な音を立てる。まるで弱気な夫の背を「きっと出来ますよ」と後押しするかのように。

「……あとで後悔しても知らんからな」

槇寿郎の言葉に、若い夫婦は顔を見合わせて微笑んだ。





「陽寿郎?そろそろ出かける時間ですよ、陽寿郎ー?」
「ここにいますよ、母上」

庭で洗濯物を干す母の声に、陽寿郎と呼ばれた少年はその見た目からは想像も出来ないほど落ち着いた声音で応えた。仏壇の置かれた部屋の障子がすらりと開き、陽光の下にその姿を晒す。黒い学生帽から零れる茜混じりの金髪が、まるで内側から発光しているようにキラキラと光っていた。
芥子色の着物をぴしりと纏ったその腕には、教科書と弁当を包んだ風呂敷包みが握られている。
あの日なまえの腹の中にいた男子…−煉獄陽寿郎は、今や尋常小学校の一年生となっていた。

「今日は何をお勉強するの?」
「国語と算術です。あと、男子は体操も」
「そう。今日のお弁当には陽寿郎の好きな大学芋を入れておきましたからね。頑張ってきて」
「ありがとうございます」

縁側へと歩み寄ったなまえがふわりと両手を広げれば、少年は気恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。風呂敷包みを抱えたまま暫くもじもじしていたかと思うと、やっと自分も母の背に手を回した。
少し前まではこのような親子の触れ合いも満面の笑顔で喜んでくれた息子だが、小学校に入ってからは少し控えめになったようだ。甘えたい気持ちと自立心がせめぎ合っているのだろう。母としては嬉しい事である。

しかし、母であるなまえもまた、同じような葛藤を抱えているのだった。息子の成長を嬉しく思う反面、愛しい人と瓜二つのこの宝物を甘やかしたくてたまらないのだ。今だって早く学校に送り出さなければと頭では分かっているのに、なかなか腕を離すことが出来なかった。
で、あるからして。

「二人とも、朝から随分仲良しだな」

突如姿を現した杏寿郎に、なまえも、そしてその腕の中にいた陽寿郎も口から心臓が飛び出しそうになった。どうやらなかなか洗濯物を干し終わらない妻と、なかなか学校に行かない息子を呼びに来たらしい。
父の姿を認めた途端、陽寿郎の眉間にきゅっと皺が寄る。ぱっと母から手を離したかと思うと、まるで悪漢との間合いをはかるかのように半歩足を引いた。

「陽寿郎!そろそろ家を出ないと学校に遅刻してしまうぞ!」
「...…そんなこと、わかっております」
「すみません!私が引き止めてしまったんです。ほら、陽寿郎、行ってらっしゃい」
「はい。行って参ります、母上」
「…お父上に「行ってきます」のご挨拶は?」

母親に促され、陽寿郎の眉間に益々皺が寄る。錆びたブリキのようにギシギシと身体を軋ませ、やっとのことで父親へと頭を下げた。

「………行って参ります、父上」
「うむ!気をつけてな!往来では車と馬車に十分気をつけるのだぞ!」

それ以上の言葉を振り切るように、陽寿郎は包みを手にして門へと駆けだす。脱兎の如く見えなくなった息子に苦笑いしながら、杏寿郎はいつもと変わらぬ明るい声音で言った。

「なんだか随分と嫌われてしまったなぁ」
「…すみません。目上の人には敬意を払うよう、陽寿郎にはいつも言っているのですが」
「別に君が謝る事じゃない。反抗期にはまだ早い気もするが、きっとあれも成長の一つなのだろう。可愛いものだ」

そうだといいのですが…、と心配そうに門を見つめる妻の視線を、杏寿郎が腕組みをしながら遮る。

「心配か?」
「……少しだけ。実は先日も着物を汚して帰って来まして。なんでもうちの道場を「時代遅れだ」と馬鹿にした上級生に頭突きを食らわせたとか」
「頭突きか!手より先に頭が出るのは貰った名のせいだろうか」

ハッハッハ!と快活に笑う夫に、なまえは「笑い事じゃありません…」とため息を吐く。
煉獄家の男子は代々「〜寿郎」と名付けられるのが決まっているが、陽寿郎の「陽」は祖父である槇寿郎がつけたものだ。その名前の由来は、強烈な頭突きで己の目を覚まさせた、太陽のように明るいあの少年から来ているのだった。
この世のどんな闇をも明るく照らす、太陽のような子になって欲しいと願いを込めて。

「子供の喧嘩だ。学校から呼び出しでもない限り、放っておいても大丈夫だろう」
「…そういうものでしょうか」
「あぁ。あまり叱ってはいけないぞ。何せ陽寿郎はうちの道場を守るために戦ったのだからな」
「…杏寿郎さんがそう仰るなら」
「そんな事よりも!!!」

ずい、と身を乗り出してきた杏寿郎に、なまえは思わず洗濯籠を落としそうになる。「な、なんでしょうか?!」とこちらまで上擦った声で問えば、夫にしては珍しく意地の悪い笑みを浮かべていた。

「先程は陽寿郎と随分と熱い抱擁を交わしていたな?」
「抱擁って...。可愛い息子をちょっと抱きしめていただけです…!」
「確かに陽寿郎は愛らしい。しかし、それにしても長かったのではないか?もう少しで溶けてひとつになるかと思ったぞ」
「…杏寿郎さん、もしかして妬いていらっしゃるのですか?」

妻の言葉に、夫の耳にサッと赤みがさす。言われて初めて自覚したのだろう。あぁ、とため息を零したかと思うと、恥ずかしそうに口元を手で覆った。

「これまでは、なんでも俺が一番だったものだから…」

不甲斐なし、と顔を背ける杏寿郎に今度はなまえが意地悪な笑みを浮かべる。

「そうして欲しいのなら、私はいつだって杏寿郎さんも抱っこして差し上げますよ」
「……では、今夜あたり頼もうか」
「あら、甘えん坊ですこと」

ふふふ、と笑いを零した妻の肩を、杏寿郎はそっと抱き寄せる。薄紅を差した艶やかな唇に小さく口付けを落とした。

じぃじが二人目の孫を抱く日も、そう遠くない未来だった。

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