冬は朝が良い。
そう言ったのは誰だっただろうか。庭の落ち葉を一箇所に集めながら、ふとそんな事を思い出す。

今年は冬なのに暖かい日が多く、霜が降りることはあっても雪はまだ一度も降っていない。
広い庭を竹箒で掃除しながら、額に浮いた汗を手の甲で拭った。身体が内側からほくほくと熱く、手袋と襟巻きを外す。続けてシャツの襟も緩めると、澄んだ空気がひんやりと心地良かった。
この季節、毎日のように庭の落ち葉を掃いているが、それを上回る早さで木々は葉を散らす。毎日ただ掃除をするのも面白くないので、今日は集めた落ち葉で焼き芋をすることにした。大好物に喜ぶ煉獄さんの顔が目に浮かぶ。

「結構集まったし、ちょっと休憩しようかな」

箒を置き、縁側に腰を下ろす。早起きしたからだろうか。ふわぁ、と大きな欠伸が出た。
そんな時だった。ちりん、と小さな鈴の音を立てて、目の前に一匹の猫が現れた。目と目が合い、猫の細い瞳孔がきゅうっと丸くなる。この辺りでは見たことの無い、大きくて立派な猫だった。
輝く黄金の毛並みはふくふくと長く、所々に朱が混じっている。爛々とした目は透き通った琥珀色で、耳をピンと立て、ふんふんと鼻を動かす様まで堂々として見えた。なんとなく、煉獄さんに似ている気がする。

「にゃーん、おいでおいで」

こちらを見つめてくる猫が愛らしくて、思わず猫語で話しかける。
猫は好きだ。あったかくて、柔らかくて、自由で、何より可愛い。
撫でたい。ふわふわの毛並みを、両手でもふもふしたい。もし許されるならこの腕に抱いて、お日様の匂いがするであろうその身体を思い切り嗅ぎたい。吸いたい。

私の邪な想いが伝わったのだろうか。大きな瞳を朝日に輝かせながら、猫はとことこと此方に向かってきた。
お?と思った次の瞬間には、ふわりと膝の上に飛び乗ってくる。ごろごろと満足そうに喉を鳴らし、その場で丸くなった。

奇跡...!奇跡が起きた...!!
突如訪れた甘美な時間に、ごくりと唾を飲み込む。ぐりぐりと太腿に顔を押し付けてくる猫に、思わず顔が緩んだ。
い、いいんですか?撫でてもいいんですか!?
ふかふかの毛並みを撫でようとした、まさにその時だった。

「煉獄さ〜ん。煉獄さん、何処ですか〜」

ひょこり、庭の竹垣から胡蝶さんが顔を出した。きょろきょろと何かを探すように辺りを見回したかと思うと、「あらなまえさん、おはようございます」と私に向かって頭を下げる。猫を膝に乗せたまま、私もあわあわと頭を下げた。
猫語を喋っていた所を見られてたらどうしよう。恥ずかしくて死ねる。

「おはようございます!ど、どうかなさったんですか!?」
「それを探していたんですよ〜」
「それ?」
「はい、それ」

胡蝶さんの白い指が、膝の上の猫を指さす。

「それ、煉獄さんなんです」
「......は?」

にゃぁあん、と間延びした鳴き声が朝の庭に響いた。



「随行した隊員の証言によると、鬼の首を斬った次の瞬間には、煉獄さんは猫になっていたそうです」
「そうですか...。血鬼術の一種という事ですか?」
「そのようですね。アオイが一通り身体を調べましたが、猫になったこと以外に異常は認められませんでした」
「なるほど...。あの、胡蝶さん」
「はい、なんでしょう」
「...遠くないですか?」

指摘すれば、胡蝶さんはきょとんとした顔をする。普通に会話していたものの、私と胡蝶さんの間は五間以上離れていた。
あぁ...と眉を顰めたかと思うと、胡蝶さんは「苦手なんです。毛の沢山生えた動物」と呟く。大きな瞳が冷たい色を帯び、薄氷のように微笑んだ。

「ただでさえ人手不足で忙しいのに、本当に困ってしまいますよねぇ。煉獄さんたら猫になったのが楽しいのか、ちっともじっとしていてくださらないし。小さな鈴の音を頼りに探す、こちらの身にもなって欲しいですよねぇ?」

胡蝶さんの掴んだ垣根が、みしみしと悲鳴をあげる。あぁ、相当怒っていらっしゃる...。

「まぁ、元凶の鬼は既に倒していますし、明日には元に戻ると思います。本人も満更では無いようですし、何かあったら蝶屋敷まで連れてきてください」
「は、はぁ...」

返事をすると、胡蝶さんは「では」と手を振り、さっさと行ってしまった。猫になった上官を膝に乗せたまま、私は一人途方に暮れる。

「...とりあえず、朝ご飯でも食べますか?」

問いかければ、にゃぁん!と嬉しそうに煉獄さんが鳴いた。





鰹節を乗っけたご飯、所謂ねこまんまにがっつく煉獄さんをまじまじと見つめる。
本当に猫だ。大きな目、ぷにぷにの肉球、立派な尻尾。胡蝶さんに騙されたのではないかと思うほど、目の前の煉獄さんはただの猫だった。

「どうしたら元に戻るんですかねぇ...」

一人と一匹。厨の床にしゃがんで呟くと、ねこまんまを早々に平らげた煉獄さんがぺろぺろと前足を舐める。へぇ、そんな事までするんだ...とちょっと感心した。

お腹が膨れてご機嫌なのだろう。にゃあにゃあと鳴きながらごろりと横になり、まるで誘っているかのように私の目の前で尻尾を揺らす。
ちょ、ちょっと、猫だからって大胆過ぎ...!と何故かこっちが恥ずかしくなり、思わず煉獄さんから目を逸らした時だ。ふと、ある物に気がついた。

「これ、血...?」

尻尾の先、日の当たらない裏側の部分に、ほんの少しだけ赤黒い染みがあった。元々の毛色が朱だからだろう、アオイさんと胡蝶さんも気が付かなかったようだ。
煉獄さんが怪我をしている訳ではなく、誰かのものがたまたま付着したらしい。美しい毛にぱりぱりにこびり付いている。
猫の姿とはいえ、身体に血が着いているのは気持ちが悪いだろう。

「お風呂、入りますか?」

不憫に思って聞いてみれば、んにゃあ!と煉獄さんが鳴く。「それは良いな!」と言っているようで、ちょっと面白かった。



大きな桶にぬるめのお湯を張り、ゆっくりと煉獄さんの身体をお湯に浸ける。猫の本能で水は嫌がるかと思ったが、特に抵抗する様子も無かった。むしろ気持ちよさそうに目を細めるので、心の中でホッと胸を撫で下ろす。
寒くないように時々お湯を掛けてあげながら、そっと尻尾の先を擦る。固まった毛束をほぐす様に洗うと、こびり付いていた血は次第にお湯に溶けていった。

「よかった。綺麗になりましたよ」

桶の中の煉獄さんに声を掛けた、次の瞬間。

ぼふん!!という大きな音と共に、目の前が真っ白になった。雲のような厚い煙が立ち込め、思わずゲホゲホと咳き込む。

「っ...!な、なに!?」

無意識に腰に手を伸ばしたが、日輪刀は朝自室に置いてきたままだった。自身の不甲斐なさにくっ、と喉を鳴らし、辺りを警戒する。おかしな気配はないが、とにかく何も見えない。
何が何だかわからないが、一刻も早く煉獄さんを連れて逃げなければならない。視界が利かないまま桶の方に腕を伸ばしたが、すぐそこに居たはずの煉獄さんがなかなか見つけられなかった。

「煉獄さん!何処ですか、煉獄さん!」

煙の中、闇雲に腕を伸ばすと、なにかのっぺりとした物に手が触れた。一瞬煉獄さんかと思ったが、動物の毛の感触ではない。
煉獄さんは何処に行ってしまったのだろう。この煙はなんなのだろう。
一体どうしたら...!
混乱している間に、煙が晴れてきた。

気がつくと、膝元に鈴が転がっていた。煉獄さんの首に着いていたものだ。紐は無残に千切れてしまっている。
もしや、煉獄さんの身に何か良くない事が起きたのでは。胸がざわつき、息苦しくなる。

「煉獄さっ、......あ?」

叫びながら視線をあげると、なんと目の前に煉獄さんがいた。


猫ではない。


本物の、人間の煉獄さんがいた。



...裸で。



私がベタベタと触っていたのは、煉獄さんの厚い胸板だった。手のすぐ下には硬く割れた腹筋があり、形良く窪んだ臍があり、さらにその下には...、

「〜っ!!」
「よもや!思ったより早く戻ったな!」

狭い桶の中、のんきに笑う煉獄さんに思わず手ぬぐいを投げつける。
早く!服!!着てください!!!と、久しぶりに大きな声を出した。





「首を斬り落とす一瞬の隙をつかれるとは!柱として不甲斐なし!」

よもやよもやだな!と笑う煉獄さんを無視して、ほくほくの芋にかぶりつく。煉獄さんが着替えている間に作った焼き芋だったが、どうにも素直にあげる気にならなかった。

猫になった原因は、どうやら鬼の返り血を浴びたかららしい。通常、鬼は首を斬り落とされると灰になって消えるが、今回の鬼はやや特殊だったようだ。
首を落とされる瞬間、自分の血を使って煉獄さんに血鬼術を掛けた。しかも、身体は朽ちても術は発動し続けている。鬼舞辻無惨率いる鬼達も、日々進化しているという事だ。
...だというのに。

「猫になれる機会などそうそう無いだろう!心配を掛けるのはわかっていたが、どうしてもなまえに見て欲しくてな!」
「...へぇ〜」

煉獄さんの言葉に、思わずこめかみがひくつく。
今回、たまたま「血に触れた者が猫になる」というしょうもない術だったから良かったものの、次もそうだとは限らないのだ。命に関わる術だったらどうするつもりだったのか。これだから、下手に強い人は危機感がなくて困る。

「とは言え、なまえが風呂に入れてくれなければ、俺はずっとあのままだったかもしれん!恩に着る!」
「はぁ、そうですか」
「むうっ!!悪かったと言っているだろう?あ、俺の芋は何処だ!?」
「煉獄さんの分は、蝶屋敷の皆さんに迷惑料として差し上げるつもりです。煉獄さんにはほら、こちらを」

そう言って、煉獄さんの前にねこまんまを差し出す。「よもや!!」と煉獄さんの悲痛な叫びが冬の庭に響いた。

猫の煉獄さんにもう会えないのはちょっと寂しいけれど、今回の事はしっかり反省してもらわないと困る。その日は夜ご飯もねこまんまにして、やっと許してあげた。


《title:花洩》


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