※もしも煉獄さんの背中に刺青が入っていたら...というお話です。
大正・鬼殺隊炎柱軸。なんでも許せる方向けです。





「君に見て欲しいものがあるんだ」

そう言ってこちらに手を差し出した夫に、私は濡れた食器を拭う手をぴたりと止めた。嫁入り道具の一つとして持ってきた信楽の皿から顔を上げれば、そこには緊張した面持ちの夫が静かに私の返事を待っている。太く凛々しい眉を寄せ、これまでに見たどの表情より強ばった顔でこちらを見ていた。
かちゃん。拭き終わった皿を別の皿に重ねると、暗い台所に存外大きな音が響いた。布巾をすすぐついでに自分の手も洗い、フリルの付いた前掛けでしっかりと水気を拭う。「−...はい」頷いてその大きな手に自分の手を重ねれば、水仕事で冷えた指先が痛いくらいに熱くなった。
ついにこの時が来たのだな、と思う。

夫とは家同士が決めた、所謂お見合いで一緒になった。人生の伴侶となるその姿を初めて目にした時「なんて美しい人なのだろう」と思わず息を飲んだ。男の人に美しいだなんて失礼かもしれない。しかし、世間知らずの私の目には、彼...−後の夫となる煉獄杏寿郎は、まるで身体の内側から光っているように神々しく映った。

「それでは、あとは若いお二人で」

そんなお決まりの言葉で二人きりにされてしまうと、極度の緊張で身体中から汗が吹き出した。何か話さなければと焦るほど言葉が見つからず、つい「お美しい方で驚きました」と口から本音が飛び出してしまう。

「俺が美しい?」

驚いたように問う彼にこくこくと頷けば、彼は猫のようにまあるい瞳をきゅっと細める。ハッハッハと快活に笑う声が収まるのを、私はもじもじと居心地悪く待った。

「似た者夫婦という言葉があるが、どうやら俺たちは祝言を挙げる前から似ているらしい」

俺も君に同じ事を思っていた。そう言った彼の柔らかな微笑みに、私はすんなりと煉獄家へ嫁ぐ事を決めた。


杏寿郎様に手を引かれて訪れたのは、夫婦の寝室となる部屋だった。祝言で疲れた夫がすぐに休めるようにと、既に揃いの布団が二組、ぴったりと並んで敷かれている。枕元に置かれた行燈の光が、ぼんやりと部屋全体を橙色に照らしていた。
真新しい布団に向かい合って座りながら、私はごくりと口内の唾を飲み込む。夫の責務が鬼の頸を斬る事なら、その妻の責務は夫の子を孕む事だ。
−最初の夜は目を瞑って、相手の男に身を委ねるのが良い。
家を出る直前、まるで独り言のように放たれた祖母の言葉を頭の中で何度も反芻する。

「君に見て欲しいものはこれだ」

杏寿郎様は再びそう告げると、何故か私にくるりと背を向けた。なんだろう、何が出てくるのだろうとどきどきしていると、しゅるり、暗い部屋に夫が帯を解く音が響く。

「...どうか、怖がらないで欲しい」

そう言った杏寿郎様の肩から、はらりと着物が落ちる。その広い背中一面に描かれた物に、私は自分の喉がひゅっと鳴るのを感じた。
太い牙を剥き出して咆哮する、炎を纏った大きな虎。
私が息を飲んだのが分かったのだろう。杏寿郎様が昔話をするようにゆっくりと口を開く。

「“煉獄の家に生まれ炎柱となる者、代々その背に燃ゆる虎を飼うべし”...そんな言い伝えがあってな。幼い時は“どうして父上は背中にこんなものを掘っているのだろう”と不思議で仕方がなかったが、自分が炎柱になってやっと分かった」
「...何が分かったのですか?」

私の言葉に、杏寿郎様が微かに笑ったのが空気の揺れで分かる。夫のそれとよく似た虎の瞳を、私は畏敬の念を抱きながら見つめた。本当に、杏寿郎様とそっくりだ。

「弱い者を守るのは強く生まれた者の責務だ。強い者が負けてしまっては、力のない人々は余計苦しむことになるだろう?」
「...はい」

その言葉は、杏寿郎様が早くに亡くした母上の教えであり、遺言でもあった。自身の肩口に手を置き、杏寿郎様は言葉を続ける。

「虎は強い。一説によると百獣の王と言われる獅子よりも強いと聞く。だから、俺は自分も虎を飼う事に決めたのだ。誰よりも強く、より多くの人々を守れるように」
「では、私の旦那様は鬼殺隊の中でも一等お強いのですね」

私の言葉に、杏寿郎様は「そうありたいものだな」と眉を下げて笑った。
煉獄家は先祖代々多くの鬼殺隊士を排出してきた。夫であるこの人も、たとえ新婚であろうが明日の夜にはまた任務に立つのだ。死と隣り合わせの危険な任務に。

「...たとえどんなに危険な任務に赴いても、必ず君の待つこの家に帰ってくることを誓おう」

その言葉に、私は深く頷いた。まだ出会って短いが、杏寿郎様なら絶対にそうしてくれるだろうという根拠の無い自信があった。
「お背中に触れても良いですか?」そう問えば、夫は顔だけ振り向いてこくりと頷く。雄々しい虎の頭を撫でるようにそっと左手を置くと、勝手にひんやりしているものと思っていたそこは、燃えるように熱かった。
ぴたり、今度は頬をくっつけて寄り添ってみれば、夫がごくりと息を飲んだのがわかる。とくん、とくんと、力強い鼓動が聞こえてきた。最初は恐ろしいと思ったはずの虎が今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうに思えて、なんだか急に愛おしくなる。

「...−抱いてくださいませ、杏寿郎様」

こんな事を女である自分の口から言うべきではないと分かっている。しかし、どこまでも自分以外に優しい彼だからこそ、こうでも言わないと一線を超えてくれないのではないかという気がした。今日しなければ、次がいつになるか分からないのだ。

「...良いのか?初夜だからといって無理をする必要はないんだぞ」

夫の言葉にほら、思った通りでしょう?と私はすぐそこの虎と顔を見合わせて笑う。吐息がこそばゆかったのだろう、「もうそっちを向いてもいいか?」と夫は腰を浮かせ、ややバツの悪そうな顔で再び私へと向き直った。
橙色の光に照らされて、夫の丸い瞳が炎のように揺らめく。そこに確かな欲情の色を見留めて、今度はゆっくりとその胸板に頬を寄せた。
落ちてくる唇を、自然と自身の唇で受け止める。頬に添えられた指先がすりすりと薄い耳朶を撫でた。はぁ、と息継ぎだけしてまた唇を合わせる。火傷しそうなほど熱い舌に舌を絡め取られ、思わずびくりと肩が揺れた。下腹の奥が熱い。互いに名残惜しく思いながら顔を離せば、二人の間を光る糸が繋ぐ。

「...よもや、君の方から抱いてくれと言うとは思わなかった」
「...はしたない嫁で申し訳ありません」

そう言ってうつ向けば、杏寿郎様は「いや、良い」と私の髪留めを外す。音もなく垂れた黒髪を愛おしそうに撫でると、今度は私の額に口付けた。

「むしろ、本当に良かったと思う。君が俺の妻となってくれて」
「.....実は淫らな女性がお好きなので?」

不安になってそう問えば、彼ははっきりと「そういう意味じゃない」と笑う。

「...−君だから愛おしい。君だから、早くはしたない姿を見たいと思うのだ」

いつの間にこちらの着物を緩めたのだろう、音もなく忍びこんできた無骨な手がやわやわと胸の膨らみを揉む。漏れ出る声を抑えようと慌てて口元に手を伸ばしたが、「手は俺の背中にまわしてくれ」とやんわりとした口調で咎められた。自分の喉からどんなおかしな声が出るか分からない。ふるふると首を横に振ったが、一度火のついた夫は許してくれなかった。

「掴まっていないと辛いかもしれないぞ」

初めて会った時は猫だと思った瞳が、実は獰猛な肉食獣であった事を改めて思い知る。「なまえ、」駄目押しのように耳元で名前を呼ばれ、私はそろそろとその広い背に腕をまわした。
規則正しく並んだ白い歯が、晒された肌に次々と赤い痕を残していく。

まるで頭から捕食されるような、そんな夜を過ごした。

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