山梨に住む親戚から桃が沢山届いた。

白い化粧箱の蓋を持ち上げると、甘くみずみずしい香りがリビングいっぱいに広がる。白いあみあみに過保護なまでに包まれたぽってりと丸い果実。細かな産毛がうっすらとその薄桃の肌を覆い、見ているだけでなんだかむず痒い気分になってくる。

「杏寿郎くんのおうちにお裾分けしてきて」

そう言いながら、お母さんが手にしたビニール袋に桃を詰め込んでいく。私が杏寿郎と付き合っていると知ってからというもの、両親、特にお母さんは今まで以上に杏寿郎の名前を出すようになった。
礼儀正しく文武両道な幼馴染は、両親だけでなくご近所さんからも大人気だ。「杏寿郎くんとお付き合い出来て良かったわね」と散歩中のマダムに声を掛けられる事もしばしばである。

桃の入ったビニール袋をぷらぷらと揺らしながら、徒歩十秒のお隣へと歩く。ぽちり。インターホンを押せば、すぐに「はい」と溌剌とした声が応答した。杏寿郎だ。

「わたし。桃持ってきたよ」
「今開ける!ちょっと待っていてくれ!」

パタパタと足音が近付いてきたかと思うと、カラリ、玄関の引き戸から杏寿郎が顔を出した。「はい。いつもの」私が袋を突き出すと、杏寿郎の顔にぱっと花が咲く。「毎年すまないな!」と大きな手が袋を受け取った。手と手が触れ合う事さえなんだか恥ずかしくて、私はすぐに袋から手を離す。

「今年のも美味そうだ。なまえはもう食べたのか?」
「ううん、まだ。でも、今年のはこれまでで一番出来が良いってメモが入ってたからきっと美味しいよ」
「そうなのか!良かったら今から一緒に食べないか?みんな出かけていて、今は俺しか家にいないんだ」
「えっ。あの、でも、それは杏寿郎たちに持ってきたやつだし...」

私の言葉に、杏寿郎はぱちぱちと瞬きを繰り返す。いつもならすぐに「食べる!」と家に上がる私がよそよそしいからだろう。恋人同士になって一週間。私はまだ、杏寿郎との距離に慣れないでいる。

そんな私の事などお見通しなのだろう。杏寿郎はふっとその大きな目を細めると、情けなそうに首の後ろを掻いた。

「俺が料理が苦手な事はなまえが一番良く知っているだろう?」
「そりゃあ、知ってるけど、」
「そう、だから」

ふいに、杏寿郎の手が私の腕を掴む。ぐっと強い力で引き寄せられると、そのままその厚い胸板に抱きとめられた。背中のほうからピシャン、と引き戸の閉まる音がして、更に鍵の掛かる音がする。

「なまえが剥いてくれないか?」

鼓膜を揺らす低い声に心臓がドキドキした。





煉獄家には何度も足を運んだことがあるが、台所に立ったのは今回が初めてだった。お母さんが綺麗好きなのだろう、洗剤の向きまできちんと整理されたシンクで手を洗っている間に、杏寿郎がお皿と包丁を用意してくれる。

「男子厨房に入らず、とでも言うのだろうか。母上は俺が台所に立つのをなかなか許してくれないんだ」
「もし私が杏寿郎のお母さんでも許さないと思うよ」

そう茶化しながら私は桃と包丁を握る。杏寿郎の料理下手は同じ学校の生徒なら誰もが知っている事だ。ましてや、桃は林檎や梨とは違い柔らかくて剥きにくい。加減を知らない杏寿郎には絶対に無理だろう。

包丁の背を使い、ゆっくりとした動作で桃の肌を撫でていく。思っていた剥き方と違うのだろう、肩越しに杏寿郎の食い入るような視線を感じた。
ぐるりと一周撫で終えたあと、今度は刃を使って縦に切れ目を入れる。すっかり緩んだ薄皮をつまんで剥がせば、柔らかな果肉がつるりとその姿を現した。あとは一口大に削いでいくだけだ。

「上手いものだな」
「お褒めに預かり光栄です。爪楊枝ある?フォークでもいいけど」

そう言って振り返れば、ばちり!音がしそうなほど杏寿郎の大きな瞳と視線がかち合う。近くにいるなとは思っていたが、これではまるで調理台に押し付けられているようだ。
「ちょ、ちか、」思わず仰け反りそうになった私に、杏寿郎が「あ」と大きな口を開ける。

「? なによその「あ」って」
「決まっているだろう。食べさせてくれ」
「だからさっきから爪楊枝って、」
「君の手ずから食べたい」

どくん、と私の心臓がこれまでになく高鳴る。確かにさっき手は洗ったが、このご時世にハンド・トゥー・マウスは如何なものか。厳格なまでに規則やマナーを重んじるいつもの煉獄杏寿郎は一体どこに行ってしまったのか。

「ほら、早くしないと桃が変色してしまうぞ」
「っ、」

まるで内緒話のように耳元で囁かれ、思わずぴくりと肩が揺れる。こんなのはずるい、反則だと思いつつ、震える指でゆっくりとそのやわい果肉を掴んだ。落とさないように、潰さないように、細心の注意を払って恋人の口元へと運ぶ。

美しく並んだ白い歯が、はく、と桃を咥える。じわり、滲み出た果汁が私の指を伝い、一本の線となって手首へと流れていった。
あっ、と私が声をあげたその瞬間、杏寿郎の手が私の手を掴む。べろり。赤い舌に舐め上げられ、そのあまりの熱に思わず目を見開いた。

「ちょっ、やだっ、なにして...! − ンッ!」

抗議など聞かない、というふうに杏寿郎が私の唇に口付ける。ぬるり、口内に押し込まれた果肉を、私はなんとか飲み込んだ。くすり、杏寿郎が笑った気配がする。

恋人に片手を掴まれたまま、私はずるずるとその場にへたり込む。
それは確かにこれまで食べた中で一番甘い桃だった。

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